エピローグ
「……コウタ」
永久凍土の世界から聞こえてくるような声に、コウタは身を震わせた。
心の底からの冷たさを感じる。魂まで凍り付きそうな寒さだ。
しかし、そこは氷の世界ではなかった。
平日の昼間。穏やかな日差しが差し込む王城ラスセーヌの客室である。
そこには今、七人の人間がいた。
一人は床の上に正座するコウタ。顔色は真っ青だ。
そんなコウタを壁際近くで見守るジェイク。額に手を当てて嘆息している。
その横には、おろおろとするルカだ。人ではないが零号の姿もあった。
続いて、コウタの周辺には佇む三人の少女達。
氷の微笑を見せるリーゼ。むすっと頬を膨らませているアイリ。
そして――。
「……あなたは何を考えているのですか?」
再び発せられる凍えるような声。
コウタは恐る恐る顔を上げた。
そこには、豊かな胸を支えるように腕を組んで佇むメルティアの姿があった。
(…………)
声も出せずに、コウタの顔が強張る。
幼馴染は、かつて見たことがないぐらい冷酷な眼差しをしていた。
さっきから、嫌な汗が止まらなかった。
「い、いや、その……」
とにかく何か言い訳しなければ。
説得できる気などまったくないが、ただそれだけが脳裏に浮かぶ。と、
「ふん。器がちっさいのう」
おもむろに最後の一人が口を開いた。
ぶわあっ、とコウタの顔からさらに大量の汗が噴き出す。
ガチガチとコウタが歯を鳴らす中、全員の視線が声の主へと向いた。
「そんなにわらわがコウタを朝帰りしたことが気に入らんか?」
不敵な声で、そう告げるのはリノだ。
ソファーに座って紅茶を楽しんでいる。
彼女の横には、トレイを頭上に掲げるサザンⅩの姿もあった。
「……三十三号」
メルティアは、久しぶりに再会したゴーレムに目をやった。
「何故、あなたはその女に尽くしているのです」
「ふん。サザンⅩは、わらわの騎士ゆえに決まっておろう」
リノは、カチャリとトレイの上に紅茶を置いた。
次いで立ち上がり、長い髪をふわりとかき上げる。
メルティアは半眼でリノを睨みつけた。
「盗人猛々しいとはこのことですね。ニセネコ女」
「ふん。奪われる方が間抜けなのじゃ。ギンネコ娘。それに」
そこで一拍おいて、リノは蒼白な顔のコウタを見やる。
彼女は、ふふんと鼻を鳴らした。
「まあ、奪ったのはサザンⅩだけではないがの」
「……どういう意味ですの?」
リーゼが問う。ちなみにこれが二人の初めての会話だ。
リノはリーゼに目をやり、自分の大きな胸を両腕で支えた。
「ふふん。朝帰りじゃぞ。一晩じゃぞ」
そう切り出すと、わずかに頬を朱に染めて。
「男女が二人。よもや何もなかったとでも思っておるのか? もはやわらわはコウタの女じゃ。わらわの肢体でコウタの触れておらぬ場所などない」
「……は、はうっ」
リノの宣言に、耳を真っ赤にして口元を押さえたのは、ルカだった。
王女さまは「コ、コウ君。大人、です」ともじもじしている。
一方、コウタは言葉もなく、いっそう青ざめていた。
「ふふ」
リノは頬に片手を当て妖艶に笑う。
「わらわは初めてだったというのに、コウタの奴はまったく容赦してくれなんでな。実に激しく熱い夜であった」
とまで告げる。
しかし、リーゼ達の方と言えば、
「それは嘘ですわね」
「それは嘘ですね」
「……うん。嘘だね」
リーゼのみならず、メルティア、アイリも即答した。
そこには何の迷いも嫉妬もない。
あるのは決して揺らがない確信だ。
「コウタさまにそんな度胸はありませんわ」
「ええ。ありません」
「……皆無だよ」
「……えらい言われようだな。それ」
思わず、ジェイクがツッコミを入れる。
まあ、コウタにそれだけの度胸があれば、メルティアかリーゼとは、とうの昔に結ばれているだろうから、ジェイクとしても否定まではしないが。
「え? う、嘘、なんですか?」
ルカが、パチパチと目を瞬いている。
なお情けないことに、コウタは、ブンブンと頭を縦に振って肯定していた。
「……むむう」
リノは不満げに頬を膨らませた。
「流石にお主らはコウタのことが分かっているようじゃな。しかし」
リノは、ゆっくりとメルティア達に近づいていく。
対し、動いたのはメルティアだった。
二人は避ける様子もなく前に進んで、どんっと互いの胸を突き合わせた。
身長も、美貌も、胸の大きさも全くの互角。
お互いにちょっとした衝突だったのだが、メルティアは獣人族の血を引くゆえの身体能力の高さで、リノは磨き上げた体術で、その場に留まった。
まるでシンメトリーのような容姿の二人は至近距離で睨み合った。
「わらわがコウタの女になったのは事実じゃぞ。少なくとも心はな」
「……それは分かっています」
メルティアは不快そうに眉をしかめた。
その話の大筋は、コウタ自身から聞いている。
――朝帰り。
リノを連れて朝帰りしたコウタから一部始終を聞きだしたのだ。
メルティア、リーゼ、アイリの三人に囲まれたその時のコウタは、まるで死刑判決を受けた容疑者のようだった。汗が全く止まらないほどだ。あまりの汗の量に、きっと体重はかなり落ちているに違いない。
今も正座しながら、ダラダラと汗を流し続けている。
「……コウタは優しいですからね。あなたを放っておけなかったのでしょう。ですが」
