幕間一 武王の真意
――コツコツコツ。
大理石の廊下に足音が響く。
赤い外套を纏う騎士の足音である。
年齢は五十代半ばほどか。
絢爛な騎士服は、彼の地位の高さを示していた。
壮年の騎士は歩き続ける。
ややあって、大きな扉へと到着した。
扉の左右には、それぞれ槍を持つ騎士が控えていた。
騎士たちは、男性に敬礼をした。
「陛下はおられるか?」
男性がそう尋ねると、
「は。アーニャさまをお待ちしておられます」
「そうか。では頼む」
「はっ」
言って、騎士の一人が三度、石突きで廊下を突いた。
数秒後、ゆっくりと扉が開かれていく。
幾つもの荘厳な柱で支えられたその場所は謁見の間。
中央には赤い絨毯が敷かれ、左右には大臣と将軍、騎士たちも列を成す。
そしてその先には玉座がある。
王と王妃が御座す二つの玉座である。
男性騎士は、ゆっくりと進み、王の前で片膝をついた。
「ガルガ=アーニャ上級騎士。参りました」
「うむ。よくぞ参った。アーニャよ」
王が頷く。
白いファーを持つ赤き外套を纏い、黄金の冠を戴く王は黒髪の人物だった。
――アシハラ=アルシエド。
母方に、アロン大陸の血を引く王の名である。
王はかなりの巨漢であり、年齢的には六十後半だというのにその肉体には一切の老いが感じられない。覇気に満ちている。
ただそこにいるだけで威を放つ主君に、ガルガは改めて頭を垂れた。
「面を上げよ。さて。アーニャよ」
王が問う。
「此度は何用だ?」
今日、謁見を求めたのはガルガの方だった。
「――は」ガルガは顔を上げた。「我が娘、ベルニカのことであります」
ガルガは主君に問う。
「まさかの噂が耳に入りました。異国にて嫁いだという我が娘が、実際のところは悪漢にかどわかされたのだと……」
「…………」
王は無言だ。
「その上、その救出に、ミュリエル王女殿下が向かわれたと……」
ガルガは、主君の顔を見据えた。
「ここ数週間、王女殿下のお姿を拝見しておりませぬ。親衛隊の姿もです。陛下。もしや噂は真実なのでは?」
「……………」
王は未だ沈黙していた。
が、ややあって。
「お前に対してだけは箝口令をしいていたのだがな……」
と、切り出した。ガルガの顔色が変わる。
「ミュリエルが出向くとなると、お前が反対すると思ってな」
「――では、真実と!」
ガルガは目を見開いた。
「我が娘の手紙も偽装と! どこでその情報を入手されたのです!」
不敬と思いつつも、ガルガは矢継ぎ早に問う。
「そもそも、どうしてミュリエル殿下を! 我が娘のことならば私が手勢を率い、救出に向かうべきではありませぬか!」
「………陛下」
その時、不意の女性の声が響いた。
もう一つの玉座に座る女性。すなわち王妃である。
腰まで下ろした桜色の髪と同色の瞳。群を抜いたプロポーションの上に黄色いドレスを纏う、褐色の肌の美しい女性だった。
年齢は四十代に入ろうとしているのだが、全くそうは見えない。
二十代と言われても信じる者は多いだろう。娘と並ぶと、まるで姉妹のようだと国内外で噂されるほどの若々しさと、美貌を持つ王妃である。
かつての褐色の美姫は、褐色の美妃と名を変えて健在だった。
名をアリア=アルシエドといった。
「私も疑問がございます」
アリアは夫に尋ねる。
「ベルニカは私も可愛がっていた娘。拉致が真実ならば救出に異論はございませぬ。ですがアーニャ殿が仰る通り、救出に向かうべきはミュリエルではなく、御父上であるアーニャ殿にお任せすべきではなかったのでしょうか」
王妃の指摘に、ガルガは改めて主君の顔を見据えた。
不敬であっても、こればかりは見据えずにはいられない。
「……うむ」
すると、王は渋面を浮かべていた。
「許せ。アーニャよ」
自分の臣下である前に、件の娘の父である騎士に謝罪する。
「まず、ベルニカの父であるお前に情報を伏せていたことを許して欲しい。だが、この情報自身、余はどうも懐疑を抱いておるのだ。情報をもたらした者は信に値するが、どうにも全く別の者の思惑を感じるのだ」
