第二章 近づく者たち④
朝早く。
誰よりも朝早く。
ガンダルフ=バース司教は、祈りを捧げていた。
森の中、膝をつき、木漏れ日を差す太陽へと祈る。
彼が信仰する《夜の女神》はその聖名の通り夜を司るのだが、太陽は夜と表裏一体。ガンダルフは早朝と深夜に欠かさず祈りを捧げていた。
それを五十年だ。
王国に七人いる司教の中でも最も信仰厚き者。
それがガンダルフ司教であった。
……チチチチチ。
森の中に鳥の声が響く。
(……五十年か)
ガンダルフは、ゆっくりと瞳を開けた。
そして立ち上がる。
(無意味な五十年だった)
森の中を進んでいく。
ガンダルフは、孤児院出身だった。
かつて聖アルシエド王国と敵対した国の戦争孤児だった。
ガンダルフの祖国は、お世辞にも真っ当な国とは言えなかった。
露骨なまでの支配階級。重税に次ぐ重税。
他国に対して、国家ぐるみの犯罪まで行っていた。
戦争に至ったのも必然だったかもしれない。
ただ、幼いながらも憶えている。
あの戦争は地獄だった。特に戦争末期。あの頃は酷い困窮だった。
国内でさえ略奪は当たり前。
幼い少年や少女たちの中には、体を売って飢えを凌ぐ者もいた。
ガンダルフ自身もゴミを漁って生き続けていた。
救いの手が差し伸べられたのは、むしろ敗戦してからだった。
聖アルシエド王国が統治をし始めてからだった。
両親を失っていたガンダルフも、孤児院に保護されることになった。
そうして十五になった時、院長の伝手で彼は大聖堂に入ることになった。
ガンダルフにとっては有り難い話だった。当時の彼は、全く信心深くはなかったが、そこなら祈りさえ捧げておけば、生活に困窮することはなかったからだ。
――そう。ガンダルフは、ずっと形だけの信仰を捧げていたのだ。
それを、周囲は信仰厚き者と勝手に判断していたのである。
(私ほどの不信者はいない)
歩きながら、かつての行いを振り返る。
自分は欲深くもなかった。
ひたすらに、生きるための最低限のモノだけを求めていた。
それだけで充分だった。
ゆえにガンダルフには家族もいない。
それは、彼にとっては不要なモノだった。
妻も子もいらない。
彼の人生にとって愛は不要だった。
愛だけではない。
地位も名誉もいらなかった。
――毎日、ささやかパンとスープがあればいい。
決して応えることのない女神に、それだけを祈っていた。
だが、それはある意味で悟りにも近い境地だったのかも知れない。
『……凄いね』
――ゆえにあの御方が現れたのか。
『ここまで純粋な願いも珍しいよ』
いつものように早朝。
誰よりも早く大聖堂で祈りを捧げていたガンダルフの前にあの御方は現れた。
光り輝く黄金の髪。少女と見紛うほどの鼻梁。
純白の騎士服を纏う神々しき少年がそこにいた。
一体、いつの間に現れたのか。
ガンダルフは、祈りの姿勢のまま硬直していた。
そうして気付く。
――初めて。
五十年目にして、初めて目の当たりにしたのだと。
一度たりとも信じていなかった神の奇蹟を。
そして、自分の祈りは、ずっと神へと届いていたのだと。
その事実を、ガンダルフは知った。
『あ、貴方さまは……』
気付いた時、ガンダルフは両手を地につけ、頭を垂れていた。
『もしや、女神さまでは……』
『まあ、本人ではないけどね』
少年は微笑む。
『けど、彼女とは知り合いかな。さて』
少年はコツコツと歩き、ガンダルフの前で止まった。
『最も純粋なる願いを持つ者よ』
言って、手を差し伸べた。
『どうか、僕の願いを聞いてくれないかな?』
(光栄なることだ)
森の中で足を止めて、ガンダルフは思う。
(だが、不敬なることでもある)
眉をしかめる。
よもや大聖堂きっての不信者である自分がこのような栄誉を賜るとは。
他の信者に対し、心苦しくもあった。
ましてや他の司教たちは、遥かに自分よりも真摯に祈っている。
彼らは自分のようなまがい物とは違うのだ。
だが、あの御方は、こんな自分だからこそ良いと言ってくださった。
今までの不敬が、心より申し訳なく感じる。
と、その時。
「……おお」
小さな鳥が、ガンダルフの前に現れた。
小鳥は上空を何度か旋回する。
そして、ややあって彼の肩にとまった。
ガンダルフは双眸を細めた。
「よくぞおいでになられました」
小鳥に語り掛ける。
この小鳥は、ただの小鳥ではない。
偉大なる使徒さまより授かりし、神使なのである。
「神使さま」
ガンダルフは恭しく窺う。
「我らを導いていただけますか」
小鳥は首を傾げた。
が、すぐに肩から飛び立った。
小鳥は近くの樹まで飛ぶと、ガンダルフに見える位置で枝にとまった。
「神使さま。しばしお待ちを」
ガンダルフは、小鳥に頭を垂れた。
それから、兵たちが駐屯するキャンプへと足を進めた。
「《夜の女神》さま。使徒さま。今までの不敬、どうかお許しください」
グッと拳を固まる。
「長きに渡る不義の汚名返上のためにも、この使命は必ず果たしましょうぞ」




