第六章 極致の剣②
同刻。
コウタは、彼女と対峙していた。
哀れなほどに黒く染まった騎士である。
彼女は無言だった。
何も語ることもなく、短剣を逆手に構えている。
「……ホランさん」
コウタは彼女に声を掛けた。
「剣を納めてもらえませんか?」
「…………」
彼女はやはり無言だ。
「あなたの事情は大まかですが察しています。王女殿下もあなたを心配しています」
続けてそう告げるが、彼女は何も答えない。
無言のまま、足を踏み出した。
音のない、隠形に特化させた歩法だ。
まるで影が迫ってくるような錯覚を抱く。
(……この短期間で)
コウタは双眸を細めた。
見事な技量だった。
しかし、これはもう騎士の剣ではない。
今までの修練をすべて否定する想いで手に入れられる相反する歩法だ。
黒いホランは迫る。刃と共に。
短剣は、正確にコウタの喉元を狙ってきた。
「…………」
だが、コウタは焦ることはない。
わずか半歩後方に動くだけで刃を回避する。
ホランは変わらない眼差しのまま、さらに刃を繰り出した。
急所ばかりを狙った攻撃だ。
コウタはそれをすべて見切って回避する。
ホランは左で手刀も繰り出した。
ただの手刀ではない。
手袋に覆われた指先が微かに輝きを放っている。
(鋭利な刃。さらには毒か)
コウタは瞬時に判断する。
頭を傾けて回避した。
毒に詳しくはないが、わずかでも掠れば命に関わるような猛毒だろう。
短剣による攻撃は、むしろ目晦ましか。
無論、こんなものは騎士の戦い方ではない。
なのに、彼女はその瞳に苦悩も浮かべずに手刀を繰り出していた。
(……ここまで変えられて……)
刃の危機に晒されることよりも、彼女の姿に心が痛む。
こんなことならば、彼女をしっかりと保護すべきだった。
相手の異能を失念していたコウタの失態である。
と、考えた矢先、彼女が大きく間合いを取った。
コウタが眉根を寄せる。
すると、彼女が背中を向けて走り出した。
コウタは一瞬驚くが、
(……なるほど。そういうことか)
面持ちを険しくする。
彼女は囮だ。
恐らくはコウタを引き付けるための。
変わり果てた姿。変わり果てた技。
それを見せつけた上で逃亡する。コウタにすれば放置できるはずもない。
コウタにとって、エルは大切で。
エルにとって、ホランは大切なのである。
そんな人間関係をよく把握した上での策略だ。
(やってくれる)
拳を強く固めてコウタは思う。
今は彼女を追わせる。
そして頃合いを見計らって本当に逃亡するつもりなのだろう。
そのための用意もしてあると考えるべきだった。
(ダイアン=ホロットだったか)
本当に不快な男だった。
走る彼女の背中を見ると、さらに不快だった。
黒い大蛇の刺青が刻まれているのである。
貴族の令嬢であり、騎士たらんとしていたという彼女が自ら彫るとは思えない。
恐らく、あの男に刻まれたのだ。
(あの男の策略に乗るのは癪だけど、このまま彼女を放置できない)
ただ、思惑通りにこのまま逃がすつもりもなかった。
コウタは、逆手で携えていた断界の剣を順手に構え直した。
そして遠方の上空へと切っ先を向ける。
異様な気配を察したか、それともコウタがあえて見せた刀身の影に気付いたか。
ホランは走りながら、後方に目をやった。
「…………な」
そこで初めて動揺の感情を見せる。
どうやら心が完全に凍結した訳ではない。
それを知って、コウタは少しだけ胸を撫でおろす。
「避けてください」
そう警告する。
そして、十数セージルにも刀身を伸ばした断界の剣を振り下ろした。
ホランはギョッとしたが、横に跳躍して斬撃を回避した。
しかし、そのために足を止めることになる。
直後、彼女は肩を掴まれた。
――グルンっと。
足が宙に浮き、全身が回転する。
「……く」
彼女は地面に転がることになったが、即座に立ち上がり、短剣を構えた。
刃が届く間合い。
そこにはコウタがいた。
先程の斬撃によって瞬く間に間合いと潰されたのである。
「あなたがここに居るのはボクへの足止め。なら、ダイアン=ホロットは今、王女殿下の元にいると考えていいのでしょう」
長剣サイズとなった断界の剣を携えてコウタは言う。
「…………」
ホランは答えない。
しかし、表情は徐々に険しくなっていた。
コウタは瞳を細めた。
「ここでボクがやるべきことは、あなたを瞬時に無力化させること」
そう告げると、ホランの表情はさらに険しくなった。
「王女殿下……エルの安全を考えるとそうすべきだ。エルの警護は焔魔堂の人たち、そしてボクの信頼する友人たちに託しているけど、相手はどんな切り札を持っているのか分からないから、不安はどうしても抱いてしまう」
一拍おいて、
「けど、ここは彼らを信じて、あえてあなたに付き合おうと思います。きっとエルもそうして欲しいと願うと思うから」
「……どういう意味だ?」
初めてホランが口を開いた。
「今のあなたは、とても放っておけない」
コウタは、かぶりを振って言う。
「あなたの異変には気付いていた。けど、ボクの判断の甘さがあなたをさらに苛酷な運命に突き落とすことになった。これはボクの傲慢であり偽善だ。だけど……」
変わり果てた彼女を見据えて、
「もう一分一秒でも、あなたをそのままにはしておけない」
強く断界の剣の柄を握りしめる。
そして、
「剣を構えろ。ホラン」
あえて強い言葉を以て、コウタは宣言する。
「今ここで、あなたの騎士の心を再び呼び起こす」