「……別の者ですと?」
ガルガは眉根を寄せた。
「これは余の直感だ。確証がある訳ではない。ただ、娘をかどわかされたなど話せばお前や奥方殿が心穏やかでいられるはずもない。言い訳になってしまうが、真相究明も含め、まずは斥候も兼ねての部隊を編成したのだ」
「……陛下」
主君の配慮に、ガルガは頭を垂れた。
「身に余るご配慮、心より感謝致します。ですが、我が娘のためにミュリエル王女殿下を危地に赴かせては……」
「すまぬ。それに関しても謝罪しよう」
続けて、王はそう告げた。
ガルガは眉根を寄せた。
「……? それはどういうことでしょうか?」
「……うむ」
すると、王はガルガと妻に目をやって、
「許せ。それに関しては余の我儘なのだ。ミュリエルに遠征を許可したのは、あの子に経験を積ませたかったからだ」
「……どういうことでしょうか? 陛下?」
アリアも眉をひそめて問う。
「……ミュリエルは」
一拍おいて、王は妻を見つめた。
「お前の美しさを継いだ。見事なまでに。だが、武才においては……」
「……あの子には才がないと?」
少し険しい顔で、アリアは尋ねる。
彼女の武に対する拘りは、若き日から変わらない。
「お言葉ですが陛下。あの子の才は――」
と、身を乗りだそうとする妻を、王は「違う」と片手で制した。
「その逆だ。あの子の秘めたる才は、余の想像をも超えたモノだったのだ」
そうして、王国最強の戦士が言う。
「あの子の秘めたる才は、我が弟にも届きうるモノだったのだ」
その言葉に。
ガルガを始め、この場にいる古き騎士たちは息を呑んだ。
そして数瞬後には「馬鹿な!」「かの王弟殿下にとな?」と騒めき始めた。
「……陛下の弟君ですか?」
そんな中、アリアは小首を傾げた。
「……確か、三十数年ほど前に王家の名を捨て出奔されたとお聞きしましたが……」
「……うむ」
腕を組んで、王は首肯する。
「豪放磊落な性格だった我が弟は、窮屈な王家を嫌がっておった。そして母上の一族に伝わる形見の神刀を手に若き日に出奔したのだ。今は母上の家名を名乗っておる。あやつからの手紙では――」
王は、昔を懐かしむように双眸を細めた。
「今はセラ大陸でとある傭兵団の団長をしているそうだ。どうやら、オーサムと同じ年の一人娘がいるらしい」
オーサムとは、今年で二十三になる第二王子の名前だった。
「だが、語るべきは我が弟の武才だ。あやつの才には余も遠く及ばぬ」
「陛下でさえですか!」
アリアは、目を見開いた。
ある意味、王の強さを誰よりも知っているのは彼女だった。
王妃となったのは、決闘に敗北したことだけが理由ではない。
あの日。王の強さに心酔したからこそ、剣も心も捧げたのである。
王は「うむ」と頷く。
古き家臣たちも、それを肯定するかのように沈黙した。
「ミュリエルにはその弟に迫る才がある。これは余も想定外であった。だが……」
小さく嘆息する。
「この国ではその才が目覚めることはない。修練だけでは足りぬのだ。武才とは戦場でこそ真に開花するモノなのだから」
「……陛下。では……」
ガルガは大きく目を剥いた。
王は改めて「すまぬ」と告げる。
「お前の娘の身を断じて軽視などしておらぬ。新兵が多いミュリエルの親衛隊がメインではあるが、余が信頼する精鋭たちも従軍させておる」
一呼吸入れて、
「お前の娘は救いたい。否、救ってみせよう。だが、同時に余は考えたのだ。ベルニカ=アーニャを拉致するほどの敵。今回の旅は、恐らくミュリエルの武才を開花させる絶好の機会になるであろうと」
王は、自分の掌を見つめた。
「……そう。余は切望しておったのだ」
そして、王は真意を独白する。
「余ですら届かなかった我が弟。《刀天覇王》と謳われし、我が弟にも比肩しうる才が、我が血族から開花することを」




