第七章 宵闇の誘い③
コウタは、第三騎士団の本拠地に向かった。
その足取りはかなり速い。
全く苛立ちを隠せていない速さだ。
(……くそッ!)
リーゼの無事を確認して、確かに安堵した。
兄と義姉には、感謝の気持ちしかない。
だが、そもそも、どうして彼女があんな目に遭わねばならなかったのか。
それが、どうしても許せない。
今回の事件の裏にいる『敵』のことを考えると、はらわたが煮えくり返りそうだった。
(……やっぱりあの男なのか)
ギリ、と歯を軋ませる。
コウタは、さらに歩く速度を上げた。
そうして、本拠地のドアの前に辿り着く。
コウタはノックをした。
すると、中から「入ってくれ」と声が聞こえてきた。
コウタはドアを開けた。
そこは、幾つもの机が並ぶ広い部屋だった。
奥には大きな執務机がある。恐らく団長用の席なのだろう。
ただ、今はどの席も空席だった。
代わりにいるのは、二人の人物。
兄と、第三騎士団の騎士団長であるガハルドだった。
執務席の前で並ぶように立つ二人は、共に厳しい表情を浮かべていた。
「来たか。コウタ」
「うん。兄さん」
コウタは、兄の元に近づいていくが、ふとそれに気付き、大きく目を瞠った。
「……兄さん、それ……」
「ん? ああ、これか」
兄は、自分の服を指先で摘まんだ。
もう見慣れたと言ってもいいクライン工房の白いつなぎ。
しかし、今の兄のつなぎは、胸元辺りが赤く染まっていた。
「……リーゼ嬢ちゃんの血だ。サクの所に連れてく時に付いたみてえだ」
「………兄さん」
コウタはグッと拳を固めて、兄に深く頭を下げた。
「……ありがとう。本当にありがとう。兄さん」
心からの感謝の言葉を告げる。が、
「何言ってんだよ」
――コツン、と。
下げた頭を、兄に軽く叩かれた。
コウタが頭を押さえて目を丸くすると、兄はニカっと笑った。
「弟の大切な子を見捨てる兄貴がどこにいんだよ。いちいち礼なんて言うな」
「………兄さん」
コウタは泣きたくなってきた。
そんなコウタの心情を察してか、
「だから気にすんなって。そこは笑っとけ」
兄は手本のようにニカっと笑い、くしゃくしゃと頭を撫でてくれた。
コウタは「……うん」と頷いた。心の中では兄に感謝する。
「……失礼。ヒラサカ殿」
そこで、ガハルドが口を開いた。
コウタと、アッシュが同時にガハルドに注目した。
ガハルドは一瞬考える。
そして、
「……コウタ殿。少し話をしてよろしいですかな?」
「あ、はい」
コウタは頷いた。
こうして騎士団長と顔を合わせるのは、数度目ぐらいか。
ガハルドは、神妙な口調で話を切り出した。
「今回の事件。全容はお聞きしていますか?」
「……はい」
コウタは真剣な眼差しで答えた。
「騎士の方から。王都の各地域で二十数名の不審者が暴動を起こしたと聞いています。しかも、全員が何かの薬物を使用していたと。生身だった彼らを鎧機兵まで使わなければ抑えられなかったとも聞いています」
「……うむ。情報は伝わっているようですな。では、クライン殿」
ガハルドは、兄に視線を向けた。
兄は「……ああ」と神妙な声で答えた。
「コウタ。今回の事件の黒幕。お前も気付いてんじゃねえか?」
「……………」
兄にそう尋ねられて、コウタはギリと歯を鳴らした。
リーゼを死の寸前にまで追い込んだ『敵』。
恐らく、そいつは――。
「……レオス=ボーダー」
怨敵の名を呟く。それだけで喉が灼けそうだった。
兄は頷いた。
「ああ。間違いなくな。コウタ。《樹形図》って聞いたことがあるか?」
「……ユ、グ?」
コウタは眉根を寄せた。記憶にない名前だ。
「ううん。聞いたことはないよ」
「……そっか」兄は瞳を閉じた。「なら少し教えておくぞ」
兄は、両腕を組んで語り始めた。
「《樹形図》ってのは、あのくそジジイが開発した薬物らしい。何でもオズニアで発見された霊薬を元に創り出したものだそうだ」
「……霊薬?」
コウタは訝しげに首を傾げた。
北方大陸オズニアは、医療技術に優れていると聞く。何でもかの大陸には古代遺跡が多数あり、そこから未知の秘術・霊薬を発掘されることも多いそうだ。
「……発見ってことは、古代の霊薬ってこと?」
「ああ。マジモンかは分かんねえが、不老の霊薬とかいう触れ込みだ。わざわざオズニアから取り寄せたらしい。まあ、見つかった物は不完全品だったらしいがな」
皮肉気に、アッシュは笑った。
これは、『あの子』から教えてもらった情報だった。
「あのくそジジイは、それをベースに独自の秘薬を創った。それが《樹形図》だ」
「……不老の、霊薬」
コウタは、あの男と初めて対峙した日のことを思い出した。
あの男は、瀕死の重傷から復活した。
しかも、老人の姿から少年の姿にまで若返って、だ。
「それを使えば、本気で人間を辞めれるそうだ。反射神経、身体能力なんかは化け物レベルにまで跳ね上がる」
「――ッ! じゃあッ!」
今回の事件で使われた薬物は、その《樹形図》なのでは?
