第六章 極致の剣③
場所は森の中に戻る。
その時、アルフレッドは繁みの中に潜んでいた。
王女殿下の警護のためだ。
しかし、距離が随分と遠い。
かろうじて殿下とダイアンという男の姿を視認できる距離だった。
これ以上、近づいてしまってはダイアンに気付かれてしまう可能性が高い。
アルフレッド以外の護衛――付近で潜むジェイクや焔魔堂の戦士たちも忸怩たる想いだろうが、こればかりは仕方がない。
一定以上の距離を取りつつ、二人の様子を窺っていた。
そうこうしている内に、少し広い場所に出た。
そこには三人目の人物がいた。
岩に腰を掛けた女性だ。
(あれはベースさんか)
遠目だが、彼女のように見える。
殿下はゆっくりと彼女に近づいた。
そして彼女の肩に触れた途端、
(――なッ!)
殿下は倒れてしまった。
肩を触れられたホランの方もだ。
そんな彼女たちを見るなり、アルフレッドは駆け出した。
彼だけではない。
ジェイクを始め、すべての護衛が走り出していた。
もはや身を潜め入る場合ではない。
誰もがそう判断したのだ。
だが、遠い。
アルフレッドが歯を軋ませると、ダイアンが倒れた殿下の元で膝を屈めた。
(――くそッ!)
アルフレッドが焦る。
と、その時だった。
『――オル、バンッ! アル、フレッド、さま!』
耳元で声がする。
それはリーゼの声だった。
アルフレッドとジェイクにもメルティアの装飾品――通話機が渡されてある。
残念ながら、焔魔堂の戦士たちの分までは用意できなかったが。
ともあれ、距離が離れすぎているために雑音が凄いが、かろうじて声は聞き取れる。
『非常事態、ですわ! メルティアが、いま、切り札――』
声が聞こえたのはそこまでだった。
だが、アルルフレッドにはそれだけで充分だった。
恐らくジェイクにもだろう。
アルフレッドは、瞬時に自分の走る場所の地形や木々の位置を記憶する。
そして強く瞳を閉じた。
直後、太陽が落ちたかのような輝きが森の一角を照らした。
さしもの焔魔堂の戦士たちも硬直する。
それはダイアン=ホロットも同様だ。
輝きは、倒れた王女殿下が放っていた。
これがメルティアの切り札。
王女殿下が危機に陥った時に持たせていた閃光弾である。
ただ発動させたのは王女殿下ではない。
このままではマズイと判断したメルティアたちだろう。
凄まじい閃光の中、直前の記憶を頼りにアルフレッドは疾走する。
そうして広場に出る。
その頃には閃光弾の輝きも収まっている。
アルフレッドは瞳を開いた。
視線の先には、両目を押さえてもがき苦しむダイアンの姿があった。
(ここで戦闘不能にする!)
アルフレッドはさらに加速した!
機械槍を抜き、石突きをダイアンへと構える。
そして神速の刺突を繰り出した!
――が、
(――なにッ!?)
アルフレッドは目を瞠った。
必殺の間合いだった。
だというのに、ダイアンはアルフレッドの刺突を回避したのだ。
――いや、回避という表現は適切ではない。
直撃の寸前に、いきなりダイアンの姿が消えたのである。
(何があったんだ!)
アルフレッドは表情を険しくて、倒れた王女殿下の前で槍を構える。
少し離れた場所。そこにダイアンの姿があった。
未だ目が痛むのか、片目を押さえていたが、険しい形相でアルフレッドを睨んでいる。
「……なんつう速さだ」
ダイアンが言う。
「あの小僧以外にもこんなのまでいたのかよ」
片目を離して舌打ちする。
「…………」
アルフレッドは静かに槍を構えている。
内心では最大級の警戒をしていた。
なにせ、目の前の男がどうやって回避したのか全く分からなかったのだ。
と、その時。
「……アルフ」
背後から声がする。ジェイクの声だった。
「姫さんは確保した。いま肩に触れている。これで、もしあれに閉じ込められたとしてもオレっちと一緒だ」
「……うん」ダイアンを見据えたまま、アルフレッドは頷く。
「ベースさんの方は? 危険な倒れ方をしたみたいだけど……」
「……このホランは偽物だ」
それに答えたのはエルだった。
まだ麻痺状態のようだが、喋ることぐらいは回復していた。
「精巧な人形だ。すまない。油断した」
「そんな小道具まで用意してたのかよ」
ジェイクは、倒れたホラン人形を一瞥した。
ここまで近づいても、人が倒れているようにしか見えない。
「なら、本物のホランさんはどこにいんだ?」
「……あいつは今、お仕事中さ」
ダイアンが言う。
「俺のために今もせっせと頑張ってくれてるよ」
「……不快な男だな」
アルフレッドが吐き捨てる。
「よく騎士になれたものだ」
「それはそこに倒れているお姫さんの親父に言ってくれや」
ダイアンはクツクツと笑う。
「俺を騎士に任命してくれたのはそいつの親父だしな。さて」
ダイアンは周囲に目をやった。
周囲の森からは焔魔堂の戦士たちが姿を見せていた。
ダイアンを中心に包囲網を敷いている。
