第八章 緋はまた昇る⑦
(……おかしい)
その時、コウタは困惑していた。
何故なら、追っている光点が、ずっと停止しているのである。
(どうして逃げない?)
《ディノス》を走らせながら、コウタは考える。
もしや罠だろうか?
だが、今さらあの男が迎撃してくるとは思えない。
(だったら囮なのか?)
この光点は囮。
あの男は別のルートで逃走している。
その可能性の方が高そうだ。
しかし、手掛かりがこの光点しかない以上、確認せずにはいられない。
(いずれにせよ、確かめてみるしかないか)
コウタは操縦棍を強く握り直した。
森を縫うように《ディノス》はさらに加速する。
そして――。
「……見つけた」
コウタは双眸を細める。
進行先。
そこに乗り物らしきモノを見つけたのだ。
光点の位置は、それと一致した。
どうやら恒力を使用した特殊な乗り物のようだ。
使用状態のまま、それは停車していた。
(けど、人がいない?)
困惑するコウタ。
そして警戒しつつ《ディノス》が足を止めた。
「あの男はどこに……」
そう呟いて周囲に目をやった、その時だった。
――ぞわり、と。
その光景を目撃して、コウタの背筋に悪寒が奔った。
「………な」
思わず、《ディノス》の胸部装甲を開けた。
愛機に両膝をつかせることも惜しんで、急ぎ操縦席から跳び下りる。
「――ホランさんッ!」
コウタは、その光景――血塗れになって横たわる彼女の元に駆け寄った。
ホランの元で両膝をつき、
「しっかりして! ホランさんッ!」
彼女を抱き上げようとするが、手を止めた。
これは致命傷だ。
それも少しでも動かせば、さらに寿命を短くするほどの――。
「……なんで、こんなことに……」
触れることも叶わず、コウタはギリと歯を軋ませた。
すると、
――ゴポッ。
ホランが吐血した。
そして眼差しだけをコウタに向けた。
「――ホランさんッ!」
コウタが声を掛けると、
「……やった……」
彼女は掠れた声で語る。
「……あの男、殺した……。姫、もう、大、丈夫……」
言って、左手をどうにか上げる。
その手に持っていた宝珠が、ボトンと血の海に落ちた。
「……異界の、宝珠?」
コウタは唖然として、それを見やる。
神秘的な輝きを放つ宝珠。間違いなく本物だ。
(どうしてホランさんがこれを……)
そう考えて、瞬時に状況を整理する。
あの男が、ホランに致命傷を負わせたのは間違いない。
コウタの足止めのためとも考えられるが、それなら、大切かつ重要な異界の宝珠をこの場に残しておく理由がない。
彼女がこれを持っていたということは――。
「あの男を異界に封じ込めたのですか?」
そう尋ねるコウタに、ホランは双眸を細めることで応えた。
(……ホランさん)
恐らく、彼女はここであの男を待ち構えていたのだ。
そしてあの男からどうにか宝珠を奪い、異界の中に封じ込めた。
しかし、その結果、彼女は……。
「……わ、たし、は……」
ホランは尋ねる。
「き、し、に、なれた、かな……?」
コウタは歯を軋ませた。
もう、彼女は助からない。
なら、せめて――。
「……はい」
コウタは頷いた。
「あなたは騎士でした」
そう返す。
ホランは、微かに口元を綻ばせた。
「……あり、が、とう……」
彼女はそう答えた。
だが、それ以上はもう喋ることも厳しいようだ。
呼吸が徐々に弱くなっていく。
……どうしようもない。
看取るために、コウタは血塗れの彼女を抱き上げた。
ホランは微笑んでいた。
(……ボクは)
胸が締め付けられる。
彼女を一人にしてしまった失態を、激しく後悔する。
すると、
「……つぎ……」
彼女は、最後の力で唇を動かした。
「……うまれ、かわっ……ら、君の、き、し、に、なりたい、な……」
「……ホランさん」
コウタは、腕の中の彼女を見つめた。
「……分かりました」
コウタは泣き出しそうな顔から無理やり笑顔を作って、
「あなたが生まれ変わった時、あなたはボクの騎士です」
そう告げた。
それに対し、ホランは「……う、ん」と笑った。
彼女の命はもう十数秒ほどだった。
コウタはせめて最後まで笑顔を見送ろうと思っていた。
――が、その時だった。
――ザンッ。
「………え?」
突如、それが現れたのは。
それは《ディノス》の手から離れて、長剣サイズとなった断界の剣だった。
それがコウタの前で大地に突き刺さっている。
(え? なんで?)
