第八章 緋はまた昇る➂
――ガガガガッ!
全身を揺らす強い振動。
土を跳ねつけて、それは疾走する。
剥き出しの操縦シートに、ゴム製の巨大な四輪。
全速ならば、馬よりも早く走るそれにダイアンは跨っていた。
――『鉄鋼車輌』。
これは、そう呼ばれる乗り物の一種だった。
鎧機兵の技術を活用した恒力を動力にする輸送車。オズニア大陸の東部地方にて現在普及されつつある次世代の乗り物である。
本来はもっと大型なのだが、これは悪路の中での伝令などを想定した小型車輛だった。
セラ大陸では、まださほど知られていない技術である。一部の大国などでは試験的に研究、検討はされているが、少なくとも普及にまでは至っていない。
(念のために用意して正解だったな)
鎧機兵同様に操縦棍で車輛を操作しつつ、ダイアンは改めてそう思う。
元々、ダイアンはオズニア大陸の傭兵だった。
仕事で東部方面にも赴いたこともあり、その時、この乗り物を知ったのである。
戦闘力こそないが、馬のように疲労することもなく、何より鎧機兵よりも速い。
馬入らずの次世代の馬車というのも納得の謳い文句だった。
知った当時から、非常に興味深かった乗り物だった。
しかも、悪路にも強いと来た。
逃走には持って来いの道具である。
あの異界でも、果たしてこれを用意できるかは不安だったが、あの世界は既存のモノならば問題なく再現できるようだ。おかげで切り札を得ることが出来た。
本番で下手を打たないように、異界でそれなりの練習もこなしている。
今では相当な腕前だと自負していた。
とは言え、これを使うこと自体は想定外ではあった。
(くそが)
ダイアンは、さらに速度を上げた。
表情では余裕のあるダイアンだが、その心情は複雑だった。
充分に警戒しているつもりだった。
幾つもの策も用意していた。
綿密に計画を練り、臨機応変に対応できるように準備もした。
だというのに――。
(全部、力だけでねじ伏せやがって)
歯を強く軋ませる。
まさか、あそこまで怪物だとは思わなかった。
あの旦那が警戒するのも当然だ。
――ガガッ!
土を蹴りつけて、鉄鋼車輛が軽く跳ねる。
(今はとにかくトンズラだ)
ここは迷いの森だ。
逃走するにも迷うのではないかと懸念されるところだが、経験上、こういった意図的に造られた森は、意外と内から外に行く時は迷わない。
でなければ、行方不明者を多出させることになるからだ。
それは却って悪目立ちする森となってしまう。
あくまで中枢に辿り着くのを阻害するのがこの手の仕掛けだった。
ゆえに真っ直ぐ街道に向かえば、この森からも脱出できるはずだった。
(くそ。失敗したか)
知らずの内に、眉間にしわを寄せるダイアン。
実に忌々しい結果である。
だが、今回、ダイアンは学んだ。
どんな策を用いたとしても、あの小僧と対峙するのだけは悪手だということを。
遭遇した途端、即座に殺されかねない。
――策略も、罠も、異能も。
あの小僧の力の前では意味を成さないのである。
あれは、もはや人型の固有種のような存在だ。
武力ではどうやっても勝てないと悟った。
もう二度と、奴と対峙するような愚かな真似はしない。
(仕切り直しだ)
強い振動をいなしつつ、ダイアンは考える。
今回の失敗は、情報不足が大きな要因だ。
あの怪物に対して、あまりにも無知で調査不足だった。
まずはターゲットのことを知る必要がある。
(お姫さんは後回しだ。まずはあの小僧を殺さなきゃなんねえ)
ダイアンは、険しい表情を見せた。
その焦燥を示すように、鉄鋼車輛は森の中をさらに加速する。
旦那との契約もあるが、それ以上の問題が発生してしまった。
なにせ、今回の件で、完全にあの小僧を敵に回してしまったのだ。
明確に放置できない敵だと宣告されてしまった。
もはや、殺さなければ、ダイアンが殺される状況に陥ってしまったのである。
(こんなところで殺されてたまるかよ!)
ようやくだ。
ようやく運が向いてきたのだ。
長い、長い不遇の期間を終えて、ようやく天運を得たのである。
ダイアンは両手に力を込める。
(俺は成り上がるんだ!)
時間停止の異能。
あらゆるモノを生み出す異界の宝珠。
こんな最高の力を得たのだ。
これさえあればすべてが手に入る。
金も女も地位もだ。
(そうだ! 今の俺は最高にツイているんだ!)
ダイアンは、自分にそう言い聞かせる。
事実、あの怪物小僧と遭遇してしまうという最悪の事態に追い込まれたというのに、こうして今は逃走できている。
それだけでも幸運に恵まれていると言えた。
そして逃げ切ることさえ出来れば、後はどうとでもなる。
あの小僧の周辺を調査し、手頃な女を刺客に変える。
一度では無理だろう。
それを繰り返し、繰り返し、繰り返す。
そうすれば、いつかは怪物とて殺せるはずだ。
(お姫さんのGETはその後だ。だが……)
悪路がきつくなって、ダイアンは少し減速した。
正直に言えば、今回の失敗で一つだけ心残りがある。
――ホラン=ベースのことである。
非常に手間をかけて造り上げた従順な奴隷。
腕もそこそこ。何よりあのお姫さんにもそう劣らない美貌の女である。
まさしく、今回の最大の成果だった。
それだけに思う。相手があんな化け物だと分かっていたのなら、最初からホランだけでも連れて、姿を晦ませておけばよかったと。
恐らく、ホランは奴らに回収されることになるだろう。
流石に殺されることはないと思うが、取り戻すには相当な時間がかかるかもしれない。
それが実に不本意だった。
「なんやかんやで、あいつは俺のお気に入りだったしな」
無念そうにそう呟いた、その時だった。
ダイアンは思わず目を瞠った。
進行先。
そこに人影があったのだ。
それも見覚えのある人影である。
「おいおい! マジかよ!」
それはホランだった。
ここは事前に打ち合わせておいた逃走ルートの一つ。
そこに、まるで忠犬のように。
ホランは木の影に潜みながら待っていたのである。
「クハハ」
思わず笑みが零れた。
――やはり今の俺はツイている。
ダイアンはそう思った。