完璧な布陣だ。逃げる隙は一切なかった。
「クハハ。こいつは大ピンチだな」
しかし、ダイアンは余裕の笑みを崩さない。
(……いざとなったら逃げれるからか)
アルフレッドはそう判断する。
話に聞く異界の宝珠。
丁度いま、あの男の手に握られている宝珠が、きっとそれなのだろう。
あれを使って別世界に移動すれば、いつでもここから逃げ出せる。
ただ、それをすれば、この場での王女殿下の拉致は諦めることにあるが……。
(それはむしろ厄介だ)
そう考える。
ここで逃せばこの男は次にどんな手を打ってくるか分からない。
もっと卑劣に。
もっと外道に。
ホランだけではない。
次は誰を手駒にするつもりか分からない。
密かに攫い、異界にて洗脳する。
どれほど警戒しても防ぎようがない。
犠牲者は必ず出るだろう。
(こいつはここで止めないといけない相手だ)
改めて、アルフレッドはそう思った。
間合いを少しずつ詰める。と、
「ああ~」
ダイアンは苦笑を浮かべた。
「ここにいる連中は全員強えェが、お前は特に強えェだろ。無茶くちゃなレベルだ。こうして目の前に立たれると全然勝てる気がしねえ」
「……なら投降するのか?」
アルフレッドがそう尋ねると、ダイアンはゲラゲラと笑った。
「そんな訳ねえだろ。一つ教えてやるぜ」
ダイアンは自分の頬をトントンと指先で叩いた。
「俺の奥歯にはある装置を仕込んである。それを思いっきり噛むとさ」
ニタアっと笑った。
「ホランが爆死する」
「………は?」
アルフレッドは思わず目を瞬かせた。
ジェイクや焔魔堂の戦士たち。エルも唖然とした顔をしている。
「何を言っている? そんなこと出来るはずが――」
「出来るのさ」
アルフレッドの言葉を遮って、ダイアンは肩を竦めた。
「威力は大したことはねえ。よくて煉瓦を壊せる程度の錠剤サイズの爆薬だ。だが、それが腹ん中で爆発すりゃあ問答無用で致命傷だ」
一拍おいて、
「これはあいつも知らねえことだ。俺は避妊薬を口移しでホランに飲ませるのが趣味なんだが、同じ錠剤に偽装してあいつに飲ませたからな」
「…………」
心からの不快感を覚えて、アルフレッドがダイアンを睨む。
それはジェイクたちも同じだが、エルに至っては殺しかねない眼差しを見せている。
一方、ダイアンは本当に愉しそうだった。
「いやあ、あの日も、もう出しまくっちまったからさあ」
クイクイっと腰を動かして、
「流石に当たっちまわねえかと内心では冷や冷やしてたもんだったが、どうやらそこでも俺は運が良いらしい。いや、もしかすっと、老いの概念がねえあの世界では妊娠とかもしねえのかもな」
今度試してみっか。
上機嫌にそう呟く。と、
「……おい。おっさん」
ジェイクがドスの利いた声で言う。
「気分の悪りい戯言はそこまでにしな。仮に爆薬があったとしても、離れた場所から起爆なんて出来るはずもねえだろ」
閃光弾の遠隔操作をした革命クラスの天才ならそれも可能かもしれないが、現在、そんな技術など存在していない。
そしてダイアンが、メルティアクラスの天才とは思えなかった。
「ん? そうか?」
すると、ダイアンはとある方向を指差した。
倒れたホラン人形である。
「まるで本物の人間みてえな凄い人形だろ? あの世界はそんなモンを創れるんだぜ。なら、威力が低い遠隔爆弾ぐらい創れるとは思わねえか?」
「……………」
ジェイクは言葉を詰まらせた。
「さて。姫さんよ」
ダイアンは倒れたままのエルに視線を向けた。
「どうする? 俺がその気になったら即座にホランは爆死だ。けど、姫さんが大人しく俺とバカンスに行ってくれるんなら、少なくともホランの命は保証するぜ?」
「……貴様……」
エルは歯を軋ませた。
次いで葛藤の表情を見せる。
ここで自分を犠牲にすれば、ホランを助けられる――。
そう考えていた時だった。
――スゥ、と。
とても静かに。
槍の穂先が、ダイアンへと向けられた。
そして、
「……お前を殺す」
アルフレッドは宣告する。
「改めて思ったよ。肌で感じた。お前は決して放置してはいけない相手だ。ここでお前を逃せば、この先、際限なく犠牲者が出てしまう」
「――おい! アルフ!」
ジェイクが驚いた顔をする。
アルフレッドの宣言はホランを見捨てるという意味だった。
エルも驚いた顔をしている。
一方で、焔魔堂の戦士たちはアルフレッドに即発されるように刃を構えた。
彼らもまた決断したのである。
それに対し、
「……なるほどな」
ダイアンは、静かに双眸を細める。
「命の選別も出来るってことか。その若さで実戦経験も豊富ってことだな。マジで化け物ばっかじゃねえか。ここは」
ボリボリと頭を掻く。
「交渉は決裂か。なら仕方がねえ」
そう呟くと、ダイアンは異界の宝珠を強く握り直して、
「ここからは戦術を変えさせてもらうぜ」
と、宣告した。




