第八章 魔王降臨➂
そうして。
日が沈み、夜が訪れる。
聖アルシエド王国の一行は、その後、撤退することなく進行していた。
理由としては、ミュリエル殿下が戻って来られなかったからだ。
敵に返り討ちにあってしまった。
誰もがそう考えたが、殿下が殺されたとは考えなかった。
まずは殿下が敵と遭遇したらしき場所に偵察したが、そこには殿下のご遺体はおろか、愛機の残骸すら見つからなかったこと。
相手は蛮族だ。恐らくは殿下は愛機ごと攫われたのだ。
騎士たちはそう判断し、殿下の救出のために進行することに決定したのだ。
その間、ガンダルフは意見を述べなかった。
殿下はすでに亡くなられている。
そう語ったところで、騎士たちが信じるはずもないからだ。
ましてや、今回の遠征はガンダルフの進言から始まったものだ。
すでに六名の犠牲者が出ており、その上、殿下まで亡くなったなど、ガンダルフの口から語ったところで不満や怒りを買うだけだろう。
ガンダルフは、ただ神使の導きのまま、彼らをこの森の奥にまで導いた。
ここは神敵の本拠地から、数時間ほどの距離を取った場所だ。
全員の疲労も大きい。
同僚を失い、殿下を攫われたことで士気も下がっている。
今日はここで野営をし、明日、改めて侵攻する予定だった。
この付近には都合のいい広場はないので、彼らは、それぞれテントが幾つか張れるような場所を見繕い、点在する形で野営地を築いた。
襲撃には重々警戒すべしと訓示し、彼らは一時散開した。
ガンダルフも、比較的に大きな広場で数名の上級騎士たちと野営することになった。
夜遅く。ランタンで照らされたテント内。
騎士たちは、明日の戦闘について議論を交わしていた。
「やはり殿下の救出が最優先だろう」
「そうだな。ならば陽動班と救出班に分けるか」
「だが、敵の拠点を闇雲に探しても見つかるまい。まずは偵察班を送るべきか」
「その際は奴らに気付かれないようにせねばな」
そんな意見が飛び交う。
白熱はしているが、その意見は堅実であり、冷静なモノばかりだった。
無謀な特攻案だけは一度も出てこない。
流石は歴戦の上級騎士たちといったところか。
その様子をしばし見つめた後、ガンダルフは席を立った。
「バース司教?」
騎士の一人がそれに気付く。
「どちらへ?」
「……祈りを」
錫杖を手に、ガンダルフは口を開いた。
騎士たちの視線が、ガンダルフに集まる。
「明日の必勝と、今日の弔いの祈りを捧げたいと思います」
「……バース司教」
騎士の一人が頭を下げた。
「ありがとうございます」
「司教。護衛をいたしましょうか?」
別の騎士がそう申し出てくれるが、ガンダルフはかぶりを振った。
「それには及びませぬ」
ガンダルフは申し出てくれた騎士に一礼して返した。
「軍議を邪魔する訳には行きませぬ。ご安心を。遠くに赴く訳ではありませんから」
「そうですか。では」
改めて、騎士たちは頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。我らの勝利と、彼女たちの冥福を」
「はい」
ガンダルフは頷いた。
「我が全霊を以て、お祈りいたしましょう」
シャラン、と錫杖を鳴らして。
ガンダルフはテントを出た。
視界に広がるのは、夜の森に覆われた小さな広場。
近くには二つのテントがあった。
視線を向ける。
すでに、ランタンの灯火が消えていた。
よほど疲れていたのだろう。もう眠りについているようだ。
あそこでは親衛隊員たちが休んでいるはずだった。
まだ二十代のうら若き乙女たちである。
ガンダルフにとっては、まだ子供と呼んでもいい。
未来ある若人たちだった。
今日亡くなった六名も二十代ばかりだったと聞く。
ミュリエル殿下に至ってはまだ十代である。
そんな彼女たちの未来は奪われた。
すべては、神敵の脅威を見誤ったガンダルフの失態のせいである。
「……………」
グッと。
錫杖を強く握って、ガンダルフは歩き出す。
沈黙するテントの横を過ぎ去って、森の奥へと向かう。
しばらくすると、森の中で月明かりがわずかに差し込む場所に来た。
人が二、三人ほど入れそうな、森の間隙のような空き地。
まるで月の雫が零れ落ちているような場所だった。
ガンダルフは錫杖を抱えると、その場にて両膝をついた。
瞳を閉じ、そして殿下と六名の乙女たちの冥福を祈った。
真摯なる祈りだ。
ただ、ガンダルフは明日の必勝は祈らなかった。
その必要がなかったからだ。
騎士たちも。
乙女たちも。
もう誰一人、死なせるつもりはなかった。
(わが身に代えて……)
強く祈る。
女神と、心の裡に宿った力の種に。
(戦うのは私だけだ)
そう覚悟する。
――ドクンッ、と。
心臓が大きく脈動する。激痛にガンダルフは歯を軋ませた。
(この程度の痛みが何だ!)
彼女たちの苦痛や恐怖に比べれば、些細なモノだ。
祈る。
祈り続ける。
誰よりも真摯に。
何よりも純粋に。
《夜の女神》の司教。
無欲のガンダルフは祈り告げた。
そうして――。
いつしか、ガンダルフの全身からは、光の粒が浮き上がっていた。
最初は一粒の輝きだった。
だが、徐々に数を増やし、遂には全身から立ち昇るようになった。
けれど、ガンダルフはそれにも気付かない。
一切の迷いなく、祈り続けていた。
光は湧き上がる。
すでに心臓の痛みは消えていた。
ただ圧倒的な万能感、心地良さだけが胸中にあった。
光は渦を巻いて天へと昇る。
そして、ガンダルフの風貌にも大きな変化があった。
白髪が多かった髪が、黄金に輝き始めたのだ。
「……《夜の女神》よ」
瞳を開き、ガンダルフは願う。
「我に神敵を討つ力を――」
かくして。
大いなる祈りの光。
命の輝きによって、暗い夜空は照らされるのであった――。




