エピローグ
その日の朝。コウタは一人森の中を歩いていた。
夏も真っ盛りだというのに、日が差し込みにくい鬱蒼とした薄暗い森。
アシュレイ家の庭園の一角であり、魔窟館へと続く森の道だ。
毎朝の日課である剣術の自主トレーニングも終え、コウタは軽やかな足取りで魔窟館に向かっていた。
「うん。今日もいい天気だな」
木の葉の隙間からわずかに差し込んでくる日の光を右手で遮りつつ、コウタはどうにか取り戻した平穏な日常に笑みをこぼした。
あの深夜の大騒動。
生まれて初めて実戦を経験したあの日から、すでに十日が経っていた。
ラゴウとの一騎打ちの後、無事にジェイク達と合流したコウタ達は、駆け付けたエリーズ騎士団に救出した十八名の《星神》と共に保護された。
アベル率いる騎士団はラゴウ達の追撃を考えていたのだが、予想外の保護対象の多さに戦力を分散することも出来ず、その場では断念することになった。
そして翌日。派遣されたグレイシア皇国騎士団とも協力し、ラゴウ達の足跡を追ったのだが、結局捕えることはおろか、その姿を確認することも叶わなかった。
失意の両騎士団だったが、とは言え成果がなかった訳ではない。
結果論ではあるが、最も優先すべき《星神》達の保護は達成しているのだ。
そして、グレイシア皇国とエリーズ国の両国の上層部は会談をし、《星神》達の大半は皇国の首都である皇都ディノス――余談だが、コウタの愛機の略称は故郷の首都であるこの都市を意識している――にある保護施設に送られることになった。
「まあ、とりあえずこれで一件落着か」
空を見上げ、一度も行ったことのない故郷の首都に思いを馳せてコウタは呟く。
一学生に過ぎないコウタは、この事後対応にはほとんど関わっていない。
経緯自体は、四日ほど前にアベルから聞いたものだった。
この十日間でコウタ達がしたことといえば、事件に関するレポートを作成し、騎士団及び騎士学校に提出したことぐらいだ。
今回の一件。やむ得ないとは言え、コウタ達はかなりの無茶をした。
それに対する建前上の反省文である。
ただ、このレポートにて、当初の予定であった夏期研修も免除されたので、ジェイクなどは不幸中の幸いと皮肉気に笑っていたが。
「う~ん。メルには夏期研修は良い経験になると思ったんだけどなあ……」
森の中を進みつつ腕を組み、唸り声を上げるコウタ。
幼馴染の引きこもり改善を望む彼としては、少しばかり残念だった。
「けど、まぁいっか」
コウタはふっと笑う。
「あの事件はあの事件でメルに良い影響も与えているみたいだし」
少なくともあの一件で、メルティアには気を許せる人間が三人も出来た。
彼女を救うために体を張ってくれた、ジェイクとリーゼ。
そして唯一、皇都の保護施設に行かなかった――。
「あっ、もう着いたか」
と、考えている内に、コウタは魔窟館に到着した。
少年はいつものように眼前の館を仰ぎ見た。
魔窟館は、相も変わらず異様な雰囲気を放っている。
「ははっ、リーゼさんとかがこれを見ると絶句しそうだなあ」
そんなことを呟きつつ、コウタは魔窟館のドアを開けて中に入る。
目の前に広がるのはいつものホール。
ふと、周りを見渡すが、ゴーレム達の姿は見えない。
メルティアの居場所を訊きたかったのだが、仕方がない。
コウタは一番可能性が高そうな四階の寝室に向かった。
そうして四階に続く階段を目指して、長い廊下を歩いていると、
「……あっ!」
コウタはこちらに向かってくる知り合いの姿を見つけた。
膝ぐらいまである少し大きめの黒いドレスに、白いエプロン。
銀色の小さな王冠付きカチューシャを頭に付けたメイド服の少女だ。
八歳ほどのその少女は、腰まで伸ばした薄緑色の髪をゆらゆらと動かしながら、廊下を進んでいる。彼女は両手で本の山を抱えていた。
少女の隣には同じく本の山を担いだゴーレムが二機、同行している。
アイリ=ラストン。
保護された《星神》達の中で唯一保護施設に行くことを断った少女だ。
『……恩義がある。それを返す』
そう言って彼女は紆余曲折の結果、メルティア専属の住み込みメイドとなった。
現在、メルティア以外で唯一この魔窟館に住む人間でもある。
「おはよう。アイリ」
コウタがそう声をかけると、荷物を運ぶのに集中していたアイリ達もコウタの姿に気付き、ぺこりと頭を下げてきた。
「……おはよう。コウタ」
「……オハヨウ」「……オッス、コウタ」
