幕間一 《妖星》達の休日
――カチャリ、と。
兵士の駒が、敵陣深くに切り込んだ。
駒を手に持つのは少年だ。
歳の頃は、十代後半ほどか。見た目からは考えられないほどの冷徹な眼差しを持つ、黒いスーツを纏った灰色の髪の少年である。
「……ここまでですか」
と、答えるのは、チェスの対戦相手。
年齢は三十代後半ほど。
右側の額に大きな裂傷を持つ頬のこけた人物だ。
少年同様に全身を黒いスーツで包んでいる。
まるで、研ぎすぎた刃を思わせる黒髪の人物である。
「お見事です。ボーダー支部長」
黒髪の男――ラゴウ=ホオヅキが、そう告げる。
対し、少年――レオス=ボーダーが、苦笑を浮かべた。
「年の功というものだ」
チェスはまだ、チェックメイトには至っていない。
しかし、ラゴウは、最後までの手順を読み切っていた。
もはや自分に逆転の目はない。
「まったくもってお強い」
ラゴウは嘆息した。
「吾輩も、チェスには少々自信はあったのですが」
これで三連敗だ。
流石に自信もなくなってくる。
「所詮は遊戯だ。気にするな」
と、レオスが言う。
「俺とて、奴相手では中々勝てんからな」
「……主君ですか」
ラゴウは目を細める。
レオスは自軍の王の駒を手に取った。
「奴にチェスを教えたのは俺なのだがな。一月もせん内に越えられたものだ」
「……主君は特別ですからな」
「確かに」
レオスは苦笑を浮かべた。
「俺も長年生きているが、あれほど才に溢れた人間は知らん」
レオスは『才能』という言葉が嫌いだった。
自分が薬物に頼らなければならないほど、無才であることを知っているからだ。
「あの才の半分でも俺にあれば、といつも思うよ」
「……ボーダー支部長」
ラゴウが神妙な顔を見せる。
「まあ、無能な老人の愚痴だ」
対し、レオスは王の駒を、カツンと置いて肩を竦めた。
「そう気にするな。それよりも」
レオスは大きく開かれた窓の外に目をやった。
大通りには多くの人。遠目には白亜の王城が見える。
アティス王国の王都・ラズンの情景だ。
「奴の才を受け継ぐあの娘はどこに行ったのだ?」
「姫ですか?」
ラゴウも、窓の外に目をやった。
視線の先には、白亜の王城がある。
「恐らくはあの少年の元でしょうな。姫は常々会いたいとおっしゃってましたから」
「……ふん。あの小僧か」
レオスは鼻を鳴らした。
騎士の駒を取って、コツコツとチェス盤を叩く。
「あの小僧も才に溢れている。しかし……」
レオスは、ラゴウに目をやった。
「あの親馬鹿な奴のことだ。愛娘に手を出されては当然、黙っておらんだろうな。そうなれば、あの小僧とて……」
ラゴウは、双眸を細めた。
「確かに、吾輩の知るあの少年の実力では、主君にはまだ届かぬでしょうな。そういう意味では……」
そこで、ラゴウは苦笑を浮かべる。
「姫を妻にできる者は《双金葬守》だけと言えるでしょう。恐らく、かの者の力は主君にも匹敵するでしょうから」
「それが、まさかの弟の方という訳か」
レオスも、また苦笑を浮かべた。
「因果なものだ。だが面白くもあるな」
レオスは騎士の駒で、王を打った。
「まあ、いずれにせよ、悪いと思うがリノ嬢ちゃんの恋は成就せんだろう。あの小僧は俺が殺すからな」
「……いえ。ボーダー支部長」
そこで、ラゴウは椅子から立ちがった。
「ボーダー支部長と、あの少年の因縁は吾輩も承知しておりますが、残念ながら、そうは行きませぬ」
言って、ラゴウは不敵な笑みを見せた。
「あの少年を最初に見出したのは吾輩。ゆえにまずは吾輩から行かせて頂きます」
「……好きにしろ」
レオスは騎士の駒を手で遊びながら、嘆息した。
「ボルドの奴も早速好きに動いているからな。止めはせん。お前に殺されるようなら、あの小僧の器もそこまでということだ」
「……では」
ラゴウは最古の《九妖星》に一礼した。
次いで、コツコツと靴音を鳴らして、ドアに向かう。
――が、ドアのノブを掴んだところで振り返り、
「お先に失礼いたします。ボーダー支部長」
どこか楽しげに、そう告げた。
レオスは、プラプラと手を振った。
ラゴウはそのまま退室した。
部屋に残されたのは、レオス一人だけだ。
しばしの沈黙。窓からの大通りの喧騒だけが耳に届く。
そして――。
「さて。小僧」
レオスは、騎士の駒を王の前に置いた。
「《妖星》の試練、見事乗り越えてみせろ。俺を失望させるなよ」
 




