第五章 頂きに挑む②
クライン工房は、意外と小さな工房だった。
田畑と農家が見える田園風景の中に、ポツンと建った二階建ての建屋。
一階は大きく開かれた作業場だ。
工房の隣には馬でも飼っているのか、小さな厩舎がある。
今は午前十時すぎ。
すでに、店は開いているのだろう。シャッターは上がっていた。
(ここに兄さんが……)
流石にコウタが緊張していると、
「早く行こう」
ここが実家であるユーリィが、トコトコと歩き出した。
続いて、まるで自分の家かのように、慣れた様子で敷地内に入っていくサーシャとアリシア。そしてそれに続く、ルカとミランシャ。彼女達にも躊躇いがない。ロックとエドワードは、彼女達の後に続いた。
コウタ達は少し躊躇いつつも、彼らの後を追った。
そうして作業場の門戸をくぐり、
「……アッシュ。ただいま」
ユーリィが声を上げるが、返事はない。
「……むう」と、ユーリィが少しむくれていると、
「あ、オトハさんだ」
サーシャが指差す。
そこは、作業机の前。パイプ椅子に一人の女性が座っていた。
「まあ!」
リーゼが目を見開き、ポンと手を打った。
「確かに本物のオトハさまですわ!」
(……この人が)
コウタは、まじまじと彼女を見つめた。
年齢は二十代前半か。
紫紺色の髪に、白い眼帯。サーシャ並みの抜群のスタイルには黒い革服を着ている。
顔立ちも美しく、今は瞳を閉じていた。
どうやら、椅子に座ったまま寝ているようだ。
(これまた、凄い美人だ)
素直にコウタは思う。
何となくだが、どこか義姉に似ている気もした。
「……これまた、凄い美人さんだよ」
と、リーゼの隣に立つアイリが、コウタが思ったことをそのまま呟いた。
コウタは少し苦笑した。
「……オオ、ビジン」
「……ネムレル、モリノビジョ」
「……オチツケ。ココハ、モリデハ、ナイ」
と、零号達のテンションも上がっているようだ。
「なんか、オトハさんの寝顔って初めて見るかも」
その時、アリシアが少し驚いた顔で目を瞬かせた。
サーシャも小首を傾げて。
「うん。疲れてるのかな?」
話によると、見た目からは想像しにくいが彼女は傭兵らしい。
人前で眠るのは、確かに珍しいことなのかもしれない。
サーシャとアリシア。ユーリィは顔を見合わせた。
ともあれ、客人が来ているのに寝たままなのは失礼だ。
彼女達はこくんと頷くと、代表なのか、ユーリィがオトハに近付き、
「……オトハさん」
肩を揺さぶって見る。
が、オトハは中々起きない。
代わりに大きな胸だけが、たゆんっと揺れた。ユーリィはムッとする。
しかし、本当に一向に起きない。
小さな声で、寝言らしきものを呟き続けている。
「ま、待って。初めては前がいい。お願い、ぎゅっと……」
どこか不安げな、それでいて甘えているような声を出す。
「……オトハさん?」
ユーリィは眉根を寄せた。
爆睡するオトハも珍しいが、これは一体――。
と、その時だった。
「……どいて。ユーリィちゃん」
「え?」
ユーリィが驚いて振り向くと、そこにはミランシャがいた。
少し不機嫌そうな彼女は、バシンッとオトハの頭を強く叩いた。
「――ふわっ!?」
流石にオトハが目を覚ます。
頭を両手で押させて、困惑する彼女。
そこで、ミランシャの姿に気付いたようだ。
ミランシャは呆れるように呟いて。
「目が覚めた? オトハちゃん」
「ハ、ハウルか?」
パチパチ、と目を瞬かせるオトハ。
二人は共に《七星》だ。
当然、面識のある彼女達は、何故か小声で話し合っていた。
その様子を遠くで見る少女がいた。
「お、起きられましたわ」
オトハに憧れるリーゼだ。
「あ、あの方が、オトハさまなのですね」
喉を軽く鳴らす。と、
「緊張なさらないでください。お嬢さま」
シャルロットが微笑んだ。
「昨日、私も会話をしましたが、オトハさまは良識的な方です」
「そ、そうですわね」
リーゼが、シャルロットを見つめてそう呟く。
その時、オトハは、ミランシャ相手に、「……え? はあっ!?」と、パイプ椅子を倒して叫んだ。何事かとコウタ達が注目すると、
「お、お前、何を言っているんだ!?」
そう叫んで、ミランシャに詰め寄ろうとするオトハ。
何やら、二人は言い争っているようだったが……。
「あっ、危ないわよ」
不意にオトハが膝を崩した。
咄嗟に、ミランシャがオトハの片腕を掴んで支える。
「……? 何か、もめ事でしょうか?」
リーゼが眉根を寄せる。
すると、何故か、シャルロットは遠い目をした。
「いえ。現在、ミランシャさまは、オトハさまに尋問されているのです」
「尋問?」
「はい。まあ、あの態度、消耗具合では私達の推測は大当たりのようですね」
「???」
リーゼがますます眉根を寄せた。
と、その時。
「オ、オトハさん? どうかしたんですか?」
疑問に思っていたのは、リーゼ達だけではなかった。
サーシャ達もそうだった。
問いかけの声はサーシャのものだった。
すると、オトハは目に見えて動揺した。
「う、うむ。いや、何もない」
と、言葉を濁す。
サーシャだけでなく、アリシア、ルカも首を傾げた。
オトハはとりあえず大きく息を吐き出すと、
「すまない。少し疲れて眠っていた。それよりも客人か?」
「あ、はい」と、サーシャが頷く。「彼らがエリーズ国の人達です」
言って、コウタ達に片手を向けた。
「……そうか」
オトハがコウタ達の方を見やる。
髪と同じ、紫紺色の瞳。
彼女は、まずメルティアを。次に零号達。視線が重なってドキッとするリーゼに、続けてアイリを見る。その後、二カッと笑うジェイクに目をやってから――。
ゆっくりと瞳を細めた。
その視線の先には、コウタがいた。
短い沈黙。
「君が……」
オトハは、唇を動かした。
「コウタ=ヒラサカなのだな」
名前を呼ばれて、コウタはわずかに緊張するが……。
「……はい。初めまして。オトハ=タチバナさん」
すぐに深々と頭を下げた。
再び短い沈黙。
「……? オトハさん?」
その時、ユーリィが、小首を傾げた。
二人の様子がおかしいことに気付いたのだ。
だから、率直に尋ねた。
「コウタ君と知り合いなの?」
「いや、初めて会う。だが、彼は――」
――と、オトハが少し困ったような顔をした時だった。
ギシッとわずかに音が鳴った。
工房の奥。二階に続く階段からの音だ。
ギシギシ、と階段が軋む音は続く。
(―――あ)
ドクン、とコウタの心臓が大きく跳ね上がった。
直感が告げる。
きっと、この音の主は――。
コウタのみならず、全員が階段の方に注目した。
そして、一人の青年が現れる。
「よく来たな。いらっしゃい」
告げられる歓迎の言葉。
けれど、コウタは返す言葉もない。
大きく変わり果てた髪の色。
しかし、それ以外は想像通りだった。
そこには、紛れもなく。
(……兄、さん)
――トウヤ=ヒラサカ。
今は『アッシュ=クライン』と名乗る、兄の姿があったのだ。




