第三章 湖畔の別荘④
「それではリーゼさま。不意な訪問で失礼致しました」
レイハート家の別荘。エントランスホールにてハワードは深々と礼をした。
彼の従者である執事も主人に倣って頭を垂れている。
「いえ、大したもてなしも出来ず、こちらこそ失礼致しました」
対するリーゼとシャルロットも礼を返していた。
「では、今日はこれにて失礼させていただきます。リーゼさま」
「ええ、御機嫌よう。サザン伯爵」
最後にそう言って、ハワードは別荘を後にした。
貴族の青年は一度だけ振り向いてレイハート家の別荘を一瞥した後、自分達の馬車を停留させてある場所に足を向けた。
ザッザッと少し伸びた草を踏みしめる足音だけが響く。
その間、ハワードと従者は無言だったが、
「……サザンの旦那」
人気がないことを確認して従者が語り出す。
「あの小娘が次のおもちゃで?」
そんなことを言い出す従者に、ハワードは冷酷な眼差しを向けた。
「口を慎め。ワイズ」
ゾッとするような声色で告げる。
「おもちゃとは何だ。せめて道具と言え」
「……はは。そうですかい」
ワイズと呼ばれた従者は苦笑を浮かべる。
「では、その道具ですが、どうします? 近い内に攫いますか?」
ワイズの提言に、ハワードは眉をしかめた。
「また攫うのか? こないだはお前に一任したが、正直つまらない結果だったぞ」
目当ての女を拉致し、心を折ってから、ハワードが救出する。
それがワイズ――元は人身売買や金品強奪で生計を立てていた犯罪者であるこの男が、よく推奨する手段だった。
あまりに勧めるので何度か許可してみたが、ハワードとしては刺激を感じないつまらない演出だった。そもそも人形のようになった女を抱いても面白くもない。
「ここは正攻法で口説き落とす方が面白い」
と、ハワードは、ワイズを一瞥もせずに告げるが、
「しかし旦那。俺も長年『人』を見てきましたが、経験上、あの手の女は小娘でも手強いですぜ。真っ当な手段じゃあ、旦那でも時間がかかると思いますが」
そう告げるワイズに、ハワードはピタリと足を止めた。
「……確かにそうかもしれんな」
双眸を細めて、先程の少女を思い浮かべる。
流石は、自分が遊び相手として見初めた男の娘。強かなのは窺い知れた。
「旦那」ワイズはさらに言葉を続ける。
「あの手の女は、犯しまくって意志と気力を奪うのが一番効果的ですぜ。それに旦那にとってあの小娘は手段であって目的じゃねえんでしょう?」
「……ふん。やけに急ぐな。何が狙いだ、ワイズ」
この男がここまで積極的になるのには理由があるはず。
ハワードは単刀直入に訊いた。
すると、刀傷の男は卑しい笑みを見せた。
「あのメイドを」
ワイズは要望する。
「拉致の際、あのレイハート家のメイドを俺達に貰えませんかね?」
「……スコラを、か?」
ハワードは再び眉をしかめた。
シャルロット=スコラ。ハワードのかつてのクラスメートだ。
「何故、彼女を?」
ハワードがそう尋ねると、ワイズは意外そうな顔した。
「……旦那? 旦那はあのメイドと学生の頃の知り合いだったんでしょう? あれだけの美女を抱いたことはねえんですか?」
「いや、ないな」
ハワードは即答する。しかし、口に出してから彼は疑問に思った。
学生時代、あのかつての級友は、校内でも十指に入る美しい少女だった。
にも拘らず、ハワードは一度も彼女を口説こうと思った事はなかった。当時から刺激の一つとしてクラスメートも含め、何人もの女を抱いていたというのに、だ。
「彼女は実技でも座学でも明らかに私よりも劣っていたからな。家柄も市井の出だ。そのせいかもしれん。無意識の内に興味から外れていたのだろう」
そんな自己分析をするハワード。
ワイズはそんな主人に対し、苦笑いを浮かべた。
「そりゃあもったいないことで。あのメイドは相当な上玉ですぜ。抱いてよし。売ってよしだ。臨時ボーナスとしてはうちの連中も喜ぶでしょう」
「ふん。そうか」
そう呟くと、ハワードはワイズを見やり、
「ならばくれてやろう。スコラは好きにするがいい」
あっさりと級友を売り払った。
今になっても、シャルロットに対して特に興味を抱けなかったからだ。
「レイハートの娘の方も、お前に教育まで一任する。多少壊してしまっても構わんが、ただし足はつけるなよ。色々面倒だからな」
「へい。俺達も元プロなんでそこら辺は重々承知していますよ」
ワイズは肩をすくめてそう答えた。
「で、計画はどうします? どのタイミングで攫いましょうか?」
「本当にお前は気が早いな。その話は後でいいだろう。どこに人がいるのかも分からんのだぞ。そう。例えばあんな所にな」
そう言って、ハワードは前方に目をやった。
つられてワイズも前へ視線をやる。
そこは彼らの馬車の前。今その場所には、見知らぬ一人の少年が立っていた。
黒い髪と瞳が、印象的な少年だった。
「……何だ、あのガキは?」
ワイズが警戒を露わにしたが、ハワードが「待て」と小さな声で諫める。
「レイハート家の敷地内にいるんだ。通りすがりではないだろう。平静を装え」
「……分かりやした」
