第七章 悪竜の逆鱗➂
ダイアンの行動は早かった。
宣告と同時に鎧機兵の腕をエルに差し向けたのである。
エルは逃げ出そうとするが、背には木、足には水、両腕には兜兎と、あまりに制約が多すぎて素早く動けなかった。
「くあ!」
「ボエェェ!」
エルと兜兎は鎧機兵の左手に捕らわれてしまった。
ダイアンはニヤリと笑った。
『さて。姫さんには先に別荘に――』
と、呟きかけたところで眉をひそめる。
その視線は、エルが抱く兜兎に向けれていた。
捕らえたのが、女だけではなかったと気付いたのだ。
『……てめえ』
ダイアンは不快そうにエルを睨みつけた。
(くそ。宝珠対策かよ)
そう判断する。
この女は異界の経験者だ。
その特性を知っていてもおかしくない。
いや、先程までいたガキとの会話からすると、まず知っているのだろう。
――異界に取り込める命は二つまで。
そのルールには人間以外の生物も含まれる。
しかも、判定が非常にシビアであり、体の一部だけでも触れていた場合、一人だけ取り込むということは出来なかった。
(その特性を知って、そこらの兎を捕まえたってことか)
脳筋の王女さまと思っていたが、意外と知恵が回るようだ。
ダイアンはそう評価した。
実際のところは、ただの偶然ではあるが、ここぞという時の勝負運の強さ、幸運もまたエルの強さの一つだった。
ともあれ、ダイアンは考える。
(どうする? いったん兎ごと異界に送るか? いや……)
それをすると、異界の枠が一つ埋まってしまう。
(ホランの奴を確保できなくなっちまうな)
ダイアンは眉根を寄せた。
ダイアンの本来の計画としてはこうだ。
まずホランがあの怪物小僧を足止めする。
倒す必要性――というより倒せるとは思っていない――はない。
頃合いを見計らって逃走するように命じてある。
そしてホランが足止めしている内に、ダイアンが王女を拉致する。
戦闘不能状態にして、ダイアンと共に異界に避難するのだ。
その際にお姫さんの味見兼、薬物を使ってでも心を折っておく予定だが、ともあれ、重要なのは異界に入った場所から、百セージルぐらいまでの近距離ならば、ステラクラウンの好きな場所に出ることが出来ることだ。
いったん姿をくらまして、一時間後にホランと合流する。
その後はホランを異界に回収。
ダイアンは二人の女を確保した上で、愛機で逃亡する予定だった。
それを変更するとしたら……。
(とりあえず兎と姫を回収して、離れた場所で兎だけを解放する……いや)
その場合、異界の中でお姫さんに兎を抱きかかえられていたら解放できない。
異界の特性を理解していたら、それぐらいはやってのけるだろう。
何より、お姫さんだけを異界に閉じ込めた場合、時間的な猶予も与えてしまうことになる。どんな対策を打たれるのか分かったモノではない。
(兎ごと確保は得策じゃねえな。くそが)
ダイアンは歯を軋ませた。
これがたった一匹の野良兎のせいだと思うと腹が立つ。
(姫と兎はこのまま捕らえておくしかねえ)
面倒でリスクもあるが、異界を経由せずに合流地点に向かうしかない。
そこでホランと合流して、兎を殺させる。
そのままホランとお姫さんを異界に確保すれば、ほぼ計画通りだが……。
(いや、それはまだマズイか)
愛機の手の中のお姫さんを一瞥して、ダイアンは思案する。
元々はお姫さんも心は折った上で、ホランと一緒に確保する予定だった。
だが、現状ではお姫さんは未調教だ。異界とは大きな時間差があるとはいえ、この状況でその時間を確保するのはリスクがあった。
そして、まだ心も折れていないお姫さんとホランを二人きりにすれば、逆にホランが絆される可能性があった。
(今さら、あいつに歯向かう気概はねえだろうが……)
心は徹底的に折ったつもりだ。
その後の教育も完璧だった。
だが、それでも、何かの妥協でお姫さんに協力する可能性はある。
何故なら、どうも、あの女はまだ快楽堕ちまではしていない節があるからだ。
調教とは鞭の後に飴を与えることで完成する。
まだ快楽を受け入れきれていない今のホランは、絶対服従の奴隷としては不完全だ。絆される可能性を完全には否定できなかった。
そうなると、ホランは異界に回収。ダイアンはお姫さんを愛機で捕らえたまま、逃亡するのがベストな選択だった。
(ああ~、面倒臭せえな)
そう思うが、ここは仕方がない。
こうやって思考に費やす時間もそろそろ惜しい。
今は水攻めで遠ざけたが、まだここは敵の陣地内なのだ。
ダイアンは、エルと兎を掴んだまま、愛機を走らせ始めた。
エルが「離せッ!」と騒ぐのも握力を上げて黙らせる。
地面は水浸しだが、鎧機兵の足を邪魔するほどではない。
木々の間を抜けて、ダイアンは先を急いだ。
そうして五分ほど走った時。
不意に木々が途切れた。
近くに小さな湖のある広場だ。
数匹の鹿か山羊のような獣が水を飲みに来ていたようだが、ダイアンの愛機の出現に驚いて逃げ出していった。
(さて)
ダイアンは周囲に目をやった。
ここがホランとの合流地点だった。
(時間としては後十五分ぐらいか)
正直、長いと思う。
この森には今、明らかに自分より強い者がいるのだ。
出来れば、二度と遭遇せずにこのまま逃げたいところだった。
「……そうだな」
ダイアンは愛機の左手に目をやった。
そこには呻くお姫さんと「ボエェェ!」と同じく圧迫されて苦しむ兎の姿があった。
「お姫さんを拘束したまま、兎だけ殺しておくか」
そうすれば、いざ遭遇した時にお姫さんを連れて異界に退避できる。
まあ、それをするとホランを失うことになるだろうが、お姫さんとホランではダイアンの中ではお姫さんの方が、価値が大きかった。
ホランのことは、調教に手間をかけただけあって惜しいとは思うが、お試し品の末路など所詮は遣いつぶしがいいところなのかもしれない。
「まあ、お前が早く来てくれればそんなこともしなくていいんだが――」
と、身勝手な呟きを零した時だった。
――ザンッ!
「…………は?」
ダイアンは目を丸くした。
突如、愛機の左上腕部が切断されたのである。
切断された左腕は、エルと捕らえたまま地面に落ちた。
『―――な』
唖然とするダイアン。
しかし、不意にゾッと背筋に悪寒が奔った。
愛機を後方に跳躍させる。
直後、ダイアンの愛機がいた場所に巨大な亀裂が奔った。
底が見えないほどに深く鋭利な亀裂だ。
ダイアンは瞬時に悟る。
これは黄道法の放出系闘技・《飛刃》だ。
しかし、この凄まじい威力は――。
と、ダイアンが息を呑んだ時。
――ズンッ!
不意に振動が響いた。
それは連続して耳に届く。
ダイアンは険しい顔で音の方に目をやった。
すると、
『ようやく会えたな』
黒い斧剣を構えた禍々しい鎧機兵。
静かに荒ぶる悪竜の騎士が、そこにいた。




