第二章 花嫁の決意①
同刻。
その大きな和室は結構な大所帯になっていた。
それも全員が女性――ほぼ十代の少女ばかりである。
彼女たちは全員が『浴衣』と呼ばれるアロンの和装を身に着けていた。
「……これはなかなかに酷いあり様なのです」
と、つい今しがたこの部屋に来て襖を開けた、紺色の和服を纏う少女が言う。
肩ほどのサラリと黒髪に、赤い眼差し。美麗な顔立ちだが、それ以上に額の二本の角が目立つ少女――アヤメ=シキモリである。
「まったく、なのです」
小さく嘆息する。
昨夜、この部屋はいわゆる会場のようになっていた。
アヤメ曰く、お側女役たちの親睦会である。
出会ったことはないが一人は不在。一人はまだ確定か定かではない者もいたが、総勢で七人のお側女役がこの部屋にいた。
目的は会の名が示すように親睦のため――というのは建前で、古参メンバーが新参メンバーに釘を刺しておくことだった。
アヤメもどちらかと言えば新参。最初はこの部屋にいたのだが、始まる前に長老衆に呼ばれたので席を外した。その際にリッカも立ち上がり、『私は場違いのようですので』と告げて共に席を外した。残った人数は五人になった。
その後、アヤメは長老衆に御子さまのことを様々な意味で何度も頼まれ、ようやく戻って来たのが今朝なのである。
「……メンバーが増えてるのです」
そう呟いて、アヤメは部屋の一角に目をやった。
そこには二人の少女がいた。
一人は大腿部に届くほど長い水色の髪を持つ高身長の少女。
もう一人はピンと一本だけ跳ねているの癖毛が特徴的な明るい赤い髪の少女だ。
フラン=ソルバと、アンジェリカ=コースウッド。
アヤメの親友たちである。
浴衣姿の彼女たちは畳の上に並んで眠っていた。
(遊びにきたのですか? それにしても……)
アヤメは「むむ」と唸った。
低身長ではあるが、和装に隠されたアヤメのプロポーションは中々のモノだ。
――そう。愛する人のために中々のモノに進化したのである
しかし、こうして少し開けた浴衣姿の親友たちを見ると、二人ともやはり自分よりも格上なのだと思い知らされた。『たゆんっ』の主張が明らかに違っていた。
アヤメは数秒ほど眉をしかめるが、
(まあ、それはいいのです)
おもむろに、かぶりを振った。
別に対抗意識を燃やす必要などないのだ。
アンジェリカたちはお側女役ではないのだから。
――お側女役。
焔魔堂の御子さまの護衛役であり、寵愛を賜っていずれはお世継ぎも宿す娘。
今回、改めて焔魔堂にて『お側女衆』というお役目が設立された。
アヤメが意識を向けるべきは、ここにいる他の五人――お側女衆だった。
全員が部屋で眠り込んでいる。
人数分の布団こそ敷いているのだが、それも無視して煩雑に散らばっていた。
身に着けた浴衣も、異性にはとても見せられないほどに着崩れている。
察するにこの部屋では相当な激論が繰り広げられたのだろう。いや、言葉だけではないのかもしれない。ほとんどの少女の髪が乱れていた。
暴れ回ってそのまま寝落ちしたのだと推測できる。
何とも無様な醜態だった。
「やはり、私がお側女役筆頭になるしかない、のです」
と、アヤメは「ふふん」と鼻を鳴らして言う。
そうして未だ眠る少女たちへと順に目を向けた。
まずは最年少の少女からだ。
この中で唯一の十代前。年齢は九歳だと聞いている。
薄緑の長い髪が美しい、驚くほどに綺麗な少女だった。
アイリ=ラストン。
アシュレイ公爵家のメイドであり、《星神》であるそうだ。
他者の願いを叶えるかの神秘の種族は揃って美しい容姿をしているとのことだ。この妖精のような美麗な顔立ちも納得できる。
ともあれ、彼女はとある人物の上でスゥスゥと寝息を立てていた。
アヤメはそちらの人物の方へと視線を移す。
年の頃は十八ぐらいか。
肩にかからないぐらいの長さの桜色の髪に、褐色の肌を持つ少女である。
アンジェリカやフランも艶めかしいと思ったが、彼女はさらに上だ。スタイルにおいても二人を凌ぎ、浴衣から零れ落ちそうな肢体は同性であってもドキッとする。
仰向けに両手を上げて眠る彼女は、遠い異国の王女らしい。