と、やり取りし、ハワード達は少年の前に歩み寄った。
すると、黒髪の少年は深々と頭を垂れて――。
「お初にお目にかかります。サザン伯爵」
「ふむ。初めまして」
ハワードは友好的な笑みを浮かべた。
「ところで、私の名を知っている君は誰なのかね?」
そう尋ねると、少年は顔を上げて名乗った。
「私の名前はコウタ=ヒラサカ。アシュレイ家の使用人を務める者です。本日リーゼお嬢さまにお招き頂いている、メルティア=アシュレイさまの従者です」
少年の自己紹介に、ハワードとワイズは軽く目を剥いた。
「なんと。あの屋敷にはアシュレイ家のお嬢さまもいらっしゃったのか」
「はい。ですがメルティアお嬢さまは病弱なお身体でして、サザン伯爵にご挨拶できませんでした。それを悔やみ、せめて私が代理としてご挨拶に参ったのです」
「なるほど。それは気を遣わせてしまったな」
ハワードは少年に手を差し出した。
「私の名はハワード=サザンだ。よろしくヒラサカ君」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。サザン伯爵」
そう言って、二人は握手を交わした。
そして、ハワードは頭一つ分ほど背の低い少年を見やり、
(……ほう)
少し感嘆する。
その黒曜石のような瞳は、真直ぐハワードを見据えていた。
わずかに臆することもなく。
ハワードの心の内を探るように見据えている。
(中々いい目をする。これはまるで――)
自分の群れ。自分の仲間に手を出す敵を警戒するような獅子の眼光だ。
そんな印象を抱き、ハワードは内心で苦笑した。
「ところで、この別荘に招待されると言うことは、リーゼさまとメルティアさまは親しい間柄なのかね?」
「はい。お二人は騎士学校の級友ですから」
「そうだったのか。もしかすると君もなのかい?」
「はい。光栄にもお嬢さま方と机を並ばせて頂いております」
「……ほう」
どうやらこの少年は、お嬢さま方と親しい立ち位置にいるようだ。
しかも、わざわざ使用人を騎士学校に通わすということは、アシュレイ家はこの少年をそれだけ高くかっているということか。
ハワードは眼前の少年に、かなり興味を引かれた。
少し探りを入れてみたくなる――が、それは少年の方も同様のようだった。
「ところでサザン伯爵」
にこやかな笑みを浮かべて、少年は問う。
「伯爵も騎士学校のご出身だとお聞きしています。とても優秀な方だったと」
「ははっ、そうでもないさ」
ハワードは笑う。少年の言葉には大して意味がない。
こちらの様子を窺うための内容のない会話だ。
少年の眼差しは、ハワードの一挙一動を見極めようとしていた。
(面白い真似をしてくれる。ならば――)
と、ハワードが、さらに踏み込もうとした時だった。
「………痛ッ!」
不意に横から呻き声が聞こえて来た。
ハワードとコウタが振り向くと、そこには右目を押さえて呻くワイズの姿があった。
刀傷を持つ執事は、苦悶の表情を浮かべて額に脂汗を流している。
「……どうした、ワイズ?」
と、ハワードが従者に問うと、ワイズは呻きながらも答えた。
「す、すいません。何故か古傷が疼きだしまして……」
「……古傷だと?」ハワードが眉根を寄せる。「その右目の傷か?」
「え、ええ、今まで疼いたことなどないんですが……」
「大丈夫ですか?」
コウタが案ずるように声をかけると、
「あ、ああ、問題ない。もう治まったようだ」
ワイズは右目から手を離して、そう答えた。
「……ふむ」
ハワードはあごに手をやった。
それから、コウタの方へ視線を向けて告げる。
「すまない。ヒラサカ君。もう少し会話を楽しみたい所だが、従者がこの調子だ。悪いが今日はここでお暇するよ」
それに対し、コウタは「はい」と頷いた。
「お引き止めしてしまい、申し訳ありませんでした。それでは伯爵。お気をつけて。またお会いできる時を楽しみにしています」
「ああ、私も楽しみだ。ワイズ。馬車は動かせるな?」
「はい。問題ありません」
そうやり取りし、ハワード達は頭を垂れるコウタを背に馬車に乗った。
屋根のない二人乗りの黒い馬車が、ガラララと車輪を鳴らして進み出した。
馬車は脇道を走り、森を抜けると大きな街道に出た。
そして、そのまま真直ぐサザンへと続く道を進んでいく。
「……ワイズ」
その道中でハワードは御者台に座るワイズに語りかける。
「さっきのは何だ? お前は持病でも持っているのか?」
「い、いえ、そんなものはねえんですが……」
と、ワイズは困惑した声で答えた。
古傷が疼くなど初めてのことだった。自分自身でも分からない。
(……だがよ)
しかし、切っ掛けだけは分かっている。
あの小僧だ。あの黒髪の小僧を見ていた時、急に傷が疼きだしたのだ。
(……あのガキ、一体何だったんだ……?)
ワイズは手綱を操りつつ、片手で右目を押さえる。
一体、あの痛みは何だったのか。疑問だけが胸に残る。
(何だ? あの時、俺は何かを思い出したような……)
未だ困惑は消えない。
だが、そんなワイズの心情はよそに。
黒い馬車は、街道を軽快に疾走していくのだった。