コウタは唖然とした。
そういえば、この剣には意志があると零号が言っていた。
この状況で意味もなく勝手に動くとは思えない。
(……苦しむホランさんを介錯しろってことか?)
剣の意図をそう汲むが、彼女の命はもはや尽きる寸前だ。
すでに苦しみも、ほとんどないだろう。
ならば、どうして断界の剣がコウタの前に現れるのか――。
「………あ」
不意に。
コウタは目を見開いた。
この剣を見て、ある台詞を思い出したのだ。
――ギリギリデモ、死ンデナカッタラ転生ハデキル。
『――零号!』
コウタは、心の中で零号の名を叫んだ。
『……ヌ? ドウシタ? コウタ?』
零号は即座に応えてくれた。
そして、コウタは心の中で簡潔に用件を問う。
零号は、少し驚いているようだったが、
『……オソラクハ、可能ダ』
そう答えてくれた。コウタは表情を険しくする。
『どうすればいい! 教えて欲しい!』
コウタは、切実な思いで懇願する。
『……命ジルトイイ。ソノ剣ハ、コウタノ剣ダ』
「分かった! 断界の剣!」
コウタは大地に突き刺さった断界の剣に命じる!
「彼女がお前の鞘だ!」
命が燃え尽きる寸前のホランの手と肩を強く掴む。
「彼女を、ホランをボクの護剣獣にしてくれ!」
主の命に、黒い斧剣は迅速に応えた。
――スウっと。
誰に触れられることもなく宙に浮いて瞬時に移動。
そして、ホランの胸元に突き刺さった!
命じたコウタはギョッとするが、刀身が突き刺さっても、彼女は出血しなかった。
そもそも刃が彼女の体を貫いた訳ではないようだ。
そのまま、断界の剣は彼女の体を中に吸い込まれていった。
そして、
――ドクンッ!
ホランは、目を見開いて大きく仰け反った。
それから彼女の体はコウタの腕から離れて宙に浮かんでいった。
コウタは言葉もなく唖然としていたが、
「………え?」
ホランの体が浮かんでいくと同時に、大地に広がっていた血の海が波打ち、彼女の体へと戻っていくのである。コウタの体に付いていた彼女の血も同様だ。
みるみる彼女の傷が癒えていく。
まるで時間が巻き戻っていくような光景だった。
完全に肉体が復元するまで十秒もかからなかった。
しかし、変化はそれで終わりではない。
――カッ!
突如、ホランの体を中心に火柱が巻き上がったのだ。
凄まじい業火である。
彼女の黒いボデースーツが瞬く間に燃え尽きてしまった。
「ホランさん!?」
思わずコウタが彼女の名を呼ぶと、
『……案ズルナ』
零号が遠話で教えてくれた。
『……アレハ、転生ノ炎ダ』
「て、転生……?」
コウタが困惑している内に、ホランに変化が起き始める。
三セージルほどの高さで横になる彼女の髪の色が変化していった。
黄色かった髪は、毛先を残して緋色に。
うっすらと開いていた瞳の色も、眉の色もだ。
そして背中に刻まれていた醜い黒い大蛇の刺青は崩れ落ちて、黄金の炎を纏う黒い斧剣の紋章へと生まれ変わった。
変化はさらに続いた。
小柄だった彼女の体はさらに小さくなり、腰つきや豊かだった胸も大きく変化する。炎の中のその姿は、明らかにシルエットが変わっていた。
(え? もしかして若返って……?)
