第五章 彼は静かに怒る③
ホラン=ベースの捜索は日が暮れるまで行われた。
しかしながら、これといったわずかな手掛かりさえもなく。
その日の捜索は打ち切りとなった。
親衛隊のメンバーには続行を願い出る者もいたが、各自流石に疲労も大きく、最終的には王女殿下の命で休息を取ることを了承した。
今は騎士団のメンバーはムラサメ邸で休息している。
明日の朝には捜索を再開する予定だ。
「…………」
そんな中、エルは一人、ある部屋に訪れていた。
一人用の小さな和室。
そこには一人の老人が眠っていた。
別人のように老化してしまったガンダルフ=バース司教だ。
点滴によって容体こそ安定しているが、彼は未だ目を覚ます様子はなかった。
この里の医師や、彼女の部隊の軍医の話では多大な疲労のためだそうだ。
「……司教」
エルは両膝をつくと彼の手を取った。
「……あなたもあの黄金の少年に関わったのですか?」
そう尋ねるが、彼は何も答えない。
ある程度回復すれば目を覚ますそうだが、やはり疲労は大きいのだろう。
あのような人外の力を使っては当然だ。
(……出来れば少しでも情報を入手しておきたかったのだが……)
エルは嘆息する。
目を覚まさなければ話も聞けない。
(騎士団に潜む裏切り者……)
ホランを拉致した人物。
そいつの狙いは、まず一つとしてコウタの殺害だ。
だが、恐らくはそれだけではない。
(……リノ=エヴァンシードは言っていた……)
思い出すのは、コウタと共に彼の仲間の元に訪れた今朝のことだった――。
◆
「まず言っておくが、下衆になるほどメリットには敏感なものじゃ」
あの時、リノ=エヴァンシードはそう切り出した。
「あの司教とやらは信仰心につけ込まれて手駒にされた可能性が高そうじゃな。じゃが、あの男は違うぞ。あやつ自身に何かしらのメリットがあるからこそ、コウタの殺害を引き受けたのじゃろうな」
その話に耳を傾けつつ、エルはグッと拳を固めた。
――メリット。
果たして、それは一体何なのか。
リノは言葉を続けた。
「欲にも色々とあるものじゃが、あの手の輩はシンプルな者が多い。最も強く望む欲は大抵三つじゃな。金と女と権力じゃ」
「……何とも分かりやすいぐらいの欲望だな」
と、感想を告げたのは、コウタの親友のジェイクだった。
それに対し、リノは「はっ」と笑った。
「シンプルと手侮るなよ。欲の探究者とも呼べる男を父に持つわらわが言うぞ。むしろ欲とはシンプルなモノほど強烈でもあるのじゃ。さて」
リノはその場にいた者たちに視線を向けた。
「メルティア=アシュレイ。リーゼ=レイハート」
二人の少女の名を呼ぶ。
彼女たちは小首を傾げた。
「何か用ですか? ニセネコ女」
「わたくしたちに何か?」
そう尋ねる二人にリノはかぶりを振った。
「いや、用がある訳ではないが、お主たちはエリーズ国の公爵令嬢じゃからのう。アンジェリカよ。お主もハウル公爵家に連なる名家の娘じゃったの?」
「ええ。そうだけど?」
と、アンジェリカが眉根を寄せて答える。
「コウタの周りには意外と令嬢が多いからの。言い換えれば、金と女と権力の三欲を満たせる者も多いということなのじゃが、あやつはそんなことは知らんじゃろうな」
一拍おいて、
「少し脱線したかのう。もし、あやつがお主らの素性を知っておれば、お主らも狙われてもおかしくなかったということを言いたかったのじゃが、ともあれじゃ。結果的にあやつの近くで三欲を揃えて満たせる者――というより、浅ましい妄想を抱くような相手は一人だけじゃろう」
そこでリノはエルを一瞥した。
エルは「……ん?」と一瞬キョトンとしていたが、
「……ああ。そういうことか」
おもむろに、アルフレッドが渋面を浮かべた。
全く同じタイミングで、コウタとジェイクも眉間にしわを寄せている。
「しかも、これも結果論かも知れないけど、彼女はコウタとも親しいしね。けど、そうなると、ベースさんが狙われたのは……」
「え? どういうことだ?」
アルフレッドの呟きに、エルは小首を傾げた。
「何の話だ? コウタ?」
