第二章 御子の凱旋➂
十分後。
(………はン)
やたらと熱気の上がった部屋を後にして。
ダイアンは一人、庭園沿いの渡り廊下を歩いていた。
(物好きな連中だぜ)
お姫さまの会議は終わった。
しかし、あの部屋にはまだ多くの騎士が残っている。
ダイアンは付き合ってはおられず、こっそりと部屋から抜け出した。
(あの小僧の昨夜の化け物っぷりをもう忘れたのかよ)
呆れた想いでそう思う。
親衛隊の小娘どもは、まあ、仕方がないだろう。
所詮は新兵。明らかに経験不足だ。まだまだ世界の広さを知らない。
非条理な怪物というのは間違いなく存在するのだ。
だが、ベテラン騎士どもまで、あの化け物に立ち向かう気でいるようだ。
(相手の力量が読めねえような連中でもあるまいし)
眉をひそめた。
明らかに騎士たちは冷静さを失っている。
原因はやはりお姫さまか。
主君たる国王に心酔するベテラン騎士たちにとって、あのお姫さまは自分の娘にも等しいほどに大切な存在らしい。
そんな娘が、突如、家を捨てて嫁に行くなどほざいているのだ。
しかも相手はどこの馬の骨かも分からない上、たった一夜での心変わりである。
冷静さを失うのも仕方がないことかもしれない。
(だがよ、鎧機兵戦で勝ち目がねえのは当然として)
ダイアンは歩きながら庭園に目をやった。
そこには庭師が一人いる。
額に一本角を生やした三十代ほどの男だ。
(……ありゃあ強ェえな)
庭師に扮しているが、恐らくはこの屋敷の護衛の一人だ。
恐らくは自分と五分か、それ以上か……。
(しかも、あいつだけじゃねえ)
この屋敷ですれ違った相手は全員があのレベルなのだ。
正直、ここは化け物屋敷かと思ったほどだ。
まあ、実際に全員が角なんぞ生やしているのだから人間なのか怪しいが。
(あんな連中を従えるボスだぞ。対人戦でも弱いはずがねえだろ)
皮肉気な笑みと共にそう思う。
束になろうが、騎士たちに勝ち目はない。
それが自分の予想だ。
「しかし、そうだな……」
ダイアンはふと足を止めて、ポツリと呟いた。
行うのは模擬戦だ。
負けても殺されることはないだろう。
「……考えようによってはあの小僧の手の内を知るいい機会か」
そう思い直す。
とは言え、自分が痛い目に遭うのは御免だった。
ここは早速手駒を使うことにしよう。
「俺の見立てじゃあ相手にもなんねえだろうが、そこは裏技でも使わせるか。上手く行きゃあ怪我の一つぐらいは負わせれるかもな」
あの女には情事のテクニックのみならず、そういった技も教えている。
決して高度な技ではない。
むしろ、そこそこの力量があれば誰でも使える技だ。
要は、どれだけ卑劣になれるかといった類の技である。
これを教えた時のあの女の怒りの表情はよく憶えている。
育ちのいいお嬢さまには、いささか刺激が強すぎたのかも知れない。
まあ、その怒りも快楽と屈辱で塗り潰してやったが。
「おし。ホランには参加させることにすっか」
と、決めた時だった。
「やあ。元気かい? ダイアン君」
不意に後ろから声を掛けられた。
(―――な)
ダイアンは、ギョッとして振り返った。
屋敷の渡り廊下。そこにいたのは黄金の髪の少年だった。
「だ、旦那……」
唖然とする。
まさか、こんな敵地のど真ん中で声を掛けてくるとは――。
(こいつ!? 馬鹿なのかッ!?)
