第三章 再会の時①
その日。
少年は一人、校舎裏に向かっていた。
時刻はまだ早い。昼にもなっていない時間だ。
一時限目を終えて、十分の休憩時間に入ったところだった。
アノースログ学園の廊下を進み、校舎の裏に入る。
校舎と鬱蒼とした森に挟まれる校舎裏。
丸い眼鏡をかけた痩せた少年――少年の姿に偽装したライガ=ムラサメは足を止めた。
「……さて」
少年に偽装した声色で、ライガは森の奥に声を掛けた。
「文は受け取った。報告を受けよう」
「……は」
すると、森の奥から声が返ってくる。
男性の声だ。
しかし、姿は現さない。
「……御子さまは」
森の中の男は告げる。
「本日、無事、帰還されました」
「……おお」
ライガは思わず、歓喜の呟きを漏らした。
「そうか。お怪我はないのだな?」
「……は」
森の中の男も、どこか喜びを隠しきれない声で答える。
「御子さまはご壮健であらせます。では、報告を」
そう切り出して、森の中の男は語り始める。
御子さまの旅。
離島の小国、アティス王国での日々。
その国で行われた御子さまの戦い。
陰より、ずっと御子さまを護衛し続けていた男が語る。
ライガは、静かに森の中の男――部下の報告に耳を傾けていた。
「……そうか」
ライガは腕を組んで呟く。
「御子さまはご自身の悲願。故郷の仇を討ち果たされたのだな」
「……は」
部下は森の奥で頷く。
「実にお見事な戦いでした」
「ふむ。流石は御子さまだ」
ライガは、双眸を細める。
「しかし、御子さまの兄君か。アヤメを一蹴した御子さまさえも凌ぐ強者とは……」
「……かの御仁のお力は、凄まじきの一言です」
部下が畏怖を声に宿して告げる。
「あの御子さまを圧倒されたお力。《七星》とは恐るべきものだと実感いたしました」
「それは、俺もよく分かる」
皮肉気に笑って、ライガはあごをさする。
「《七星》の力は、この身で味わったからな」
かつて怒涛の勢いで自分を弾き飛ばした少年。
末席でさえあの力なのだ。
最強と謳われる御子さまの兄君が、どれほどなのか想像に絶する。
「一度お会いしたくはあるが、いま重要なのは新たなお側女役だな……」
「……は」
森の中で、部下が言葉を続ける。
「名はリノ=エヴァンシード。力量も尋常ではありませんが、その美貌は幼くしてまさに傾国。御子さまのご寵愛も深くあります」
一拍おいて、
「メルティア=アシュレイ。リーゼ=レイハート。アイリ=ラストン。ジェシカと名乗る暗殺者。そしてリノ=エヴァンシード。彼女たちが現時点のお側女役となります」
「……ふむ」
ライガは瞑目する。
「お前の眼で見て、御子さまは、誰を特に気に入っておられるのだ?」
「恐らくはメルティア=アシュレイ」
部下は訥々に告げる。
「……あの娘か?」
ライガは眉根を寄せた。
お側女役でも異質な娘。他の娘たちはみな美しいというのに、あの娘だけは、ライガさえも上回る巨体を持っている。全身鎧も合わさって巨漢の戦士といった趣だ。
あの娘だけは、明らかにタイプが違っていた。
「いえ。あの姿は偽装でございます」
すると、部下がそう補足した。
「あれはカラクリ仕掛けの鎧。彼女の真の美貌は他の娘たちにも劣りませぬ」
「ほう。そうだったのか」
これには、ライガも少し驚いた。
特に、あの鎧がカラクリ仕掛けだったというのには興味深い。
「御子さまはどのお側女役もご寵愛されておられますが、メルティア=アシュレイ。リノ=エヴァンシード。この二名を特に気にかけられているかと」
「……そうか」
ライガは渋面を浮かべた。
「御子さまが、自らお選びなされたお側女役たちだ。無論、彼女たちを否定するつもりはない。しかし……」
そこで本音を零す。
「やはり筆頭は決めねばな。そして願わくば、それは我らのお側女役であって欲しい」
「……アヤメさまは」
しばらく、里にも帰還していない部下が尋ねる。
「御子さまのご寵愛を受ける準備を?」
「それは万全だ」
ライガは答える。
「すでに、心身ともに整っておる」
アヤメの美貌は、日に日に輝きを増している。
毎日のように生徒に告白されて、しかめっ面を浮かべる義妹には苦笑したものだ。
「アヤメが他のお側女役に劣るとは思わぬ。だが、他の者に比べ、ここまで御子さまとお会いする機会が少なかったのはどうしようもない事実」
ライガは再び瞑目した。
静かに腕を組み、考え込む。
部下は沈黙し、主の言葉を待った。
そして――。
「……よし」
ポツリと呟く。
「計画を実行するぞ。他の者にも連絡せよ」
「……おお」部下は感嘆の声を零した。「では遂に!」
「うむ」
ライガは頷く。
「ここはあえて強行しよう。御子さまの後のお叱りも覚悟の上だ。やはり、アヤメにはお側女役筆頭であって欲しい。何よりも……」
未だ会えない我が子を思い浮かべながら、ライガは呟く。
「御子さまの愛しき第一子。その子はアヤメに産んで欲しいからな」
 




