第五章 彼は静かに怒る➄
自室にて。
コウタは一人、瞑想して連絡を待っていた。
正座をしたまま、ピクリとも動かない。
コウタが一人だけで自室にいるのは敵の動きを警戒して、だ。
リノの見立てで敵は想定した。
恐らく、彼女の推測はほぼ正解であると思っている。
しかし、敵の全容までは分からない。
果たして敵はあの男だけなのか。
他に仲間はいないのか。
今、ホランは一体どこにいるのか。
親衛隊に、同じような犠牲者はいないのか。
エルの話では他に不自然な様子の者はいなかったそうだが、まだ安心はできない。
警戒はしておくに越したことはなかった。
コウタは監視されていることを前提に、自分はエルの護衛から外れた。
正直、とても心配ではあるのだが、そこはエルの実力と、護衛についてくれたジェイクとアルフレッド、そしてライガ直属の焔魔堂の戦士たちを信じるしかない。
そうして、もう一つ。焔魔堂の長老衆の反対も押し切ってまで、あえて護衛もつけずに一人になったことには理由がある。
(……出来れば、狙い通りになってくれると有難いんだけど……)
コウタは双眸を開いた。
あの男はエルだけではない。
コウタの命も狙っているはずだ。
リノはエルを洗脳して利用すると想定しているが、それ以外の手段でコウタの命を狙ってくる可能性もある。
コウタとしてはエルを危険に晒さないで済むのでそちらの方が有難いのだが……。
『……コウタ』
その時、不意に声が聞こえた。
(……え?)
耳朶を打つ声ではない。
脳に直接響いてくる声だ。
「え? 零号?」
コウタは自身の耳に触れて尋ねる。
コウタの耳には今、装飾具が装着されている。
これもメルティアが急遽造ってくれた試作品で、不安定で強いノイズが入りつつも、三千セージルぐらいまでの距離ならば、ある程度の通話が出来る代物だ。
完成品ともなれば、世界が変わる発明品である。
そんなモノを即興で造れる彼女は、本当に天才だと思った。
それも時代を変革させてしまうほどの天才だ。
メルティアはメルティアで、利権を望む者に狙われかねない。
コウタはそんなことを危惧していた。
――無論、絶対に守らなければとも。
ただ、今の零号の声は、そんな彼女の発明品からの声ではなかった。
『……遠話ヲ使ッタ』
零号は言う。
『……コッチノ方ガ、キコエヤスイカラナ』
「確かによく聞こえるけど……」
コウタは頬を掻いた。
「何か凄いね。脳に直接来る感じって……」
『……慣レタラ、大丈夫ダ。ソレト、声ニシナクテモ、会話ハ、デキルゾ』
「あ。そうなんだ」
コウタは口を閉じてみた。
『聞こえる? 零号』
『……ウム。聞コエルゾ』
『うわあ、凄いなあ』
コウタは純粋に感心したが、
『あ。それより、零号が連絡してくるってことは……』
『……ウム。外道ガ、ウゴキダシタ』
『……そっか』
コウタは双眸を細める。
『……やっぱりエルの方に来たんだ』
『……ウム。今ハ、エルト話ヲ、シテイル』
「……そっか」
コウタは、今度は口に出して立ち上がった。
この一件、首謀格はあの男――ダイアン=ホロットとみて間違いない。
その男が直接、エルの元に現れた。
ならば、狙いは間違いなく彼女の確保だろう。
リノの想定通りの事態が始まったということだった。
(だったら、ボクもエルの元に行った方がいいか……)
そう思案する。
そして、
『零号』
『……ウム。ナンダ?』
『事態が動き出した。ボクもエルの方に合流するよ。メルたちにはそう伝えて』
『……ウム。了解シタ』
『ところでこの遠話ってボクの方からも出来るの?』
そう質問すると、
『……可能ダ。マズ、ワレノ名ヲ呼ンデ、話シカケレバイイ』
遠い場所の零号が答える。
『うん。了解。零号たちはエルの方に集中して。いざという時は頼むよ。こっちも何かあったら声を掛けるから』
コウタは頷いた。零号は『……了解ダ』と応じた。
零号との遠話はそこで一旦途絶える。
そうして短剣化した断界の剣を逆手に持って部屋を出る。
襖を開ければそこは庭園沿いの廊下だ。コウタは縁側に置いておいた軍靴に足を通し、庭園に降りる。エルの部屋に行くには庭園を抜けた方が早いのと、荒事になるのなら靴を履いた方がいいからだ。
コウタは庭園へと進もうとした時だった。
「―――ッ」
不意に双眸を細める。
そして前へと大きく跳躍する!
その直後、
――ドンッ!
何かが落下する。屋根に潜んでいた者が降りて来た音だ。
本来は奇襲のつもりが、直前に標的に気付かれて外した音だった。
コウタは、ゆっくりと振り向いた。
(……なんて酷い瞳だ)
そう思う。
そこにいたのは女性だった。
コウタの知る女性だ。
しかし、その雰囲気は全く変わっていた。
全身に纏うのは漆黒のボディスーツ。
首元を押さえて、肩と背中を大きく解放したスーツだ。
口元には黒いマスク。手には逆手に構えた短剣が握られている。
それをコウタの背中に突き立てるつもりだったのだろう。
――ホラン=ベース。
コウタたちがその身を案じていた探し人だった。
「……ホランさん」
コウタが声を掛けるが、彼女は何も答えない。
ただ、静かに、逆手のまま短剣を構えた。
その姿は、もはや高潔な騎士ではない。
地の底まで堕ちて穢れ切った暗殺者のモノだった――。




