第四章 炎と風の姫③
一方、その頃。
グラウンドは、静寂に包まれていた。
とは言え、人が少ない訳ではない。
むしろ、普段よりも、さらに多くの人間が集まっていた。
グラウンドの中央に立つのは、二人の少女だ。
アンジェリカと、リーゼである。
互いに劣らぬ美貌を持つ二人だが、その雰囲気は対照的だった。
絢爛たる姫君。
それは、燃え上がる炎のごとく。
右手に長剣型の木剣を。腰左手を当てて佇むアンジェリカ=コースウッド。
煌めく心の姫。
その立ち姿は、涼やかなる風のよう。
切っ先を下に、両手で細剣型の木剣を握りしめるリーゼ=レイハート。
二人の姫君は、共に制服姿だった。
彼女たちに限らず、この場にいる生徒たちは全員が制服姿だ。
多くの騎士学校がそうなのだが、対人戦闘訓練には専用の衣服はない。
常在戦場が、各校共通の方針だからだ。
まあ、汚れた場合の代えの制服はあるのだが。
ともあれ、二人は互いを見据えて、静かに対峙していた。
「……ふむ」
彼女たちの中央には、四十代の男性がいた。
アノースログ学園側の教師の一人だ。
「では、そろそろ始めるか」
これから行うのは、アンジェリカとリーゼによる一対一の模擬戦闘だ。
初めての合同実技。
両校の力量を知るためにも、代表生徒たちの模擬戦闘を許可したのである。
まあ、リーゼの方はともかく、アンジェリカの方にはそれ以外の思惑もあったが。
(……リーゼ=レイハート)
アンジェリカは、双眸を細めた。
数セージルほど先で、静かに佇む少女。
エリーズ国騎士学校の代表生徒。
確かに、その佇まいは実に洗練されている。
自分に次ぐ実力者であるアヤメには届かないかもしれないが、三番手のフラン相手ならば、互角に渡り合えるかもしれない。
(……中々の実力者みたいね)
これは侮れない相手だ。それを肌で感じた。
しかし、それ以上に気になるのは、やはり彼女の美貌だった。
まるで黄金を思わせるような、蜂蜜色の髪と瞳。
顔立ちは精緻な人形のように整っている。
両腕、特に両足は腰辺りからすらりとしており、まさに美脚だった。
それに、何よりも胸だ。
運動をほとんど阻害しないであろう胸。
しかし、ぺったんこではない。
アヤメよりも少し大きいぐらいのサイズ。ギリギリ手の平に納まるぐらいか。
確実に女性としての膨らみはあるサイズだ。
あの聖女さまと同じである。
(……むむ)
一瞬だけ足元を遮る自分の胸に視線を落とし、アンジェリカは呻いた。
自分とは、明らかに違うタイプの胸だった。
アルフレッドが気に掛ける女。
まさに、彼好みの容姿の少女であった。
どうして、アルフレッドが異国の公爵令嬢と面識があったのか。
そこまではまだ調べきれてはいないが、剣は、時に言葉よりも遥かに雄弁に相手のことを教えてくれるものだ。
――そう。恋敵を知るために、あえてこの試合を申し出たのである。
それに気付いているのは、フランとアヤメだけだった。
フランは青ざめており、アヤメは相変わらずの無表情だった。
いや、時折、別の方向に視線を向けている。
(……アヤメ?)
たまたまそれに気付き、アンジェリカは微かに眉をひそめた。
珍しい。アヤメが、ほんの少しだけそわそわしているように見える。
アンジェリカは、彼女の視線の先を追った。
そこには、黒髪の少年の姿があった。
(えっと、彼は……)
見覚えがある。確か、リーゼ=レイハートの補佐という生徒だ。
今日も彼女の隣にいた。
ただ、アンジェリカとしては、
(アヤメと同じ、アロンの出身者かしら?)
といったぐらいの印象しかなかった。
見たところ、貴族出身とは思えないので、アノースログ学園でおける、従生徒のような立場なのかもしれない。
(あ、もしかして)
無表情、無感情を貫くアヤメだが、少女であることには変わらない。
珍しい同郷の少年に、強い興味を抱いたのかもしれない。
それこそ、恋心にも似た想いを。
(もし、そうなら応援しなくちゃね)
そんなことを考えて、微かに口元を綻ばせる。
アヤメは友人だ。もし初恋ならば成就させてあげたい。
(後で聞いてみましょう。けど、今は……)
アンジェリカは、グッと木剣を握りしめた。
改めて、リーゼ=レイハートを見据える。
彼女は、ゆっくりと木剣を動かし、刺突の構えを取った。
それだけで覇気が大きく変わる。
(……へえ)
アンジェリカは、炎が揺れるように双眸を細めた。
(これは凄いわね)
――隙がまるでない。
切っ先は、真っ直ぐアンジェリカの喉元に。
重心は揺らがず、余計な力みもない。このまま棒立ちのままならば、あの刺突は最速の動きで、アンジェリカの喉を捉えることだろう。
それが、強くイメージさせられる。
(これは前言撤回だわ。フラン以上、もしかするとアヤメにだって届くかも。ただのお嬢さまじゃないって訳ね)
まあ、家柄と美貌だけで代表生徒になれるはずもない。
それ以前に、アルフレッドに見初められるほどの女が、只者であるはずがなかったか。
(けどね)
――すうっと。
アンジェリカは、木剣を横に薙いだ。
その動作に、リーゼが、ピクリと片眉を上げた。
今の動きだけで、リーゼもアンジェリカの力量を理解したのだろう。
油断できない相手だと。
わずかだが、切っ先に緊張が宿るのを感じ取った。
(私は、アンジェリカ=コースウッド)
炎のごとき、双眸を細める。
(アノースログ学園生徒会長。そして――)
アンジェリカは、一歩踏み出した。
(《七星》が第七座。アルフレッド=ハウル。私はアル君の妻となる女なのよ)
静かな足取りで、間合いを詰めていく。
「……リーゼ」
彼女は告げる。
「それじゃあ始めよっか」
「ええ。そうですわね」
リーゼも、不敵な笑みを見せて答えた。
「……ふむ。では」
審判である教師が、おもむろに腕を上げて、
「これより模擬戦を行う!」
振り下ろす!
同時に、アンジェリカが駆け出した。
リーゼはそれを迎え撃つ。
かくして。
炎と風の姫君たち。
武芸を誇る二人の令嬢の戦いが始まった――。
 




