第一章 初めての来客①
「……ううゥ」
カーテンで光を遮った薄暗い部屋。
そこは、とある館の四階。天蓋付きの宮殿のような丸いベッドと、散乱する工具や、鎧機兵で使用するようなパーツが、あちこちで目立つ広い寝室。
その部屋で彼女は一人、ベッドの上で座り込んでいた。
年の頃は十四歳。
うなじ辺りまで伸ばしている薄く紫がかった白銀に近い髪と、金色の瞳。肌は白磁のように白く、ピコピコと動くネコのような耳が特徴的な、美しい少女である。
メルティア=アシュレイ。
四大公爵家の一つ、アシュレイ家の子女であり、この館の主人でもある少女だ。
年齢離れした抜群のスタイルを持つ彼女は、肩を露出する白いブラウスと、黒いタイトパンツを身につけていた。何着も所有する彼女のお気に入りの服だ。
今はその上に、真っ白なシーツを被っている。
「……うう、遂に……」
メルティアはシーツを頭から被り直し、ベッドの上で呻く。
「遂にこの日が来てしまいました」
泣き出しそうな顔で、ぶるぶると震える少女。
――そう。この館に友人達を迎える日が遂に来てしまったのだ。
「ど、どうしてこんなことに……」
この屋敷は、彼女を守る砦だ。
本音を言えば、誰もここには近付けさせたくない。たとえ友人であってもだ。
例外は家族や一部の使用人。そして彼女の大切な幼馴染だけだ。
しかし、今回はその幼馴染に押し切られてしまった。
あの少年は、普段はメルティアの心情を最優先にしてくれるのだが、時折すごく強引になる。そして、メルティアは彼の『お願い』にとても弱かった。
最初こそ渋ったのだが、結局、友人達を招く許可を出してしまったのだ。
「リーゼ達は嫌いではありません。ですが、ですが……」
ギュッとシーツの裾を握るメルティア。
やはり家に招くと言うのは、ハードルが高い。
「ううゥ、い、今更嫌だと言ってもダメでしょうか?」
思わずそう考えてしまう。
メルティアは、ただ深々と嘆息するのだった。
――同時刻。
薄暗い室内とは打って変わって、燦々と輝く太陽の下。
澄んだ青い空に鳥達が羽ばたく中。
アシュレイ家の敷地を囲う門前にて、一人の少年が立っていた。
年齢はメルティアと同じ十四歳。
セラ大陸では珍しい黒髪黒眼が印象的な少年である。
コウタ=ヒラサカ。
メルティアの幼馴染であり、このアシュレイ家の使用人――少なくとも本人はそう思っている――でもある少年だった。
「そろそろかな?」
巨大な門格子を支える石柱に背中を預けて、コウタがふと呟く。
普段は服装には無頓着で、夏期休暇中と言えど騎士学校の制服を着ることが多い彼なのだが、今は黒系統のズボンと茶色のブーツ。白いシャツの上に黒いベストを着ていた。
かなり珍しい彼の私服姿だ。流石に友人を出迎えるのに、堅苦しい制服は着るべきではないと考えたチョイスである。
「えっと、約束は十二時だっけ?」
言って、コウタはベストの中から懐中時計を取り出した。
時計の針は、あと十五分ほどで正午を示そうとしていた。
「うん。もうじきだ」
コウタは懐中時計を懐に仕舞った。
と、同時に、
「よう! コウタ!」
不意に声をかけられた。
振り向くと、手を上げながらこちらに近づいてくる人物がいた。
短く刈った濃い緑色の髪が特徴的な体格のいい少年だ。やけにポケットの多い緑系統の服を着ているため、髪の色も合わせて全身が緑色にも見える。
ジェイク=オルバン。
コウタの同級生であり、相棒と呼んでもいい友人だ。
「やあ、ジェイク。珍しいね。リーゼさんより早いなんて」
コウタは軽く手を振った。
「乗合馬車が丁度いい時間帯でな。つうか、お嬢はまだ来てねえのか?」
「うん。けど、リーゼさんのことだし、もうじき来るんじゃないかな」
リーゼはとても時間に厳しい少女だった。
普段の待ち合わせの時は、遅くとも十分前には約束の場所に来ている。恐らくもう数分もしない内に来るはずだろう。
「おっ、コウタ。どうやら言ってる傍から来たみてえだぞ」
と、その時、ジェイクが遠くを指差してそう言った。