メルティアは、リノを見据えた。
「あなたはこれからどうするつもりですか? 生活費は? 《黒陽社》を辞めたと聞きましたが、まさかコウタに寄生でもするつもりなのですか?」
「メ、メル。それは――」
コウタは顔を上げて幼馴染に声をかけようとした。
しかし、メルティアの金色に輝く眼光に射すくめられる。
「コウタは黙っていてください」
「……はい」
コウタは黙った。
「……ふん。わらわが寄生するじゃと?」
リノは鼻を鳴らした。
「確かにわらわは《黒陽社》を辞めた。《水妖星》の称号も返上した。じゃがな」
不敵に笑う。
「こんなこともあろうかと隠し口座の一つぐらい持っておるわ。なんなら、わらわの方がコウタを養ってもよいぐらいにの」
「…………」
メルティアは無言のまま、ムッとした表情を見せる。
が、すぐに息を吐き出して、
「それは人身売買や兵器の販売で得たお金ですね?」
「ふん。それがどうした?」
リノは双眸を細めた。
「どんな手段で得ても金は金じゃ。金こそが世界において唯一平等な存在と言えよう。汚い金があるとすれば偽造貨幣ぐらいじゃな」
一拍おいて、
「ともあれ、わらわは生活面でコウタに負担をかける気はない」
「……そうですか」
メルティアは嘆息した。
「まあ、それはいいでしょう。そろそろ本題に入りますか」
メルティアは視線をリーゼ、アイリに向けた。
彼女達は頷く。
「コウタ」
メルティアは、コウタにも視線を向けて名を呼んだ。
コウタは姿勢を正して「は、はい!」と答えた。
「これから、少々この女と話をします」
そこでルカとジェイクにも目をやって、
「ですので、リーゼとアイリ以外は席を外してもらえますか?」
「お、おう。そっか」
「は、はい。分かり、ました」
ジェイクとルカが頷く。
コウタは「え? え?」と困惑していた。
「ま、待ってメル。リノと話って……」
「色々とですわ」
言って、座るコウタの右腕を持ち上げたのはリーゼだった。
「え?」と目を瞬かせるコウタ。すると今度は左腕を掴まれる。アイリだ。
「……コウタは会議の邪魔だから出て行って」
そう言って、うんしょっとコウタの左腕を持ち上げた。
コウタは、ふらふらと立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って!」
そう叫ぶが、リーゼ達は聞いてくれない。
そのまま、部屋の出口にまで連行していく。
「ど、どうしよう、ジェイク……」
コウタは泣き出しそうな顔でジェイクに縋った。
しかし、親友は大きな溜息をついて、
「もう、なるようにしかなんねえだろ」
そう言って、連行されるコウタに続いた。ルカもおろおろしながらも同行する。
空気を呼んで、零号とサザンⅩもコウタ達についていく。
そうしてアイリがドアを開けて、コウタ達を室外に出すと、バタンとドアを閉めた。
残されたのは、リノとメルティア。リーゼとアイリだ。
少女達は沈黙する。
長い静寂。
そして――。
「さあ、では始めましょうか」
メルティアが、開始の宣言をするのであった。
◆
くつくつ、と男は笑う。
そこは市街区にある宿の一室。
笑っているのは、レオス=ボーダーだ。
テーブルに添えられた質素な椅子に座り、今は足を組んでいる。
彼の前には一人の男が佇んでいた。
額に包帯を巻いたラゴウ=ホオヅキである。
「随分と手酷くやられたな」
レオスは楽しげに語る。
本当に、心から楽しそうだった。
ラゴウは小さく嘆息した。
「ええ。侮ったつもりはないのですが」
「まあ、そうだろうな」
レオスは、ふっと笑みを零す。
「お前が手を抜くとは思えんしな。ふふ、あの小僧は、お前にそれほどの傷を負わせるまでになったか」
「……ええ」
ラゴウは首肯する。
「姫の助力を差し引いても、あの少年は強くなりました」
「……そうか」
レオスは嬉しそうに眼を細めた。
姿かたちは少年なのだが、やはり本質が出るのか、まるで老人が孫の成長を慈しむような笑みだった。
もしくは、果実が実ったことを喜ぶ笑みに近いか。
「……ふふ。まあよい。おかげで今回の旅の楽しみがなくならなくてよかったぞ」
「……吾輩としては、いささか不本意な結果ですが」
ラゴウは渋面を浮かべる。
リノを奪回できなかったのは、ラゴウとしては不忠に等しい失態だった。
「まあ、そう自分を責めるな」
対し、レオスは肩をすくめた。
「結局、リノ嬢ちゃんが決めたことだ。お前が責を感じることでもあるまいて」
「…………」
ラゴウは無言だ。レオスはふっと笑みを零した。
「今は養生しろ。お前とて水蒸気爆発には堪えただろう」
「……はい。そうさせて頂きます」
言って、ラゴウは立ち上がった。
次いで、レオスに一礼して部屋を後にする。
流石にあの傷は動くのもつらいはずだ。恐らく自室で休むつもりなのだろう。
残されたレオスは、椅子の背もたれに体重を預けた。
しばしの沈黙。
「さて、と」
レオスは瞳を細めた。
髪の色と同じ、仄暗い灰色の眼差しを。
そして呟く。
「次はいよいよ俺の番という訳だな」
第9部〈了〉
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