第六章 宿敵再び②
コウタは、沈黙していた。
言葉を失っている訳ではない。
正直なところ、その台詞は予想していたからだ。
(……《黒陽》の娘)
しかし、それでも重い事実に変わりない。
沈黙するしかなかった。
「……コウタよ」
リノが済まなそうに眉をひそめた。
「すまなんだ。隠すつもりではなかったのだが……」
中々切り出す機会がなかったのじゃ、と言葉を続ける。
コウタは、何も返さない。
改めて、彼女が背負う闇の深さを実感していた。
すると、
「……少年」
ラゴウが口を開いた。
「姫の素性に言葉を失ったか」
皮肉気に笑う。
「無理もあるまい。だが、これは事実だ。分かるか? 少年よ」
ラゴウは黒い双眸でコウタを射抜く。
「姫が生まれもって持つ宿業の重さを」
宿敵の言葉に、コウタは声を返せなかった。
「ヌシは強くなった」
ラゴウはコウタを見据えたまま、言葉を続ける。
「初めて会った日よりも見違えるほどにな。だが」
男は語る。
「まだ足りぬ。覚悟も力も。ヌシの手は姫には届かぬよ」
「…………」
コウタは何も言えなかった。
すると、代わりにリノがラゴウを睨みつける。
「……ラゴウよ。口が過ぎるぞ」
「申し訳ありません。そうですな。本題に入りましょう」
そこで、ラゴウはリノに視線を向ける。
「姫。今日、吾輩がここに来たのは他でもありませぬ」
続けて、おもむろに立ち上がった。
「姫の目的は、すでに達成されたのでしょう。ならば、これ以上の単独行動は危険です。ですので」
ラゴウは軽く頭を垂れた。
「お迎えに上がりました。《双金葬守》及び、他の《七星》が動き出す前に、我々と合流を願います」
「…………」
リノは、無言でラゴウを睨み続けていた。
しかし、しばらくすると嘆息して、
「仕方がないのう……」
父の古くからの忠臣に進言されては、聞かない訳にはいかない。
それに結局のところ、リノは《九妖星》。
コウタの兄とは敵対する立場にある。
「情報では義兄上以外にも《天架麗人》、《蒼天公女》までいるそうじゃからの。あの二人が義兄上ほど寛容とは限らぬしのう」
ここらが潮時だろう。
久しぶりにコウタにも会えた。
コウタの唯一の肉親にも顔見せだけは出来た。
未来の義姉上達にも挨拶は出来た。
今回の成果としては充分だ。
「すまぬ。コウタよ」
リノは立ち上がると、コウタを見つめた。
「今回は、ここらでわらわはお暇することにしよう」
そう告げてから、
「楽しかったぞ。コウタ」
リノは、コウタの頬に軽いキスをした。
ラゴウは「……姫」と渋面を浮かべた。
一方、コウタは唖然として自分の頬を押さえた。
「また会える日を楽しみにしておる」
リノは、少しだけ哀しそうな表情でそう告げた。
そして、
「行くぞ。ラゴウ」
「……は」
ラゴウを伴って、リノは席を立った。
カウンターに立ち寄って、店主に銅貨を三枚渡して店のドアに向かう。
その間、コウタは、ただ黙ってリノの後ろ姿を見つめていた。
何をどうすればいいのか分からなかった。
(リノは《黒陽》の娘……)
彼女を闇の中から連れ出したい。
そう願っていた。
しかし、それはあまりにも困難な願いだったことを思い知る。
彼女は、再び闇の中に消えようとしていた。
(ボクは……)
グッと拳を固める。
けれど、まるで鎖で縛られたように足が動かない。
その時だった。
「……ウゴケナイノカ。ワガ《御子》ヨ」
不意に声を掛けられた。
コウタが「…‥え」と驚いて振り向くと、そこには、主人であるリノが立ち去ろうとしているのに未だ椅子に座ったままのサザンXがいた。