彼が指差す先には、白い外装の馬車が走っていた。三頭の馬が引く、一目で貴族用と分かるようなとても豪勢な造りの馬車だ。
馬車は徐々に速度を落とすと、アシュレイ邸の前で止まった。
そして御者がまず降りて馬車のドアをゆっくりと開ける。
「ありがとう」
御者にそう礼を言って、ドアから出て来たのは一人の少女。
蜂蜜色の髪を揺らし、華奢の肢体を白いドレスで包んだリーゼである。
彼女が馬車から降り立つと、「では、お嬢さま。私は失礼いたします」と言って御者は馬車と共にその場から去って行った。リーゼはそれを見届けてから、コウタの前まで進み、ドレスの裾を掴んで公爵令嬢の立場に恥じない優雅さで一礼した。
「お招きありがとうございます。コウタさま。オルバンもごきげんよう」
「おう。お嬢も元気そうだな」と、ジェイクがニカッと笑って応じ、
「あっ、こちらこそ来てくれてありがとう。リーゼさん」
つられるように頭を深々と下げるコウタ。
コウタは本来田舎少年。こういった格式ばった挨拶には面を喰らってしまう。
それに、何よりも――。
「あ、あのさ、リーゼさん」
「はい。何でしょうか。コウタさま」
にこやかに微笑むリーゼ。コウタは少し頬を引きつらせながら告げる。
「そ、そのコウタさまって何なのかな? 出来ればやめて欲しいんだけど……」
最近、何故かリーゼはコウタのことを『さま』付けで呼ぶ。
コウタとしては気恥ずかしくてこの上ない呼称だ。
しかし、リーゼは全く意にも介さず。
「あら。コウタさまはコウタさまですわ。少々仰々しく感じられるかも知れませんが、言わば親しい友人としての愛称なようなもの。どうかお気になさらずに」
「は、はあ……」
リーゼの説明に、コウタはただ困惑した声を上げるだけだった。
「まあ、上級貴族なりの愛称ってことだろ。気にすんなよ。コウタ」
と、ジェイクがコウタの背中をバンバンと叩いて笑った。
コウタは渋面を浮かべる。
「いや、クラスメートに『さま』付けされるんだよ。流石に気にするよ」
と、一応意見を言ってみるが、ジェイクも、当人であるリーゼも素知らぬ顔だ。
コウタは深々と嘆息した。
どうやら、この呼称の変更はもう不可能らしい。学校が始まった時、クラスメート達に茶化されるのが、目に浮かぶようだ。
「はあ、何かボクのクラスでのあだ名が『コウタさま』になりそうで怖いよ」
「ハハッ! まあ、そん時はそん時だろ。それよりもコウタ。今日は『噂の館』に案内してくれんだろ?」
と、ジェイクが今日の本題に入った。
リーゼも興味深そうに、コウタを見つめた。
「うん。そうだよ」
コウタも気持ちを切り替えて、顔つきを改めた。
――そう。二人を呼んだのは他でもない。
このアシュレイ邸の敷地にある、別館に招待するためだ。
「お前さんの話によく出てくる館か。オレっち、意外と楽しみにしてたんだわ」
「それはわたくしも同じですわね」
と、ジェイクとリーゼが呟く。
二人とも、どこかそわそわとした表情だった。
「はは、ボクは少し緊張しているよ。なにせ、今まであの館に行ったことがあるのは、ボクとご当主さま。執事長のラックスさん。それとアイリぐらいだからね」
コウタは頬をかいて、そう告げる。
正直、彼らを迎えるには相当苦労した。
基本的に人付き合いが嫌いなメルティアが、かなり渋ったのだ。
だが、コウタは諦めなかった。リーゼもジェイクも良き友人だ。彼らをこの館に招待することは、きっとメルティアに良い影響を与えると思ったのだ。
だからこそ、どうにかメルティアを説得したのである。
(うん。ようやくここまで来た)
コウタは、わずかに口角を崩した。
これは、メルティアにとって大きな一歩になるはずだ。
コウタはそう確信している。
まだ少しずつではあるがメルティアは前向きになろうとしている。
そのことが、純粋に嬉しかった。
「うん。それじゃあ、そろそろ行こうか」
そしてコウタは笑みを浮かべて、友人達を歓迎する。
「これから二人をアシュレイ邸の別館に案内するよ」




