第二章 花嫁の決意②
十分後。
まだ寝ぼけまなこのメルティアたちは欠伸をしつつも並んで座っていた。
しっかり者のリーゼは、すでにはっきりと目を覚ましているが、幼いアイリなどはエルの腰にしがみついたまま、うつらうつらと舟をこいでいた。
アヤメも、メルティアたちに並んで座っている。
対し、リッカだけはメルティアたちの正面に正座していた。
そして、
「おはようございます」まずは丁重に挨拶してから「実は皆さまにご報告があります。実は昨夜、私は光栄にも閣下からご寵愛を賜るお約束を頂きました」
凛とした声で報告する。
数瞬の間。
「「「……………え?」」」
全員の脳が一気に覚めた。
アイリも顔を上げて目を瞬かせている。
「ど、どういうことですか?」
困惑した様子でメルティアが問うと、リッカは自身の胸元に片手を当てて。
「私の使命は鞘であり護衛であること。そこに夜伽も加わったということです」
そこで一拍おいて、
「いずれは私も閣下の御子を宿すことにもなるかもしれません。そのことを皆さまにお伝えいたします」
「――何ですかそれは!?」
メルティアが身を乗り出して叫ぶ!
「いつの間にそんなことに!? いえ、そもそもあなたは男性に――」
と、言いかけたところで視線を逸らす。
リッカの受けた悪夢は、メルティアも知っている。
彼女がその心に深い傷を受けていることもだ。平然としていたようでも、リッカが男性に恐怖を抱いていることはここにいるメンバーは全員が気付いていた。
そのことを、それぞれがとても気にかけていたのだ。
すると、リッカは視線を伏せて、
「……それは八ヶ月前までのことです」
そう呟いた。
メルティアたちは訝し気な眼差しを向けるが、不意にエルがハッとした。
「ホラン……いや、リッカ。お前、まさかあれを……」
「はい。姫さま」
リッカは頷いた。次いで緋色の制服からあるモノを取り出した。
それを畳の上に置いて差し出した。
「やはり、そうか……」
エルが呟く。
それは翡翠色の宝珠だった。
「異界の宝珠か。あの男から奪っていたんだな」
「……はい」
リッカは肯定する。
「……ほほう」
興味深そうにリノが身を乗り出した。
宝珠を手に取って掲げてみる。
「これがかつてコウタと褐色ピンクが封じ込められたという宝珠かの」
「正確には違うが、同じモノと考えてもいいと思うぞ」
と、エルが言う。
リッカとリノ以外の全員が立ち上がり、リノの周囲に集まる。
宝珠に注目が集まった。
「……本当にあったのね。それって」
と、アンジェリカが呟く。
「時の流れが違う閉ざされた異界への入り口。確かそうじゃったの?」
リノが、リッカに視線を向けて問う。
リッカは「はい」と頷いた。
「私は昨夜、閣下と共にその宝珠を使いました。そして」
少し恥ずかしがるように視線を逸らして、
「異界で八ヶ月間を過ごしました。閣下はその長い期間をリハビリにお付き合いしてくださったのです。おかげで私の心はほぼ復調したと考えております」
「そ、それは良かったです――い、いえ!」
メルティアはホッとしつつも叫んだ。
「あなたが復調したのは良かったとは思いますが、こっそりそんなことをしていたのですか! それも八ヶ月間も!?」
「ずるいのです!」アヤメも叫んだ。
「復調は良かったのです! けど、そっちの王女もそうですが、あなたたちは私よりも新参だというのに時間的アドバンテージをゴリゴリ削り過ぎなのです!」
「そうですわ!」珍しくリーゼも不満の声を上げた。
「まずは復調おめでとうございますわ! 心より喜びをお伝えいたします! ですが、わたくしもコウタさまと出会ってまだ一年半程度だというのに! エルさまは二年! あなたは八ヶ月も二人きりなんて!」
「……うん。ずるいと思う」
アイリも少し頬を膨らませて言う。
「まあ、そうじゃのう」宝珠を観察しながら胡坐をかくリノも呟いた。
「新参者に時間的アドバンテージを削られるなど想定もせぬか。わらわも不満に思う。しかしのう、フルレンジ娘よ」
「……フルレンジ?」
視線を向けられたので自分のことだと気付いたリッカが眉をひそめた。
「リノさま。それはなんでしょうか?」
「お主は年齢を自在に変えれるのじゃろう? ロリからスレンダー、たわわまで自由自在にのう。全年齢で全対応じゃからフルレンジなのじゃ」
リノはそう返した。
「……全年齢で全対応ですか」
リッカは反芻すると、何故か少し頬を染めつつ、ふるふるとかぶりを振った。
「まあ、ともあれフルレンジ娘よ」
リノは胡坐をかく膝に片手を置いて、改めて言う。
「寵愛を受ける約束をしたということは、その八ヶ月ではコウタに愛されるところまではいかなかったということじゃな」
「……はい」リッカは頷く。