コウタは困惑した。
今の彼女の姿は二十代のモノではない。コウタと同じ十代半ばの姿だった。
そうして火柱は消えた。
生まれたままの姿である少女が、ゆっくりと降りてくる。
コウタは慌てて腰のケープを取り外し、彼女の両肩を覆うようにかけた。すべてを隠すにはとても心もとないが、それでもないよりはマシだった。
それから出来るだけ彼女の素肌から視線を外しつつ、
――トスン、と。
降りて来た彼女を、力強く受け止めた。
「ホ、ホランさん?」
腕の中の少女の顔を見やる。
髪や瞳の色、容姿の年齢こそ変わったが、彼女の顔色は生気を取り戻していた。
だが、まだ安心は出来ない。
「大丈夫……ですか?」
恐る恐るそう声を掛けると、
「……私は」
少し朦朧としていたようだが、ホランはしっかりとした声で答えた。
「……助かった、のか……?」
「……はい」
コウタはようやく安堵しつつ頷く。
「どうやら間に合ったみたいです。ただ想定外の変化もあったけど……」
ホランの髪や瞳の色、ましてや見た目の年齢まで変わったのは、コウタにとっても完全に想定外だった。確か護剣獣とは、灼熱の体毛を持つ獣だとかと零号が言っていたので、髪の変化などは予測できたことかも知れないが、姿の変化には本当に驚いた。
『……恐ラク、コウタ二合ワセテ、肉体ヲ再構成シタノダロウ』
零号が遠話でそう教えてくれる。
『……コウタノ今ノ年齢ヲ、転生シタ肉体ノ、デフォルト二、シタヨウダ。護剣獣ノ大キサハ、変幻自在ダカラナ』
『そ、そうなんだ。けど、デフォルトってことはもしかして彼女の体って……』
少し疑問に思うこともあるが、まずはホッとするコウタ。
いずれにせよ、彼女の転生は成功したのである。
「本当に良かった……」
コウタがそう呟くと、ホランは眉をしかめて視線を逸らした。
唇を強く噛んでいるようだ。
「……ホランさん?」
コウタが、訝し気に腕の中の彼女に声を掛けた。
すると、ホランは、
「……私は」
重い口を開く。
「あのまま死んでしまいたかった。せめてもの誇りを抱いたまま。なのに……」
「……ホランさん」
コウタは眉をひそめる。
「無様に生き延びた。こんな穢れた心と体で……」
そう独白するホランに、
「ホランさん」
コウタは少しムッとした表情を見せた。
そして片膝をつき、ホランを横に立てた自分の大腿部の上に座らせた。
小柄な彼女は、トスンとそこに納まった。
「しょ、少年?」
ホランは目を瞬かせて少し困惑した。
「怒りますよ。ホランさん」
一拍おいて、コウタは言う。
「あなたのどこが穢れているというんですか」
「……私は」
ホランは再び視線を逸らして強く唇を噛んだ。
「本当に口にも憚るようなことを強要されたんだ。毎夜のように。だから」
「確かに、あなたはとても凄惨な目に遭った」
コウタはホランの顔を見つめて語る。
「だけど、それはあなたが穢れた話じゃない。穢れてなんていない。あなたは、ただとても深く、とても酷く傷つけられただけなんだ」
「…………」
ホランもコウタを見つめた。
コウタは言葉を続ける。
「その傷はきっと簡単には癒えない。けど、それでも穢れてなんかいない。そんな台詞は言わせない。何故ならあなたは――」
そこで一瞬躊躇するような表情を見せる。
が、大きく息を吐くと、すぐに覚悟を決めて、
(……よし)
微かに頷く。
そして、
「あなたは、ボクの騎士なのだから」
コウタは、はっきりとそう告げた。
「………え?」
ホランは目を見開いた。
「だって、約束したでしょう?」
コウタは少しぎこちない笑顔で続ける。
「生まれ変わったら、ボクの騎士になるって」
「い、いや、確かにそう言ったが……」
ホランは目を瞬かせた。
(……あ。そうか……)
が、すぐに気付く。
この少年は、自分に生きる目的を与えようとしてくれているのだと。
今のままでは遅かれ早かれ自分は死を望む。
それを察して、声を掛けてくれているのである。
ホランが一人で立ち直れる時まで。
決して短くはないその期間を一緒に背負ってくれようとしているのだ。
「………」
微かに鼓動が高鳴る。
胸元で、ぎゅっと手を固めた。
「……少年」
