第八章 緋はまた昇る①
(……さて)
冷たい汗を流しつつ、ダイアンは小さく息をつく。
(どうしたもんかね。この大ピンチはよ)
堂々と殺害予告した一方で、ダイアンは懸命に思考を巡らせていた。
目前には、黒い斧剣を構える《悪竜》のような禍々しい鎧機兵。
――あの怪物と対峙する。
出来れば、この事態だけは避けたかった。
(少しは精神を乱せたか?)
ホランの話をしたことも。
お姫さんの話を振ったことも。
すべては、あの怪物小僧の精神を乱すためだった。
精神が乱れれば、怪物であっても隙が生まれるかもしれない。
それを期待してのことだった。
(どこまで期待できるかは分かんねえが……)
ダイアンは双眸を細める。
(一度ぐらいは試してみっか)
ダイアンの異能。時間停止。
これは初見殺しの異能だ。
確かに扱いにくい能力だが、初見で見抜ける者などいない。
(まずは死角に移動する。そっから……)
不意打ちする。
あわよくば殺せるかもしれない。
いや、少なくとも機体の足でも損傷させれば逃走しやすくなる。
そう考えた時だった。
――ぞわり、と。
(―――ッ!?)
唐突に、悪寒を感じた。
ダイアンは考える間も惜しんで時間停止を使用した。
すると、
「――はあぁッ!?」
愕然と目を瞠る。
愛機の右肩。
そこの寸前の位置に黒い刀身が止まっていたのである。
肩口から胴体を両断する太刀筋である。
ダイアンは青ざめた。
一体いつ間合いを詰めたのか。
悪竜の騎士は眼前にいた。
それもすでに剣を振り終えている。
「う、うそだろッ!」
ともあれ、ダイアンは慌てて愛機を後退させた。
どうにか剣の間合いから外れたところで時間が動き出す。
――ザンッ!
大気を切り裂いて、黒い剣が振り下ろされた。
『……かわしたか』
悪竜の騎士が《ガガリア》を見据えて言う。
『動きが見えなかった。《雷歩》? いや、音がしなかったからオトハ義姉さんが得意だった《天架》を使った高速移動か……』
そんなことを呟く。
ダイアンは息を呑みつつ、
――ぞわり。
再び悪寒が奔った。
自分の生存本能に従い、再び時間を停める。
すると、今度は胴体に触れる直前で刀身が止まっていた。
流れるような歩法からの胴薙ぎだった。
瞬きする時間も惜しんでいれば、間違いなく上下で両断されていた。
「う、うお!?」
ダイアンは再び後方に跳躍した。
直後、時間が動く。
黒い剣は大気を水平に薙いだ。
『これもかわすか』
驚く様子もなく、悪竜の騎士が言う。
『やっぱり上級騎士だけあって相応の実力はあるのか。それだけの力量があるのに、そんな外道に堕ちるなんて本当に残念だ』
と、独白した。
怪物からの賞賛。
しかし、ダイアンは蒼白になっていた。
(な、なんだよ、こいつ……)
喉を大きく鳴らした。
この怪物小僧も異能持ちか。
思わずそう考えたくなるのだが、それは恐らく違う。
異能などではない。
ただただ、ひたすらに速いのである。
初動すらも勘に頼らなければ感知できないほどに。
その剣は圧倒的に速かった。
ダイアンもこれまで武力で生計を立ててきた人間だ。
だからこそ分かる。
それは、まさしく極致の剣だった。
(こいつ、まだ十代なんだろ!?)
たかだか十数年の修練で辿り着ける境地ではない。
分かりやすい。
あまりにもシンプルで分かりやすい。
こいつの前では、異能など小細工に過ぎないのだ。
――途方もなく速く。
――途方もなく巧く。
――途方もなく強い。
こいつは、そんな真正の怪物だった。
(絶対に勝てねえッ!)
ダイアンの戦士としての経験則が全力でそう叫んでいた。
――逃げろ! 逃げろ! 逃げろおおッ!
生存本能もそう叫ぶ!
しかし、悪竜の騎士は容赦をしない。
完全に殺す気で黒い斧剣を振るう。
直前に挑発したことが、完全に徒になったようだ。
破壊の竜の逆鱗に触れてしまったらしい。
「ひ、ひいィィ!」
ダイアンは、少しでも悪寒を感じたら時間を停めた。
その都度、ゾッとする。
どれも直撃寸前で剣が止まっているのである。
中には刃が装甲の半ばにまで喰い込んだ時もあった。
装甲の一部を削り落としてでも無理やりに脱出した。ノコギリ状の凶器も、結局のところ一度もまともに振るうこともなく切断された。
攻撃に転じることも許されない。
もはや、回避するだけで手一杯だった。
時間停止を使わなければ、即座に両断される状況である。
まるで砲撃の嵐の中に、生身で放り出されたような気分だった。
「ひィ、ひッ、ひィッ」
ダイアンは大量の汗をかいていた。
異能の負担で、滝のように鼻血も出している。
「こ、これ以上、付き合ってられるかあああッ!」
ダイアンは時間停止を使って逃亡を図った。
連続使用の負荷で、すでに一秒も持続しなくなった時間停止だが、それでも間合いの外へと出れた。
(もう逃げるしかねえッ!)
そう判断するが、
――ぞわり。
再び悪寒がする。ダイアンは反射的に時間を停めた。
だが、直後、走っていた《ガガリア》が前のめりに倒れ込んだ。
「な、なに!?」
ダイアンがギョッとして、愛機の損傷を見ると、両足が切断されていた。
悪竜の騎士の刀身が長く伸びて両足を断ち切ったのだ。
「そんだけ強くて何でもありか! てめえはよッ!」
あまりの不条理にダイアンが叫ぶ。
そうして時間が動き出した。
「く、くそッ!」
ダイアンは、どうにか愛機を仰向けにひっくり返した。
しかし、両足を切断されては、これ以上、逃亡することも出来ない。
――ズシン、ズシン……。
悪竜の騎士は黒い斧剣を携えて、ゆっくりと近づいてくる。
『ま、待て!』
《ガガリア》は片手を突き出した。
『俺の負けだ! 降伏する!』
そう叫ぶ。
しかし、悪竜の騎士の足取りは止まらない。
切っ先には未だ殺意が宿っていた。
『降伏するって言ってんだよ! 無抵抗だぞ! お前は騎士なんだろ!』
『…………』
ダイアンがそう叫ぶが、悪竜の騎士は何も答えない。
前へと進み、倒れて腰をつく《ガガリア》の前で黒い斧剣を掲げた。
そして、
『……お前は危険だ。法で裁ける存在でもなくなった』
そう告げる。
『お、おい! 待てよ!』
ダイアンが叫ぶ。
だが、悪竜の騎士の剣は、そんな声ごと《ガガリア》を両断した――。