エルは困惑して、コウタの方を見つめた。
彼は渋面を浮かべたままだったが、ややあって、
「多分、その男が狙っているのは……君なんだ。エル」
「……え?」
「きっと、そのためにホランさんを狙ったんだ。その男は……」
「――――な」
エルは目を見開いた。
「まあ、コウタではそれ以上は言いづらいじゃろうな」
リノが嘆息して言葉を続ける。
「わらわの推測を言うぞ。そやつの目的は三欲を揃えておるお主じゃ。そしてホランという娘はお主の側近ゆえに攫われて手駒にされたのじゃろうな」
あまりにもはっきりとした物言いに、エルは言葉もない。
「コウタから聞いてもにわかには信じ難い能力ではあるが、コウタとお主が捕えられたという異界の宝珠とやらを使ったのじゃろうな。ならば、お主にも同様のことを仕掛けてくるはずじゃ。そしてその異界にてお主を奴隷にする」
リノは嘆息した。
「典型的な下衆じゃな。本当にどこにでもいる下衆じゃ。日頃からお主相手に妄想でもしとったんじゃろうな」
一拍おいて、
「お主ほどの美貌じゃ。単純にお主を手籠めにしたいと考えておったのか、あるいはお主を足掛かりに王族にでも成り上がるまで妄想しておったか。本来ならば、それはただの妄想で終わるはずだったところを、そやつは人外と出会ってしまった」
元同僚だった異形の存在を少し思い出しつつ、
「そして力を与えられた。常からの妄想が現実に成り得る可能性を得たのじゃ。まあ、すでに犠牲になっておるホランという娘が報酬だったという可能性もないこともないが、それならば、わざわざあのような試合に出させるとは思えぬ。そうなると、やはりお主こそが本命なのじゃろうな」
「……………」
エルは未だ言葉もなかった。
が、すぐにハッとして、
「じゃ、じゃあ、ホランが攫われて酷い目に合っているのは私のせいなのか!」
思わずそう叫ぶが、誰も答えられない。
が、そんな中でリノだけは、
「馬鹿馬鹿しい。何を言っておるのじゃ。お主は?」
「え?」
「悪いのは全部そやつじゃ。わらわの立場だからこそ言うが、犯罪が起きた時、悪いのは犯罪者に決まっておろう」
小さく嘆息して、
「ましてや、被害者に何の罪があろうか。確かに巻き込まれたこと自体は不運ではあろうが、それは断じて罪ではない」
と、《黒陽社》の元姫君は断言した。
エルはもちろん、彼女の素性を知るメルティアやリーゼたちも目を丸くしていた。
すると、コウタがおもむろにリノの元に赴き、
「……ありがとう。リノ」
彼女を強く抱きしめた。
リノは一瞬、「え?」とキョトンとしていたが、
「――のっ!? コ、コウタっ!?」
いきなり抱きしめられて真っ赤な顔でパニックを起こしていた。
コウタがメルティア以外でこうも大胆に抱きしめる行為は非常に珍しかった。思わずメルティアたちも唖然として硬直していた。
「……君はやっぱり優しい子だ」
言って、愛おしさを隠せない様子でリノの髪を撫でるではないか。
「の、のののっ!? と、ともかくじゃ!」
何気に攻められることに弱いリノは耳まで赤くした。
それを誤魔化すようにエルを一瞥して、
「そ、その、お主が気に病むことは一切ないのじゃ! それより重要なのは次に狙われるのは十中八九お主だということじゃ! よいか! 気を引き締めよ!」
そう告げた。
その後は、コウタの背中をぎゅうっと掴んで顔を埋めていた。
ちなみに数秒後には、メルティアたちに引き剥がされていたが。
いずれにせよ、リノの言葉は、エルの心に深く刻まれた。
そうして現在に至るのである。
「…………」
エルは、眠り続ける司教を見つめていた。
と、その時だった。
「……殿下」
不意に部屋の外、襖越しに声を掛けられた。
(……来たか)
エルは視線を襖の方へと目をやった。
「……どうした?」
「……失礼します」
その言葉と同時に、襖が開かれる。
そこには一人の騎士がいた。
礼節を以て片膝をつくその人物の名は――。
「……殿下に、お知らせしたき儀がございます」
ダイアン=ホロットと言った。