コウタはそう思ったが、兄はかぶりを振った。
「いや違う。実はな。《樹形図》ってのも不完全品なんだ。効果こそ常識外だが、使用にはえげつないリスクがあんだよ」
「……リスク?」
コウタが反芻すると、兄は何故か遠い目をした。
誰かを思い出しているような眼差しだ。
そして――。
「生存率3%。それが《樹形図》のリスクだ。要はほとんどの奴が死ぬんだよ」
「――なッ!?」
コウタは目を見開いた。兄は話を続ける。
「不適合者が使えば、十分もしない内に死んじまう。だから、仮に《樹形図》を使用していたら、あんなに不審者が出るはずがねえんだよ。バタバタと死んじまうからな。結局のところ、あのジジイが使ったのは……」
兄は不快そうに眉をしかめた。
「恐らく自分の血液だ。そいつをベースに即興で薬物を創ったんだよ」
――《樹形図》の適合者の体液は、限りなく霊薬に近くなるのじゃ。
『あの子』は、それも教えてくれた。
「要は、薄めに薄めた劣化版 《樹形図》だ。そうやって、あのジジイは薬物中毒者を量産して街に放ったのさ」
「……なんで、そんなことを……」
コウタは唇を噛んだ。
「……コウタ殿」
と、その呟きに答えたのは、ガハルドだった。
「実は、今回の事件。最初に襲われた者に共通点があるのです」
「……共通点、ですか?」
コウタは、ガハルドに視線を向けた。
ガハルドは渋面を浮かべて頷いた。
「襲われたのはすべて女性。年齢は様々ですが、もう一つ共通点があります」
一拍おいて。
「全員が、蜂蜜色の長い髪だったそうです」
「……え?」
コウタは目を剥いた。
「不審者どもは彼女達を見つけると、突如襲い掛かったということです」
「……蜂蜜色の、髪?」
唖然とする。
「それって……じゃあ、あの男はッ!」
「……最初から、リーゼ嬢ちゃんを狙っていたってことだ」
忌々しげに、兄がそう吐き捨てる。コウタは茫然と兄を見つめた。
「なんで……なんでリーゼを……」
「あの野郎がリーゼ嬢ちゃんを選んだ理由は分かんねえ。だが、狙った理由は……お前ももう分かってんだろ? コウタ」
「……リーゼが……」
コウタは、枯れたような声で呟く。
「……ボクの友達だから……」
「……あのくそジジイの嫌がらせだろうな。それにメッセージついでか」
アッシュは、ガハルドに視線を送った。
ガハルドは少し躊躇いつつも、コウタに近づき、一枚の紙を手渡した。
メモ用の、とても小さな紙だ。
「……これは?」
「今回の不審者。全員が持っていたものです」
ガハルドにそう説明され、コウタは紙に視線を落とした。
そこには達筆な文字で、こう書かれていた。
『草木が眠りし丑三つ時。我らが出会いし地にて、竜児を待つ』
それを読んだ途端、コウタは、ぞわりと産毛が逆立った。
底知れない怒りと、憎悪が湧き上がってくる。
ギシリ、と歯を喰いしばった。
「あのジジイは、お前を待っている」
そんな中、兄は告げる。
「そのメッセージを渡すために、わざわざ今回の騒動を起こしたんだよ。まあ、それだけが目的じゃねえだろうがな」
「………他に目的があるの?」
視線を伏せたまま、コウタは感情のない声で兄に問う。と、
「邪魔な連中の排除だろうな」
兄は、深く嘆息して答えた。
「実はな。いま騎士団は、ほとんど総出で巡回に出てんだよ。騎士候補生――アリシアやロック達まで駆り出されている」
「………」
コウタは無言だ。
「オトとミランシャも協力している。非常事態だ。レナ達にも頼んで動いてもらっているよ。言うまでもなく、首謀者のあのくそジジイはまだ捕まってねえ。第二陣の不審者達が現れる可能性があるんだよ。大半の人手は完全に封じられたな」
「………」
コウタは、まだ何も答えない。
「コウタ殿……」
その時、ガハルドが口を開いた。
「この事件は、首謀者を捕えない限り終わりません。しかし、巡回の人手は割けない。我々は少数精鋭で首謀者を捕えるつもりです。ですので、このメッセージの意味を――首謀者が待つという場所を教えて頂けませんか」
ガハルドはそう尋ねるが、コウタは何も答えなかった。
ただ、手の中の紙をじっと見つめていた。
「……コウタ殿」
ガハルドがコウタに詰め寄ろうとする。
――が、それは、アッシュによって止められた。
「待ってくれ。団長さん」