「閣下はお約束してくださいましたが、そこまでは……」
「……相変わらずだな。コウタは」
エルが腕を組んで嘆息する。
「もちろんリッカの心を気遣ってのことだと思うが、リッカとしてはそこまで約束してくれるなら、むしろコウタの腕の中に納まる方が安心するのではないか?」
「……姫さま」
リッカはエルの方を見てから、少し視線を伏せた。
「確かにそうかもしれません。私が他の誰のモノでもない閣下だけの女であるということを、それを強く知らしめて頂いた方がきっと私の心は――」
小さく息を吐く。
「不敬ではありますが、閣下の愛を注いで頂くことで、私の中の『ホラン』の悪夢は完全に消え去り、私は真の『リッカ』になれると思うのです」
全員がリッカに視線を向けて沈黙した。
「失礼。ともあれです」
リッカはコホンと喉を鳴らした。
「私も閣下についてはよく存じ上げております。それだけの時間を共に過ごしました。だからこそ断言いたします」
そこで何とも言えない顔をして。
「今のままでは多分、私が寵愛を受けるのは早くて数年後になるであろうと」
「「「…………」」」
全員が無言だった。リッカは言葉を続ける。
「閣下はご自身を強欲と仰ってましたが、奥手な御方でもあると思います。ですが、それ以上に閣下にとっては最も特別な方がおられると感じました」
リッカの指摘に全員の視線がある人物に集まった。
もちろん、メルティアである。
メルティアは「あ、あう」と呻いた。
「リノさま。宝珠を」
「ん?」
リッカは立ち上がると、リノから宝珠を受け取った。
そうしてメルティアの元に向かい、
「メルティアさま」
宝珠をメルティアに握らせた。
メルティアは目を瞬かせる。
リッカはメルティアの手を強く掴み、
「メルティアさま。閣下はあなたを最も特別に思われておられます」
「ひゃ、ひゃい。そうでふか」
完全に挙動不審になって目を逸らすメルティア。
しかし、リッカは逃がさない。他のメンバーも視線を外さない。
「私はこの宝珠を共同で管理しようと思っております。しかしながら、これを使っても閣下との絆は深まっても、今のままでは誰も次の段階には進めないのです」
「ちゅ、ちゅぎの段階……」
耳まで赤くして、メルティアはリッカの言葉を反芻する。
「メルティアさま」
リッカは真剣な眼差しでメルティアを見据えた。
「メルティアさまが鍵なのです。メルティアさまが最初の一歩を踏み出すことでようやく全員が次へと進めるのです」
メルティアは目を見開いて、パクパクと口を動かしていた。
「……まあ、そうじゃのうな」
リノが深々と嘆息した。
「そればかりは認めざるを得んか。正妻という意味ではわらわも譲る気はないが、まずはギンネコ娘から一線を越えん限り、コウタはずっとヘタレ王のままじゃ」
メルティアの最大のライバルとも言える彼女が言った。
「確かにその通りですわね」リーゼも言う。
「エルさまからコウタさまが一夫多妻を考えられておられるとお聞きした時は流石に少し驚きましたが……」
頬に片手を当てる。
「それはもう薄々覚悟していたこと。わたくしはコウタさまに従うまでです。ですが、仮にわたくしたちが全員愛されるとしても、やはりコウタさまにとってメルティアは特別なのでしょうね」
「うん。それは私が一番よく実感しているぞ」
と、エルも言う。
「メルティア=アシュレイ。どんな女なのか二年間ずっと考え続けたぐらいだ」
「……私は元々メルティアからだと思っているよ」
アイリも淡々と告げた。
「……それにどうせ私は最後。早くても五、六年後だろうし」
「私は不満、なのです」
アヤメが語る。
「ですが、私では逃げられた経験があるのです。本気でヘタレた時のコウタ君は絶対に捕まえられない、のです。もうヘタレさせないためには……」
じいっと。
メルティアを半眼で見据えた。
「メルティアさま」
リッカが再び告げる。
「どうかご覚悟を。この宝珠を用いて花嫁たちの一番槍を担ってくれませんか」
そう願う。
メルティアは言葉もなかった。
全身が燃えるように熱かった。
心臓が早鐘を打ち、脳裏には様々な思い出がよぎる。
コウタと出会い、コウタと過ごした思い出たちだ。
出会った頃は、彼とそんな未来を迎えることなんて考えてもいなかった。
(わ、私は……)
未経験の不安から「や、やぁ」という声が零れそうになるが、それを抑え込む。
心臓の早鐘は止まない。
けれど、
「……わ、分かりましひゃ!」
噛みつつも遂に覚悟を決めたメルティアだった。
翡翠色の宝珠も強く掴む。
だがしかし、
「あ、あのっ」
そこにストップをかける者が現れた。
ずっと沈黙していた人物である。
全員が「「「え?」」」という顔でその人物に視線を向けた。
果たして、その人物とは――。




