第三章 光と闇をその腕に②
同じ夜。
コテージのウッドデッキ。森が見える場所にて。
メルティアは着装型鎧機兵も纏わず一人で佇んでいた。
落下防止の柵に腰を預けて、翡翠色の宝珠を強く握りしめている。
月光に照らされて輝く宝珠を見つめて何度も溜息を零す。
メルティアは今、待ち合わせをしていた。
相手はもちろん幼馴染の少年である。
心臓はずっと早鐘を打っていた。
(……コウタ)
この宝珠は恐るべき道具だった。
使えば、あの奥手だったフランが想い人と結ばれるほどの絶大な効果がある。
まあ、それも相手に好意があればこその結果だが。
ただメルティアは思う。
それは正しい用途だったのではないのかと。
この道具の前の持ち主はとても悍ましい使い方をしたが、本来は愛する人と穏やかな日々を過ごすための道具ではないかと思っていた。
それはこれからこの道具を使うメルティア自身の願望も入っていたかもしれないが、実のところ、部分的には正解でもあった。
封印された者が愛する者と穏やかな余生を過ごす。
それがこの異界の宝珠なのである。
(私にも……)
メルティアは胸元に宝珠を持ってきて願うように思う。
(正しい使い方ができるのでしょうか……)
実は少し前。
アンジェリカもこの宝珠の使用を申し出ていた。
なにせ、親友の大成功を目の当たりにしたのだ。
ガチガチに緊張しつつも貸して欲しいと願ったのである。
しかし、それはメルティアが反対した。
この宝珠の使用にはリスクも想定されるからだ。
アンジェリカの想い人は、彼女の幼馴染のアルフレッドである。
里を訪れる前までは大いに関係を拗らせていたが、最近は改善の傾向にあるらしい。
二人で里の散策にも出かけたそうだ。
アンジェリカとしてはここで一気に攻勢に出たいのだろう。
だが、それは極めて危険な賭けだった。
確かに結ばれる可能性は少なくはないかもしれない。
しかしながら、その逆もまたあり得るのだ。
もし二人だけの世界でまた拗らせた言動をしてしまえば目も当てられない。誰もフォローに入ることも出来ず、改善しつつあった関係も一気にどん底にまで落ちることになるだろう。アルフレッドの胃はストレスで破裂するかもしれない。
青ざめた顔でアンジェリカはその説明を聞いていた。そして最終的にはフランが『ちゃんと私がフォローするから』と約束することで断念したのである。
だが、それは決して笑い話ではない。
メルティアとて他人事という訳ではないのだ。
(……私も)
メルティアは宝珠に視線を落とす。
(人のことは言えません。コウタにはいっぱい迷惑をかけています。私は……)
――きゅうっ。
と、唇を強く噛む。
不安で押し潰されそうだった。
コウタが今まで自分の我儘に付き合ってくれたのは幼馴染だからだ。
自分がコウタの恩人の娘だったからだ。
けれど、これからメルティアが行うとしていることはその関係を壊すモノだった。
間違いなくこれまでとは大きく変わってしまう。
(こんな我儘で迷惑な私を……)
幼馴染ではなく、一人の女性として。
果たして、彼は受け入れてくれるのだろうか。
(もしダメだったら)
そう考えると、全身が震えてくる。
この場から逃げ出したくなる。
だけど、それはダメだ。
あのニセネコ女までメルティアの背中を押してくれたのだから。
(頑張らないと)
逃げ出したい心を奮い立たせる。
と、その時だった。
「……メル?」
メルティアの想い人が姿を現したのは。
◆
時間は少し遡る。
コウタはコテージを出て歩いていた。
零号経由でメルティアに呼び出されたからだ。
(けど、本当に驚いたなあ)
ジェイクとフラン。
とてもよく似合っている二人だと思うが、こんな急展開になるとは。
(二人には幸せになって欲しいけど……)
少し疑問にも思う。
どうしてフランがあの宝珠を持っていたのか。
あれは今、リッカが保管しているはずだ。
フランが持っていたということはリッカから借りたのだと思うが、あの二人はそこまで接点がなく、仲が良いと聞いたこともなかった。
(いや、ボクが知らないだけ実は仲が良いのかな?)
こればかりは分からない。
明日、リッカに聞いてみようと思った。
(今はメルだ)
コウタは少し早足になった。
色々ありすぎて再会してからもメルティアとはあまり話せていないのだ。
特に二人だけで会えることはかなり限られていたと言える。
アティス王国へと旅立った日から、メルティアは本当に無理をさせてきたと思う。
本来、彼女は引き籠りなのだ。
それを結果的にこんな長旅に付き合わせてしまった。
今は申し訳なさでいっぱいだった。
(ブレイブ値の補充だって甘んじて受けるよ)
一人で呼び出したということは、そういうことなのだろう。
コウタは、ありったけの紳士力を以て耐え凌ぐつもりだった。
そうして先を急ぎ、ウッドデッキで一人佇むメルティアを見つけた。
コウタは彼女の元に駆け足で近づく――が、
「……メル?」
思わず足を止めた。
彼女が震えていることに気付いたのだ。
「メル? どうしたの?」
そう声を掛けると、メルティアはビクッと肩を震わせて顔を上げた。
その目尻には涙が浮かんでいる。
「メル!」
コウタが青ざめて駆け寄ろうとすると、
「―――……」
メルティアは無言で両手を前に出した。
その手に掴まれているのは翡翠色の宝珠だった。
「……え」
コウタは足を止めた。
「こ、これを……」
メルティアは震える声で告げる。
「コ、コウタがこれを使って……い、いえ」
ふるふると顔を横に振る。
「わ、私が使います。だって私の決意だから。コ、コウタぁ……」
彼女は全身を強張らせながらも告げた。
「こ、これを使うの。わ、私と一緒に、私と生きて。ずっと、ずっと一緒に」
コウタは目を瞠った。
言葉もなく、幼馴染の少女を見つめていた。
これがどういう状況なのか。
どうしてメルティアまであの宝珠を持っているのか。
分からないことは沢山ある。
けれど一つだけ。
たった一つだけ、はっきりと分かった。
彼女が今、ありったけの勇気を振り絞っているということだけは。
(……メル)
コウタはただ静かに彼女を見つめた。
「ダ、ダメですか?」
ボロボロと。
メルティアは涙を零す。
「やっぱり、ダメですか? 私、私なんかじゃ……」
その台詞にコウタは一歩前に踏み出した。
迷いも躊躇いも。
恩人への申し訳なさも。
すべてを越えてその一歩を踏み出した。
そして――。
「……行こう」
愛しい少女の手を取った。
「ボクたちの世界へ」
そう告げた。
メルティアは金色の瞳を見開いた。
コウタは彼女の頬に触れて涙を親指で拭った。
「ボクらは、ずっと一緒だよ」
そんなコウタの言葉に、
「……はい」
メルティアは微笑んでそう返した。
そうして。
二人は、ステラクラウンから消えた。