アイリは、そんな彼女の豊かな胸を枕にして寝ていた。
(……むむむ)
この王女に関してアヤメには思うところがある。
彼女は本名を『ミュリエル=アルシエド』というらしいのだが、今は『エル=ヒラサカ』と名乗っているのだ。アヤメの主さまと同じ家名である。
何でもアヤメの主さまから貰ったそうだ。
もはや実質的な嫁入りのようなものだ。
しかも、それだけではない。彼女は参入してまだ数日のお側女役だというのに、すでに二年間もアヤメの主さまと二人きりで過ごしたと言うのだ。
にわかに信じ難い話だが、事実らしい。
まさか、時間的なアドバンテージを覆す者がいるとは思いもよらなかった。
アヤメのみならず、すべてのお側女役が愕然としたものである。
「………ふゥ」
小さく嘆息しつつ、アヤメは次の少女に目をやった。
年齢はアヤメと同じ十六歳。
先端がカールした蜂蜜色の長い髪を持つ少女。
眉は細く、整った鼻梁が際立った可憐で美しい少女だった。
横に丸まって眠る彼女の体格はスレンダーだ。胸部の豊かさにおいてはエルやアンジェリカたちには大きく劣るが、肌は圧倒的にきめ細かく、神秘的な雰囲気があった。
眠れる森の美少女。
そんな言葉がよく似合いそうである。
名をリーゼ=レイハートといった。
エリーズ国の四大公爵家の一つ。レイハート家の令嬢とのことだ。
「…………」
アヤメは無言で自身の胸元に片手を当てた。
覚醒前は彼女に劣っていたが、今や完全に上回っている。
だが、それでもこうして眠る姿を見ると、リーゼは侮れない相手だと実感した。
(……やれやれ、なのです)
深々と嘆息した後、アヤメは次のお側女役に目をやった。
いや、正確に言えば二人か。
エルとアイリと同じように重なって寝ているからだ。
二人ともアヤメと同じ年の十六歳。極めて仲が悪いそうだが、互いの髪を引っ張りつつも今は二人とも健やかに眠っている。
まずは一人目。
群を抜いた美麗な顔立ちに、ネコ耳を彷彿させるような癖毛が印象的な、緩やかに波打つ長い菫色の髪。スタイルも圧倒的だった。エルよりは胸は小さいのだが、身長差を鑑みればむしろバランスがいい。
――傾国の雛鳥。
そういった言葉をイメージさせる少女。
それが彼女――リノ=エヴァンシードだった。
彼女については、アヤメは別の意味でも警戒している。
他のお側女衆とは違う異質な匂いがするのだ。
恐らくは危険で深い闇の匂いだ。
ただ、アヤメの主さまはそれも踏まえて彼女を傍に置いているようだが。
そして最後の一人。
アヤメは険しい眼差しで彼女を見据える。
リノにも劣らない綺麗な顔立ちに長いまつ毛。スタイルも抜群であり、浴衣の隙から見せる肌は白磁のようだ。薄く紫がかった白銀に近い色――紫銀色の髪をうなじ辺りまで伸ばしている。その髪にはネコ耳が乗っていた。
尾はないが、彼女は獣人族のハーフとのことだ。
――メルティア=アシュレイ。
リーゼと同じくエリーズ国の四大公爵家の一角。アシュレイ家の令嬢だった。
そして、アヤメの主さまの幼馴染でもあるそうだ。
しかもただの幼馴染ではない。アヤメの主さまは彼女に激アマだった。
最も彼の寵愛深き者は誰かと問われれば、間違いなくメルティアだろう。
アヤメにとっては実に不満な事実ではあるが。
「……とりあえず」
アヤメは小さく拳を固めた。
「出立も早いのです。そろそろ叩き起こすことにするのです」
と、意気込んだ時だった。
「……失礼します」
不意に部屋の外から声がした。
アヤメが振り返ると、襖の向こうに人影が見える。声も聞き覚えがあった。
「入っても大丈夫、なのです」
そう返すと、襖が開かれて一人の少女が入って来た。
十六歳姿のリッカである。
彼女は室内を一瞥し、
「皆さま、まだお休みで?」
「そのようです」アヤメが頷く。「これから叩き起こすところ、なのです」
「そうですか」
リッカも首肯した。改めて眠る少女たちを一瞥し、
「では、私もお手伝いいたします」
そこで一拍おいて、
「実は、私から皆さまにご報告と、とても重要な提案がございますので」
そう告げた。




