第八章 そうして、彼女は運命を知る➄
肌に突き刺さる殺気。
巨大なる炎を間近で見たかのような威圧感。
圧倒的な覇気を前にして、ライガは、軽く息を呑んだ。
(……これが、アルフレッド=ハウルか)
双眸を鋭く細める。
アヤメが怪物と称した人物。
なるほど。この圧ならば納得だ。
(しかし、温厚な人物だという噂だったが……)
ゆっくりと近づいてくる少年。
目の前の人物は、とても温厚とは呼べない表情を浮かべていた。
噂が嘘だった……とは、今回に関しては思わない。
温厚な人間でも、激昂することもあるのだ。
例えば――。
(しまったな。調査不足だったか)
ライガは茫然とした顔で、少年を見るアンジェリカに目をやった。
逆鱗に触れたとすれば、間違いなくこの少女のことだ。
恐らく、彼女は、アルフレッド=ハウルの恋人だったのだろう。
自分の女が見知らぬ男に襲われているのだ。激怒しないはずもない。
仮に、ライガが逆の立場なら――。
(……ふん)
余計な考えだと、思考を止めた。
いずれにせよ、ここからは相手が変わるようだ。
未熟な騎士候補生ではない。
正真正銘の皇国騎士。それも最強の七人の一人だ。
「何をしたと聞いているんだ……」
アルフレッドは、槍の間合いで足を止めた。
対し、ライガは、すっと足を踏み出し、拳の甲を見せて構えた。
口を開くことはない。
代わりに、アンジェリカが何かを伝えようとしていたが、まだ体が恐怖に縛られているのか、口をパクパクと動かすだけだった。
アルフレッドは、その様子を一瞥して、ギリと歯を軋ませた。
「……お前の素性はもういい」
アルフレッドは呟く。
「今すぐアンジュから離れろ。これ以上、彼女に近づくな」
「……それは聞けんな――」
と、ライガが答えようとした瞬間だった。
――ズドンッ!
(――ッ!)
突如、肩に強い衝撃を受けた。
ライガは大きく後ろに飛ぶ。右肩を押さえた。
肩に痺れるような強い痛みが走った。
「……お前」
アルフレッドが、突き出した槍を手に、双眸を細める。
「随分と硬い体なんだな。どんな鍛え方をしているんだ?」
「……なに。ただの体質というやつだ」
ライガはそう答えるが、内心では本当に驚いていた。
今の刺突は、ほとんど見えなかった。
まるで閃光である。
(……本当に、『人』の子か?)
獅子の尾を踏んだとしても、恐ろしいほどの技の冴えだった。
このままでは、勝てないかもしれない。
(さて。どうするか)
やはり、ここは鬼人の本性で戦うべきか。
そう考えていると、
「……また無口になったな」
アルフレッドが、再び間合いを詰めてくる。
「色々と考えてるのか? けど、僕はこれ以上、お前に付き合う気はない」
一歩、二歩、三歩。
間合いは、再び槍の領域に入った。
「アンジュが怪我をしているかもしれないんだ。お前に構っている暇なんかない」
すっと、槍を構える。
「とりあえず、お前はもう退場しろ。頑丈なのが取り柄みたいだから、もし生きていたらその時は尋問でもしてやる」
そう言った途端、アルフレッドの手元が消えた。
そして次の瞬間、
(――ぬお!?)
ライガは、目を見開いた。
全身が、無数の衝撃で殴打されたのだ。
まるで流星。すべて、アルフレッド=ハウルの刺突だった。
あまりの速さに身構えることも出来ず、ライガの両足がわずかに浮いた。
その刹那、
――ズドンッッ!