アッシュはガハルドを手で制し、かぶりを振った。
「……クライン殿?」
「すまねえが、少しコウタと話をさせてくれ」
言って、アッシュは、視線を伏せるコウタを見据えた。
「コウタ。あのジジイが憎いか?」
ピクリ、とコウタの肩が動いた。
「あのくそジジイをぶちのめしたいか?」
――グシャリ、と。
コウタは、手に持っていたメッセージを握り潰した。
アッシュは、黒い双眸を細めた。
そうして長い沈黙の後、
「……なら、行ってこい」
「…………え?」
コウタは、初めて顔を上げた。
アッシュは、弟を見つめて言葉を続ける。
「あのジジイは、お前が止めるんだよ。コウタ」
「――クライン殿!?」
ガハルドが目を瞠る。
「まさか、彼を行かせるつもりなのですか!?」
「……ああ」
アッシュは頷いた。
「あのくそジジイが喧嘩を売った相手はコウタだ。なら、あのジジイに落とし前をつけんのはコウタであるべきだ」
「………兄さん」
コウタは、ようやく口を開いた。
アッシュは微苦笑を浮かべつつ、ポンと弟の頭を叩いた。
「けど、負けることだけは許さねえからな。忘れんな。お前はもう一人じゃねえ。今のお前の背中には、大切な人が沢山いることを絶対に忘れんなよ」
数瞬の沈黙。コウタは瞳を閉じた。
そして――。
「……うん」
力強く頷いた。アッシュは満足そうに破顔した。
「おし。じゃあ行ってこい!」
「うん! 分かった!」
言って、コウタは背中を向けて走り出した。
「――コウタ殿!」
ガハルドが止めようとするが、コウタは振り向かず、部屋を飛び出していった。
「………ぬう」
ガハルドは、険しい顔でアッシュを睨みつけた。
「クライン殿。この判断は納得いきませんぞ」
「ああ……悪りい。団長さん」
アッシュは、気まずげに頭を掻いた。
「けど、コウタの気持ちも分かってくれ。身内同然の子があんな目に遭わされたんだ。それも自分に対する嫌がらせでだ。自分で決着をつけてえのは当然だ。あのジジイの居場所を話してくれるとは思えねえよ」
「………ですが」
ガハルドは、それでも納得いかない。
この国の治安を守る騎士団長としては当然だった。
すると、それに対し、アッシュは、はっきりと宣言した。
「責任は俺がとるよ。もちろん、いざって時は兄貴としてコウタのフォローもな」
「……フォロー?」
ガハルドは眉をひそめたが、すぐに気付く。
「ああ、そういうことですか」
「……ああ」
アッシュは双眸を細めた。
そうして、皮肉気に笑って告げる。
「まあ、俺もいい加減、一度ぐらいはあのくそジジイの面を拝んでおきたいからな」
◆
深い夜が訪れる。
場所は廃墟区域にある館。
少年は、ネクタイを締めて、身だしなみを整えた。
身に纏うのは、闇よりも暗い黒のスーツだ。
「さて。頃合いだな」
灰色の髪の少年は双眸を細める。と、
「……そろそろ、行かれるのですか?」
不意に、後ろから声を掛けられた。
少年――レオスは、苦笑を浮かべた。
「ああ。俺の招待状も届いただろうしな」
「いささか、派手すぎる演出だったと思うですが……」
と、声を掛けてきた男――ボルドは嘆息する。
しかし、レオスは「ふん」と鼻を鳴らして。
「質実剛健もいいが、少し抑え気味なのはお前の悪いところだぞ、ボルド。花は盛大に散ってこそ花というものだ。このぐらいがちょうど良いのさ」
コツコツ、という足音と共に、レオスは歩き出した。
ドアの傍に立つボルドの肩をポンと叩き、部屋を出る。
ボルドは、その背中に声を掛ける。
「ご武運を。あの少年は強いですよ」
「ふん。分かっているさ」
レオスは振り向いて笑った。
「俺をこんな姿に追い込んだ小僧だぞ。奴の強さは俺が誰よりも知っている」
だがな、と言葉を続けた。
「それだけに楽しみだ。ラゴウを退けた悪竜の騎士。それに加えて、今回は逆鱗にまで触れてやったのだ。年甲斐もなく血が騒ぐぞ」
「………そうですか」
ボルドは細い目を、さらに細めた。
「改めて、ご武運を」
「ああ。では行ってくる」
レオスは廊下を歩いてく。
足音だけが響く。
レオスの表情は、徐々に愉悦と興奮で満ちていった。
そして――。
「さあ、悪竜の騎士」
レオスは、凄惨に笑った。
「待望の邂逅の時だぞ。俺を存分に楽しませてくれ」