ホランは彼の顔を見つめた。
その気持ちは、とても嬉しく思うが……。
「私のことを背負う理由など、君はないだろう」
ホランがそう告げると、コウタはかぶりを振った。
「理由ならあります。どんな切迫した事情があったとしても、ボクが、あなたをその姿に変えたのですから」
そう返した。
ホランは色の変わった自分の髪を手に取った。
随分と軽くなった胸元にも目をやる。
(……これは)
十代半ばだった頃のサイズだ。
今とは違うずっと小ぶりな双丘。覗き込めば腹部まで見える。
最も剣技に打ち込んでいたあの頃の姿だった。
「まさか私は若返ったのか? これはやはり特別な意味があるのか?」
「はい」コウタは頷く。「それに関しては後で話したいと思います」
一拍おいて、
「ホランさん」
コウタは彼女に手を差し伸べた。
緊張した面持ちで、
「改めて言います。どうか、ボクの騎士になってもらえませんか?」
「…………」
ホランは沈黙した。
ややあって、
「……恩義には忠義でお応えしたいと思います」
ホランはコウタの手を取った。
「今日この日より、我が忠誠は御身に」
そして宣誓する。
「私は閣下の騎士となります」
「……ありがとう」
コウタもホランの手を強く掴む。
「けど、閣下はやめてください。あと敬語も。ボクの方が年下ですし、ボクのことはコウタでいいですから」
「いえ。閣下は閣下です」
と、彼女は、かぶりを振って断固として断った。
「敬語も主君と仰ぐ御方には当然のことです。そして――」
一拍おいて、コウタを見つめた。
「私に新たな名を与えていただけないでしょうか。閣下の騎士としての……」
「え?」
コウタは目を瞬かせた。
「……私は」
彼女は自分の胸元に手を当てて言葉を続ける。
「ホラン=ベースであり、ホラン=ベースではない。それを実感しています。恐らくこの姿は今までと違うということも」
「…………」
「だからこそ、新しい名が欲しいのです。ホランとは違う名を」
真剣な眼差しで彼女は願う。
コウタは数瞬ほど沈黙していたが、
「……分かりました」
承諾した。
そして、
「では、あなたの新しい名は……」
間を空けて考える。
「……『リッカ』というのはどうでしょうか」
「ありがとうございます」
彼女は微笑んだ。
「武骨な私には過ぎた美しい名です」
「ホランの名も、あなたご自身もとても綺麗ですよ」
そう告げると、コウタは彼女を抱き上げて立ち上がり、
「リッカさん」
優しい声で彼女の新たな名を呼ぶ。
「閣下」彼女は告げる。「私は閣下の騎士。名はお呼び捨てください」
コウタは少し困った顔をしつつも、
「……リッカ」
彼女の名を呼び直す。
「これからは一緒です。ゆっくりと心の傷を癒していきましょう」
「……はい」
ホランは――生まれ変わったリッカは小さく頷く。
この忠誠は、今はまだ仮初にすぎない。
少年の心遣いが嬉しくて、その優しさに甘えただけだ。
けれど、そう遠くない日に、この誓いは真実のモノへと変わる。
彼女の未来は、この日に決定づいたのだ。
そうしてさらに月日を経て。
彼女の心に刻まれた傷も、痛みも、苦しみも。
それこそ、かつて彼女がこの森の中で望んだ通りに。
彼女はその心身のすべてを委ねて《悪竜》の贄となるのである。
そして優しく安らかに。
その心の傷を一つずつ消していくように。
それでいて喰らい尽くされるような至福の夜を重ねることになる。
――そう。
彼女は護剣獣であり、騎士であり、《悪竜》の花嫁の一人でもあるのだ。
だが、この時のリッカにはそんな未来は知る由もないことだった。
ただ、今は、
「…………」
――つう、と。
優しい少年の腕の中で、リッカは一滴の涙を流すのだった。
沈んだ月は、緋と成りて再び高く昇る。
彼女の悪夢は、ようやく終わったのである。
ただし。
悪夢が終わったのは、あくまで彼女だけだった。
コウタの受難はまた別の話である。
この後、ほぼ全裸の見知らぬ少女を連れ帰ったため、コウタはメルティアを筆頭にもの凄い剣幕で問い詰められることになるのだが、それはもういつものことだった。
いずれにせよ。
こうして、焔魔堂の里で起きた事件は解決したのであった。