一際強烈な一撃が、ライガの体を射抜いた。
ライガは耐えることも出来ず、遥か後方に吹き飛ばされた。
そして、ズガンっと壁にぶち当たった。
ライガの体の強度もあって、その衝撃は砲弾にも近かったようだ。
壁の一部は粉砕されて、ライガはその奥へと消えていった――。
「いいか。よく聞け」
くるりと槍を回して、アルフレッドが言う。
「アンジュを泣かせるな。それだけは絶対に許さないからな」
「「……オオオ」」
ガンガンガンっとゴーレムたちが拍手を贈る。
メルティアも『凄いですね』と、ガンガンと拍手していた。
一方、アンジェリカは、
(うわあ……アル君、アル君……)
――カアアアアアっ、と。
幼馴染の雄姿に見惚れつつ、まるで自分の女に手を出すなと言わんばかりに、激しい怒りを見せてくれたことが嬉しく嬉しくて、顔を真っ赤にしていた。
もし、ここに『アル君人形』があれば、その豊満なおっぱいと、日々の修練で鍛え上げた腕力で、人形の胃を圧縮するぐらいに抱き潰していたことだろう。
(はうわァ、アル君~っ)
トラウマによる恐怖など、もう完全に吹き飛んでいた。
一方、アンジェリカの感激ぶりには、メルティアも気付いていた。
なにせ、事前に相談されていたのだから、彼女の想いは一目瞭然だった。
(――アンジュ。これはチャンスですよ)
これは、絶好の好機だった。
これほどの危機。そしてまるで王子さまのような登場をしたアルフレッド。さらには、悪漢を怒りに任せた一蹴である。
幼馴染の達人であるメルティアの目で見れば明白だ。
アルフレッドは、何だかんだいっても、まだ、アンジェリカに好意を持っていてくれているのだ。アンジェリカの話だと、もの凄いモラハラを受けているような気もするが、圧倒的な嫌悪の軍団に対し、たとえ劣勢でも好意軍は必死に抵抗を続けていたのだ。
(今です! 今こそ心を開く時なのです! アンジュ!)
ここでデレを見せれば、まさに逆転の一手だ。
アンジェリカの印象も大きく変わるはず。
(さあ! おっぱいも使って、ぎゅっと抱き着くのです! アンジュ!)
メルティアは、着装型鎧機兵の中で、両手の拳を固めた。
アルフレッドは片膝をつき、「大丈夫? アンジュ?」と、まさに今、アンジェリカに手を差し伸べようとしていた。
さあ、怖かったと、本心を吐露するのだ。
その大きなおっぱいを目いっぱい使って抱き着くのだ。
アルフレッドの性格ならば、困惑しても抱きしめ返してくれるに違いない。
そうして一度でも弱さを見せてしまえば、もう強がる必要もない。
徐々に、自然な態度も取れるようになるはずだ。
デレ100%も夢ではない。
(頑張ってください! アンジュ!)
メルティアは声には出さず、自分の弟子を自称する少女を応援した。
――が、
「相変わらず遅すぎるのよ。アルフレッドは」
………………………。
「いつまでたっても成長しないわね。それでいいと思っているの?」
…………………………………。
「どうせならこうなる前に来なさいよ。何よ、あのタイミングは。あなた、まさか出てくるタイミングを計っているんじゃないでしょうね」
……………………………………………。
……………………………おい。
「まあ、あの程度の奴。その気になれば楽勝だったわ」
と、アルフレッドの差し伸べた手をはたいて、言い放つアンジェリカ。
アルフレッドは「う、うん。そうだね」と、顔を引きつらせていた。
先程までの怒りや迫力は、もうどこにもない。
すでに覇気まで消えかけている。
今の彼を見て《七星》の一人だと思う人間はいないだろう。
アンジェリカは立ち上がると、片手を腰に、赤い髪を手で払った。
「まったく。アルフレッドって本当に愚図――」
と、言いかけたところで、
――むんず、と。
アンジェリカの頭は、巨人の手で掴まれた。
「え? ふえ? 我が師?」
両足が宙に浮き、アンジェリカが動揺の声を上げた。
アンジェリカの頭を掴んだメルティアは、唖然とするアルフレッドに告げる。
『アルフレッドさま』
「あ、は、はい。何ですか?」
アルフレッドが尋ねると、
『アンジュを借りていきます。少しこの場でお待ちください』
「え? あ、はい」
コクコクと頷くアルフレッド。
メルティアは、アンジェリカを浮かせたまま、ズシン、ズシンと移動していく。
そうして、《フォレス》の影にまで移動すると、