蒼いゴーレムは、コウタを見つめている。
「……ヨウセイノ、ヒメノ、宿業ニ、ケオサレタカ?」
「そ、それは……」
コウタは声を詰まらせる。
それを感じていないと言えば嘘になる。
「ボクは、どうすれば……」
「……ナサケナイ」
サザンXは、肩を竦めた。
「……ヒメヲ、マモリタイトイウ、言葉ハ、ウソナダッタノカ?」
「そんなことはないよ!」
コウタは、サザンXを睨みつけた。
「リノは大切だ。けど、リノは《黒陽》の娘なんだ。彼女の手を取れば《黒陽社》すべてを敵に回すことになる。そうなると、メル達まで……」
巻き込んでしまうことになる。
それが、恐ろしかった。
すると、サザンXは、
「……キニスルナ」
「…………え」
「……カツテ、ワガ唯一ノ友ハ、ヒトリノ女ノタメニ、世界ヲ敵ニシタ」
サザンXは、訥々と語り始めた。
「……ソレニクラベレバ、ササイナ話ダ。案ズルナ。メルサマト、ウムニハ、ワレラモ、イル。ソレヨリモ、理解セヨ」
サザンXは扉を指差した。
丁度、リノとラゴウが立ち去るところだった。
「……ココデ、ヒメヲ、行カセレバ、永遠二、彼女ヲ、失ウゾ」
「え?」
コウタは唖然として、扉に目をやった。
リノの長い髪が揺れるのが瞳に映る。
「……ワガ《御子》ヨ。ヒトツ、訓示ヲサズケヨウ」
サザンXは厳かに告げる。
「……下手ナカンガエ、ヤスムニニタリダ」
「え?」
コウタはキョトンする。
「ええ? それって訓示なの?」
次いで困惑していると、サザンXは「……ウム!」と腰に両手を当てた。
「……マズ、ウゴケ。ジブンノ女ガ、ツレテイカレルゾ」
「いや、動けって……」
「……イロイロナコトハ、後デ、カンガエロ」
サザンXは扉を指差した。
「……ヒメヲ、ウシナイタクナイノダロウ?」
「―――ッ!」
そう問われた途端、コウタは走り出した。
――嗚呼、自分はなんて馬鹿なんだ。
『――コウタ!』
自分の名を呼ぶ彼女。その満面の笑みが脳裏によぎる。
何故、動けなかったのだろうか。
確かに危険はある。困難な状況も予想できる。
もしも、メルティアに被害が出るなど考えたくもない。
だが、それはまだ可能性だけの話だ。
最も確実なのは一つだけ。
ここで引けば、絶対に彼女を闇から救い出せないということだ。
リノが、闇の中へと消えてしまう。
それだけは間違いなかった。
「――リノ!」
コウタは、店から飛び出した。
すると、裏通りを歩いていたリノとラゴウが驚いた顔で振り向いた。
コウタはリノの元に駆け寄ると、グッと彼女を強く抱きしめた。
「……え?」
リノが、唖然とした表情を見せる。
コウタはそのまま彼女を抱いたまま、後ろに跳躍した。
彼女を連れ去ろうとした男。
ラゴウ=ホオヅキと対峙するためにだ。
「……小僧」
ラゴウは表情を険しくした。
「何の真似だ。それは?」
それは、コウタも初めて見る宿敵の怒りの表情だった。
「コ、コウタ……?」
一方、腕の中のリノは困惑した表情を浮かべている。
「……お前の言う通りだよ」
コウタは、ラゴウを睨みつける。
「ボクには、まだ覚悟も力も足りない。リノの事情を聞いて腰が引けたのも事実だよ。けど、それでも彼女と再会した時に決めたことがあるんだ」
「……何だと?」
ラゴウは拳を固めつつ、首を傾げた。
「……ボクは」
コウタは、より強くリノを抱きしめた。
そして宿敵にはっきりと宣言する。
「リノをもう離さない。ましてやお前なんかに渡してたまるか」