思わず内心でそう叫ぶ。と、
「酷いなあ。僕はそこまで馬鹿じゃないよ」
黄金の少年は朗らかにそう告げた。
当然、叫びは声には出してない。
どうやら心を読んだようだ。
ダイアンは、流石に恐怖を覚えるが、
「……旦那」
神妙な声色で告げる。
「ここは敵地です。旦那みてえな目立つ御方が堂々と現れては……」
「ああ。それなら心配しないで」
ダイアンの進言に、黄金の少年は片手を振って笑った。
「二人きりで話をしたかったからね。時間を停めさせてもらったよ」
「―――は?」
ダイアンは目を見開くが、すぐにハッとして先程見た庭師に視線を向けた。
庭園を剪定していた庭師は、ハサミを構えたまま硬直していた。
凍り付いたように表情も変わらない。恐らく息さえもしていない。
ダイアンは背筋に悪寒を覚えつつも、空を確認した。
青空。そこには数話の鳥がいる。
(う、嘘だろ……)
ダイアンは絶句した。
羽ばたいていない。翼を広げたまま、空中で固定されていた。
「ね。大丈夫でしょう」
黄金の少年は言う。
「ここで今、動けるのは僕たちだけだ。正直、時間停止って使い勝手が悪いんだけど、こういう時には便利な力だよ」
と、説明する少年を、ダイアンは目を見開いて凝視することしか出来なかった。
幾らなんでもあり得ない。
自分は本当に人外と取引しているのだと、根源的な恐怖を感じていた。
すると、
「あれ? もしかしてこの能力って気に入った?」
小首を傾げて少年はこう言った。
「なら、君に与えるのはこの能力にしようか?」
「…………え?」
ダイアンは、キョトンとした。
「へ? 与える? くれるんすか!? この力を!?」
全身を使って愕然と叫ぶダイアンに、少年は「うん。いいよ」と応えた。
「元々君に力を授けるつもりで来たんだ。なんでかは言うまでもなく分かるよね?」
「そりゃあ分かりますが……」
未だ動揺しつつも、反射的に頷くダイアン。
少年は言葉を続ける。
「OK。君には彼を始末して欲しんだ。この力は報酬の一つだよ。ただ、さっきも言ったけど、これって意外と使い勝手は悪いからね。ましてや人間の君だとさらに条件がつく。いいかい――」
そう切り出して、少年は時間停止の力について説明を始めた。
主にそのリスクと制約についてだ。
ダイアンは、真剣な顔つきで耳を傾けていた。
「君が望むのなら他の能力にするよ? どうする?」
と、尋ねる少年に、
「……いえ。これでいいっす」
ダイアンはそう答えた。
「切り札には丁度いいっすから」
「うん。そっか」
黄金の少年は頷いた。
「ならば授けよう。我が力の一端を」
言って、指先をダイアンの額に向けた。
「我が力を以て神敵を討て。ダイアン=ホロット」
その宣告にダイアンは少し緊張する。が、ややあって。
「うん。これでこの力は君のモノだ」
「え? マジっすか?」
ダイアンは目を瞠った。
「全く変化がないんすけど?」
自分の手のひらを見ながら、ダイアンが言う。
「別に身体能力が上がるような能力じゃないしね。けど、確実に君のモノになったよ。後で試してみるといいさ」
黄金の少年は肩を竦めた。
そうして、
「じゃあ、僕はそろそろ傍観者に戻るよ。君は主役として頑張ってくれ」
そう告げて、黄金の少年は宙に浮かび、そのまま空の彼方へと消えていった。
同時に鳥が動き出すのが、ダイアンの視界に映る。
(……マジかよ)
ダイアンは片手でボリボリと頭をかいた。
(まさか、ここまで破格の能力をくれるとはな)
再び廊下を歩き出す。
だが、先程に比べて明らかに早足になっている。
十分ほど進み、ダイアンは廊下の角を曲がった。
そこには人の姿はない。
庭園にも、近くの部屋にも人の気配はなかった。
ダイアンはゆっくりと足を止めた。
「くか、か……」
口元を片手で押さえる。
だが、こみ上げる感情までは抑えきれそうもなかった。
そうして、
「かかッ! かはははははははははっは――ッ!」
堪え切れずその場で声を張り上げた。
「来てるッ! 来てるぜえッ! 俺の時代がよォ!」
――異世界の宝珠。
――上質な奴隷。
そして今回の異能。
まさに絶好調だった。
女神に愛されていると言っても過言ではない。
「かはははははははははははははは――ッ!」
誰もいない渡り廊下に哄笑が響く。
「まだだ! これからだッ! 俺は手に入れる! すべてをなあァ!」
ダイアンは、天を仰いで両手を伸ばした。
歪なる野心はさらなる熱を放って燃え上がっていた。
もはや彼自身にも止められぬほどに。