と、似たようなテンポの口調で挨拶を返してくる。
「朝からお仕事かい? 偉いね」
そう言って、コウタはニコニコと笑いながら、少女の頭を撫でる。
すると、アイリは少し頬を赤くしてから、
「……メルティアなら寝室にいるよ」
もはや毎度のことなので、質問されるの待つまでもなくそう答えた。
コウタは、ポリポリと頬をかいて苦笑を浮かべる。
「そっか。ありがとう、アイリ。けどその前に、その本、持っていくの手伝おうか? 結構大変そうだし」
と、両手一杯に本の山を抱える少女に提案する。
しかし、アイリは首を横に振り、
「……私の仕事だからいい。ありがとう」
「うん。分かったよ。お仕事頑張って。アイリ」
そう言って、コウタがもう一度彼女の頭を撫でると、
「……シンパイ、ムヨウ」「……フクチョウ、テツダウ」
アイリの横に並んだゴーレム達が、そう告げてくる。
ちなみに今出て来た『フクチョウ』とは『副長』のことだ。
あの日、成り行きと勢いで発足した『メルティアン魔窟騎士団』。
アイリはその騎士団の副長に、何故か納まっていた。
主君であるメルティア。団長である零号に次ぐ地位である。彼女のカチューシャの上にちょこんと輝く銀色の王冠は副長の証なのだ。
なおコウタの扱いは下級兵だったりする。
どうも、最初の出会いで零号を怒らせたのがまずかったらしい。
ともあれ、コウタはアイリの頭をポンと叩き、
「ははっ、それじゃあボクも行くよ。お昼は一緒に食べようねアイリ」
「……うん。分かった」
アイリはこくんと頷いて、ゴーレム達と共に去って行った。
コウタは彼女達の姿が廊下の角に消えるまで届けてから、改めてメルティアのいる寝室に向かって進み始める。
長い廊下を渡り切り、階段を四階まで上がって、再び廊下を歩き続ける。
そうして十五分後。
コウタはようやく寝室の前に辿り着いた。
重厚なドアに無駄だと思いつつ、ノックをしてみる。
しかし、やはりというか反応はない。
コウタはふうっと嘆息してから、ドアを開けた。
「メル~。入るよ」
一応、そう断りを入れてコウタはメルティアの寝室に入った。
室内は相変わらずの煩雑っぷりだった。
所構わずに置かれた本の山や多くの工具。何やら増えている鎧機兵の部品。それをゴーレム達がせっせと整理整頓している姿も一切変わっていない。
コウタはふふっと口角を崩して、中央にある天蓋付きの巨大なベッドに目をやった。
そこには、彼の幼馴染の姿があった。
普段からよく着る白いブラウスに黒いタイトパンツ。何故か右手にスパナを握りしめて眠る紫銀色の髪の少女。メルティア=アシュレイだ。
「メル~。そろそろ起きなよ」
コウタがベッドに近付きながらそう呼び掛けるが、彼女は微かに寝息を立てるだけで反応しない。猫耳もピクリとも動いていないので、本当に眠っているようだ。
コウタはやれやれと肩をすくめた。
それから自分もベッドの上に上がる。彼女を起こすため……と言うより、スパナが危なそうなので取り上げるためだ。
そして腹這いになって進み、そっと少女からスパナを取り上げる。
意外なほど彼女はすんなり工具を手放した。
コウタはホッと安堵した。
次いでその場で胡坐をかき、座り込んだ。
しかし、急いで起こそうとはしない。
少しだけ。
もう少しだけ、彼女の寝顔を見たくなったのだ。
(……メル)
コウタが守り通した大切な少女。
彼女は幸せそうな笑みを浮かべて眠っていた。
子猫のような愛らしさに思わず頭を撫でたくなるが、それはグッと堪える。
流石に寝ている女の子に触るのはダメだ。何となくコウタはそう思った。
だけど、彼女の寝顔を見ていると、改めてホッとする。
あの男を相手にして彼女を奪われずに済んだのは、正直奇跡と言ってもいい。
もし、あのまま彼女を奪われていたと思うと、今でも背筋が寒くなる。
コウタは深い嘆息をこぼした。
「……本当に良かったよ」
メルティアは未だ眠り続ける。
そしてコウタは、そんな少女を優しげに見つめて――。
「トウヤ兄さん。サクヤ姉さん」
この世界のどこかにいるはずの家族に向けて告げる。
「ボクにも大切な人が出来たよ。いつか紹介するね」
いつの日か兄達と再会することを誓って。
少年も、幸せそうに笑った。
第1部〈了〉
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