『何を考えているのですか! あなたは――ッ!』
「ひやあああッ!? ごめんなさあいいいッ! 我が師ッ!」
メルティアは、生まれて初めてガチの説教をした。
一方、アルフレッドは、
「アンジュ、メルティアさまと仲良くなれたんだ……痛、いたたた……」
彼は彼で、彼女たちに気付かれないように胃を押さえるのであった。
が、そんな中で――。
(……凄まじいな……)
ガラガラ、と。
岩を退かし、壁の一つ向こう側で、ライガは立ち上がった。
出血する自分の肩の付け根に片手をやる。
(……なんという技量だ。これが《七星》なのか)
無数の流星の中にあった一筋の光。
あの瞬間、わずかにだが、体を捻れたのは僥倖だった。
もし、あと一秒でも遅れていたら、確実に喉を貫かれていただろう。
全力を出すこともなく、ここに屍として転がっていたはずだ。
「……所詮は『人』と侮っていたか」
ライガの額から、グググっと心角が伸びる。
同時に、筋肉がさらに引き締まり、傷口の出血が止まった。
「だが、ここからは本気だ。俺も負ける訳には――」
と、呟いた時だった。
その声は、唐突に響いた。
「……ソコマデニ、シテオケ」
それは、決して威圧するような口調ではない。
だが、それでも、ライガは雷でも落とされた感覚を抱いた。
ハッとして、後ろに振り向く。
そして、そこに居たのは、
――ズズズズ……。
影が岩壁に沿って這っていた。
――そう。影だ。
とても長く、太く、まるで蛇のような巨大な影が這っていたのである。
鋭いアギトを持つ巨大な影だ。
壁面に、地面に、天井。全部で三体の巨大な影。
三つの影は途中で一つとなって繋がっており、その先には、とても小柄な人影があるのだが、ライガの瞳には巨大な影だけが映っていた。
「おお、おおお……」
感嘆にも似た声を上げるライガ。
すると、影は、アギトを動かしてこう告げる。
「……問オウ。異界ノ子ヨ。ワレガ、何者カ、ワカルカ?」
「――何を仰られますか!」
ライガは両膝を、両手を地に付けた。
「一目で分かりましたぞ! 焔魔さまの血がお教えくださった! 御身こそが、我らが偉大なる王!」
「………焔魔ノ子、ダッタノカ」
獣の影は、双眸を細めた。
「……懐カシイ名ダ。東方天・焔魔。北方天ノ遺シタ《教団》ハ、知ッテイタガ、アヤツマデ、コノ地二、キテイタトハナ。アヤツハ、ドウシテイル?」
「……残念ながら焔魔さまは、すでに亡くなられております。ですが我らがここに」
ライガは、頭を深々と下げた。
「我らが王と、我らが御子さまのために。我ら焔魔堂は、この日のために今代まで在り続けておりました」
「……ソウカ」
獣の影は、数瞬ほど沈黙した。
「しかしながら、王よ」
ライガは言葉を続ける。
「まさか御子さまのみならず、王まで蘇っておられようとは……」
「……残念ダガ、ソレハ違ウ。ワレノコノ姿ハ、ヨリシロダ。仮初ニスギヌ」
影は尋ねる。
「……焔魔ノ子ヨ。ウヌハ、ワガ御子二、スデニ逢ッタカ?」
「……は」
ライガは答えた。
「御子さまのご尊顔は遠方よりですが拝見しております。拝謁はまだですが――」
少しだけ迷いつつも、ライガは報告する。
「我が義妹が、今まさに御子さまの元に。名はアヤメ。幼少の頃より、御子さまの寵愛を賜るために育てあげた娘でございます」
「……ホウ」
大いなる影は、面白そうに呟いた。
「……ソノ乙女。牙ハ、モッテオルカ?」
「……牙ですと?」
「……御子二、ツキタテル牙ダ」
「………なっ」
ライガは目を見開き、顔を上げた。
「御子さまに、牙ですと?」
「……贄ナル花嫁ハ、牙ヲモタネバ、意味ガナイ。ソノ牙サエモ喰ラウ。怒リモ、激情サエモ愛スル。ソレガ、ワガ代行者。ワガ御子ナノダ」
「なんと……ッ」
ライガは、深々と王に頭を垂れた。
「恐れながら、御子さまの望まれる通りの状況かと。我が義妹は、まさに今、御子さまに牙を向けに行っているのです」
偉大なる王に、ライガは正直に語った。
アヤメが、御子さまの花嫁であるお側女役を嫌っていることを。
その運命を覆すために、今御子さまに戦いを挑んでいることを。
すると、大いなる影は、クツクツと笑った。
「……オオ。安定ノ、女難……」
と、こっそりと呟きつつ、影は三つある双眸を細めた。
「……焔魔ガ、遺シタ、贄ナル花嫁カ。ナカナカニ、オモシロイ。ワガ御子ニ、フサワシキ乙女ナノカ。ミセテモラオウカ」




