第八章 緋はまた昇る②
そうして。
ズズズ、と。
胴体が斜めにずれ落ちる鎧機兵。
それを見やり、
(……これは)
コウタは、強い違和感を覚えた。
どうにも手応えがない。
まるで何も入っていない抜け殻でも切り裂いたような感触だ。
愛機を通じて奇妙な気持ち悪さが伝わってくる。
そして、
――ゴドンッ!
《ガガリア》の胴体より上が、完全に地面に落ちた。
(やっぱり!)
コウタは表情を険しくする。
見事な切断面を見せて大破した敵機。
しかし、剥き出しになった操縦席には、あの男の姿がなかった。
それどころか誰もいない。空席だった。
やはりすでに抜け殻だったのだ。
『――エル! 気を付けて!』
コウタは、エルに向けて叫ぶ!
『奴が逃げた! たぶん異界に避難したんだ!』
刃が届く寸前。
咄嗟にあの男は異界へと転移したのだ。
緊急避難と同時に仕切り直しを狙ってか。
(狙うとしたら)
コウタは、表情を鋭くしてエルの方を見やる。
『気を付けて! どこかで君を狙っているかもしれない!』
「分かった!」
コウタの警告にエルは頷いた。
周囲を警戒しつつ、命綱とも言える兜兎をより強く抱きしめる。
胃と背中を圧迫された兎は「ボエェェ!」と鳴いた。
今ここで兜兎を逃がしてしまうか、または殺されでもすれば、エルも異界に連れ込まれてしまう危険性がある。
コウタも《ディノス》を身構えさせて周囲を警戒する。
十秒、二十秒と沈黙が続く。
――と、
(……え?)
眉をひそめた。
ふと《万天図》に視線を向けた時だった。
一つだけ光点が映っっていた。
ここから百セージルほど離れた位置か。
そこに、八百程度の恒力値が記されていたのである。
戦闘用の数値ではない。
農作業用の鎧機兵よりも低い値だ。
いや、そもそもこれは鎧機兵なのだろうか?
どうしてこんなモノが急に現れたのか?
「何だ? これ?」
コウタが眉根を寄せて疑問を抱いた時。
『……コウタ!』
不意に声が聞こえた。
脳に直接響く声。零号の声である。
『……マズイ! 外道ガ、逃ゲル!』
遠話でそう警告する。
コウタはハッとして《万天図》の光点を凝視した。
光点は、今もかなりの速度で遠ざかっている。
まるでここから逃げるかのように。
「これがそうなのか!」
『……外道ノ匂イガ、ドンドンコウタカラ、遠ザカッテイル!』
零号がそう告げる。
もはや疑いようもない。
恐らくは、移動だけに特化した鎧機兵か。
この恒力値の低さからすると、従来の機体系統とは全く違う、メルティアの着装型鎧機兵のようなモノなのかもしれない。
いずれにせよ、逃走時のための機体も用意していたということだ。
(本当に抜け目のない!)
コウタは歯を軋ませる。
醜態を見せつつも、逃走の算段をつけているとは……。
(けど、ここで逃がす訳にはいかない!)
コウタは表情を引き締めた。
戦闘力こそ、これまでの強敵に比べれば格段に低い。
弱いとまでは思わないが、《九妖星》には遥かに及ばない。
と言うよりも、比べること自体が、おこがましいレベルである。戦闘時には何やら不思議な技を使っていたようだが、それも障害というほどでもない。
今のコウタにしてみれば、苦戦することもない相手だろう。
だが、あの男の危険度は群を抜いている。
その精神性が、あまりにも歪んでいた。
静かに這いよって絡んでくる蛇のような男。
断じて、ここでみすみす逃がしてはいけない相手だった。
『――エル!』
コウタは険しい表情でエルを一瞥した。
『奴はすでに逃げている! ここから離れた場所だ!』
「――え」
エルは目を見開いた。
コウタは、さらに続ける。
『君の拉致から逃走に切り替えたんだ! ボクはあの男を追う! 君はアルフやジェイクたちと合流しておいて!』
「分かった!」
エルは即答した。
「コウタ! 最後まで気をつけろ! 奴は狡猾だ!」
そう叫んで返す。
腕の力が入ってか、兜兎も「ボエェェ!」と鳴いた。
『――うん』
コウタの操る《ディノス》が首肯する。
『油断はしない』
そう答えて、コウタは《ディノス》を走らせた。
邪魔な木々を縫うように疾走する。
(くそ!)
しかし、全力疾走には程遠い。
鎧機兵で走るには、木々の間隔が狭すぎる。
跳躍して距離を詰めたくとも、それも木々が邪魔で出来なかった。
(……あの男)
この状況にもコウタは歯を軋ませる。
《万天図》の光点の移動速度が落ちる様子はない。
あの男は、最初からこの地形も想定に入れている。
森の中でこの速さ。
推測だが、この光点はそもそも鎧機兵ではないような気がした。
逃走用なら別に人型にする必要もない。
この地形でも素早く移動できる専用の道具。
背に乗るような獣型か、もしくは車輪でも着けた馬車のようなモノ……。
そんな感じの道具を用意したのではないのだろうか。
自作したのか、それともコウタの知らない乗り物でもあるのか。
(詳細は見るまで分からないけど……)
いずれにせよ、この現状は非常にまずかった。
距離を詰めるどころか、少しずつ開いていっているのである。
明らかに小回りが向こうの方が上のようだ。
(……くッ)
ギリ、と再び歯を軋ませる。
(まずい。このままじゃあ追いつけない)
どうすればいい――。
焦燥と共に、コウタは強く操縦棍を握りしめた。




