第八章 魔王降臨④
それはある晴れた日のこと。
エルは一人、森の中を進んでいた。
今やお気に入りの服の一つとなったエルサガの民族衣装に身を包み、長剣を携えた《ザフィーリスⅡ》に乗って森の奥へと向かう。
――《ザフィーリスⅡ》。
これは巨城に望んで手に入れた鎧機兵だった。
しかし、大破した初代に比べると、まるで玩具のような性能だ。出力・膂力ともに初代の十分の一以下。鎧装に至っては胸部装甲がないのだ。
今も彼女の身体は外気に剥き出しにされていた。
もはや、業務用の機体と呼んでも差し支えのない鎧機兵である。
何度願っても出てくるのはこの機体ばかりだった。
どうやらあの城も、あまりに過度な願いまで叶えることは出来ないらしい。
ちなみに《ザフィーリス》の修復も願ってみたが、叶うことはなかった。
まあ、不満の多い機体だが貴重な鎧機兵だ。
エルはこの機体を《ザフィーリスⅡ》と名付け、愛機代わりにしていた。
(まあ、森の中を進むには楽だしな)
ズシン、ズシンと《ザフィーリスⅡ》は進む。
しかし、彼女の探し人の姿は見つからない。
仕方がなく、エルは瞳を閉じた。
そうして、
(……よし)
次に開いた時、その瞳――左目は黄金に輝いていた。
エルはその瞳で森の奥を見据えた。
そして五秒後、
「うん。見つけた」
エルは微笑んだ。
彼女のこの左目には不思議な力が宿っていた。
この世界に来て得た力かと思ったが、よくよく思い出せば、その直前にはすでに発動していた。恐らくこれは父の血の影響だ。父の家系――特に母方の家系には、そういった特殊な力を宿す者が稀にいるらしい。
エルのこの瞳もその一つなのだろう。
最初は困惑していたが、今はこの力の本質も理解している。
彼女の瞳の力とは『強さ』を探知するモノなのだ。
発動中は視力を失うが、代わりに恐ろしく広範囲まで強さを探知できるのである。
生物の気配を読む《星読み》という技術に似ているが、虫に至るまでのあらゆる生物の気配を拾い上げる《星読み》と違い、エルの場合は強さの下限値を設定し、余計な気配を遮断することも出来た。
正常な右目と重ねて使えば、《万天図》の生物版とも言える異能だ。
そう考えると、それなりに役に立つ能力だった。
エルはこの力を使い、探し人――コウタの居場所を見つけたのである。
「けど、凄いな……」
エルは森の奥を見つめたまま、自分の胸元を片手で抑えた。
心臓がドキドキしていた。
「コウタは、また強くなってる」
この異能を使うたびに、コウタの力が上がっていることを実感する。
時間だけは無限にあるようなこの世界。ここに落ちてからエルも相当に力量を上げたつもりなのだが、最近は訓練相手をするのもかなり厳しかった。
もはや自分では敵わないと感じていた。
彼こそが自分の主人なのだと誇らしくなるほどだ。
強くて優しい、誰よりも愛しい人。
彼女の運命の人。
けれど、
「……むむゥ」
エルは頬を膨らませた。
たった一つだけ。
たった一つだけ、彼にはとても大きな不満があるのだ。
絶対に認められない不満だ。
それに関しては、そろそろ文句を言いたいぐらいだった。
そんな不満を抱きつつ、エルは《ザフィーリスⅡ》を走らせた。
森の景色が移りゆく。
時折、獣の姿も見かけるが、やはり平穏な場所だ。
まるで箱庭のような世界だと改めて思う。
と、そうしている内に森を抜けた。
そこは大きな広場。湖がある場所だった。
エルが周辺を見やると、黒い鎧機兵の姿があった。
――《ディノ=バロウス》。
伝説の《悪竜》の名を冠する鎧機兵である。
信じ難いが、あの優しいコウタの愛機とのことだ。
コウタに《ディノス》の愛称で呼ばれる機体は両膝をついて待機していた。
操手が不在の証だ。
その操手――コウタは湖の前で立っていた。
黒い騎士服に、手には切っ先が手斧のような黒剣を携えている。
コウタは、静かな眼差しで湖を見据えていた。
「………」
エルは声を掛けずにその場で止まった。
沈黙が続く。
すると、
「…………」
……すうっと。
コウタが無言で黒剣を掲げた。
静寂。
そして――。
黒い双眸を細め、コウタは黒剣を振り下ろした。
刀身は何も触れていない。
宙に舞う木の葉にさえもだ。
だが。
――ピシリ。
おもむろに、湖面に一筋の線が刻まれた。
それは瞬く間に水辺同士を結ぶ。
そして次の瞬間、
――ザパンッ!
湖は壮大な水飛沫を上げ、二つに分断された。
高飛沫は左右に割れて、津波のように森を濡らした。
後に残るのは、水の無くなった湖の跡だけだった。
「……ふう」
と、コウタが息を吐く。
あれだけの水飛沫の中、彼は全く濡れてなった。
ただ、それはあくまで彼だけの話だった。
「……えっと」
コウタが、エルの方へと振り向いた。
コウタと違い、彼女は運悪く水飛沫に呑まれる位置にいたのだ。
さらに言えば一瞬のことで逃げる暇さえもなかったのである。
当然、彼女はびしょびしょだった。
髪も服も、全身から水が滴り落ちている。
巨大なお椀のような《ザフィーリスⅡ》の操縦席にまで水が注がれて、まるで入浴でもしているかのような状態だった。
「……コウタ」
ずぶ濡れのまま、ジト目で睨むエル。
「え、えっと……」
コウタは、ポリポリと頬を掻いた。
そして、
「ごめん。エル」
彼女の主人は素直に謝った。




