第三章 接敵②
「……アヤメ」
朝食時、赤ん坊を抱いた女性が小首を傾げた。
年の頃は十代後半。
一本角を持つ、和装を纏った綺麗な女性。
アヤメの従姉妹であるフウカ=ムラサメである。
腕に抱く子は愛息のタツマだ。
「……随分と不機嫌よね?」
そう尋ねると、アヤメは膳の上に箸を置き、「そんなことはないのです」と不機嫌な顔で答えた。ただ、その眼差しはジト目で、横に座るコウタを見据えていた。
コウタは「うゥ」と呻いた。
この場には今、部屋の隅で腰を降ろしてくつろいでいるゴーレムのサザンXと、赤ん坊のタツマを除くと五人の人間がいた。
全員の前に膳が置かれ、白米や味噌汁といったアロンの朝食が用意されている。
コウタは上座に座り、その両隣に和装のアヤメと九歳の少女が座っている。
薄緑の長い髪が美しい、とても綺麗な少女。
メルティアの小さなメイドさん。アイリ=ラストンである。
箸が苦手なのか、アイリは少し苦戦しながら食事をしていた。
残る二人はフウカと、彼女の夫でこの屋敷の主人であるライガ=ムラサメだ。
「不敬だぞ。アヤメ」
ライガも箸を置き、義妹を嗜める。
「申し訳ありません。御子さま」
それから、コウタに深々と頭を下げた。
「義妹の不敬、どうかお許しください」
「い、いえ。アヤちゃんは全く悪くないので……」
コウタは顔を引きつらせた。
アヤメは相変わらずブスッとしている。
「……何かあったの? コウタ」
アイリも箸を置いて尋ねる。
ますますもって、コウタは顔を強張らせた。
勇気を以て夜伽に来た少女から、全力を以てヘタレて逃げたとは言えない。
ますます不機嫌になるアヤメをよそに、コウタが言葉を詰まらせていると、
「……御子さま。旦那さま」
不意に、襖の奥から声が掛けられた。
襖越しに誰かが膝をついていることが確認できる。
「……お食事中、失礼いたします」
襖の人物は、さらに告げた。
「……何事だ?」
ライガが声を掛ける。
すると、襖の影は一礼をし、
「……火急でございます。旦那さま。宜しいでしょうか?」
「……そうか」
ライガはそう呟くと、再びコウタに視線を向けて。
「御子さま。火急ゆえ席を外すことをお許しください」
「あ、いえ」
コウタは、ブンブンと頭を振った。
「その、急ぎでしたら仕方ありません」
「ありがとうございます」
ライガは一歩下がり、両拳を畳につけて頭を下げた。
変わらない大仰な礼儀に、コウタは居心地が悪くなってくる。
が、ライガは構わず最後まで徹底した礼節を通し、妻に「では任せるぞ」と告げて、部屋の外に出ていった。
コウタは居心地が悪いままだったが、少し眉をひそめた。
「火急って……何かあったんでしょうか?」
フウカに尋ねてみる。
するとフウカは、「だあ!」と元気なタツマをあやしながら。
「主人はまだ若いですが長老衆の一人です。火急の案件は意外と多いですから」
「そうですか」
コウタは、ライガが去った襖に目をやった。
確かに要人とは何かと忙しいものだ。メルティアの父であるアシュレイ公爵家のご当主さまも急遽予定が入ることが多かった。それを鑑みると、この里の最高責任者の一人であるライガが多忙なのも頷けるのだが……。
(……何だろう?)
どうしてだろうか。
コウタは、少し嫌な予感がした。
◆
「……侵入者だと?」
廊下を進みながら、ライガは部下に問う。
「森に入り込んだのか? 万華陣はどうした?」
「現在、効力を発揮しておりませぬ」
後に続く部下が答える。
「どうやら、何かしらの手段で万華陣を無効化しているようです。一団は真っ直ぐ里に向かっております」
「……数は?」
足を止めずにライガがさらに問うと、
「確認した数は四十六名。全体としては商隊のようにも見えますが、明らかに武装している者もいます」
「敵と見るべきか……」
ライガは眉をしかめた。
そもそも森に張り巡らせた幻惑の結界・万華陣を無効化しているのだ。ただ迷い込んだだけの商隊であるはずがない。
「他の長老衆に報告は?」
「すでに部下を走らせております」
「そうか」
ライガは双眸を細めた。
「何者かは分からぬ。だが、最大限の警戒はすべきだな」
一拍おいて、
「ムラサメ邸の警護を固めよ。御子さまをお守りするのだ」
「――は!」
部下は強く頷いた。
それから、ライガはこう告げる。
「森へは俺が出向く。奴らが何者なのか、侵入者を見極めるぞ」




