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プロローグ

 黙々と。

 彼女は一人、書類と格闘していた。

 そこはラスティアン宮殿七階にある団長室。

 そして執務席にて業務をこなす彼女こそが皇国騎士団の団長であった。



「……ふう。流石に疲れてきましたね」



 トントンと肩を叩く。

 外見は二十代後半。軽くウェーブのかかった亜麻色の長い髪が印象的な美女。

 スタイルもとてもよく、髪と同色の瞳には温和な光を宿していた。

 美貌、プロポーションからして騎士には到底見えない女性だ。

 事実、黒い騎士服と純白のサーコートを纏っていなければ、彼女が騎士団の団長であるとは誰も思わないだろう。

 ましてや、グレイシア皇国が誇る最強の七騎士――《七星》の第一座であるなどとは夢に思わないに違いない。



「やれやれです」



 彼女の名は、ソフィア=アレール。

 かのハウル公爵令嬢さえも恐れおののく女傑だ。

 しかし、そんな女傑も一向に終わらない書類の山に霹靂していた。



「毎日毎日書類ばかり。少しは穏やかに過ごせないのでしょうか」



 執務席に置かれた書類の山を一瞥して嘆息する。

 平時、騎士団長の仕事は任務の認可を取るものが多い。

 責任者の役目であるとは重々承知しているが、ただ判子を押すだけならば誰か変わってくれないかと思ってしまう。

 そうすれば、自分も婚活など自由な時間が得られるというのに。



「はあ、このままでは私は《七星》唯一の行き遅れになってしまいます」



 机の上に突っ伏し、そんな愚痴を零す。

 今代の《七星》は七人中三人が女性だ。他の二人は結構奥手ではあるが、それでも意中の人物はきちんといて、彼女達なりに攻勢に出ている。

 問題があるとすれば彼女達の想い人が同じ人物だと言うことだが、一年ほど前に部下の一人が妻を同時に二人も娶るというとんでもないことをやってのけた。

 あれ以来、彼女達が同時にウエディングドレスを着るという想像が頭をよぎるようになったのはソフィアだけの秘密である。



「まあ、下手をすると、もっと沢山の花嫁がいそうですが……」



 そんなことを思い浮かべて苦笑を零す。

 しかし、それはまた別の話だ。ここで問題なのは自分の方である。

 彼女達よりも年上である自分には意中の相手すらいない。

 騎士団の団長という物騒な肩書きのせいで見合い話さえ出てこない現状だった。

 多少若く見えても彼女の実年齢は三十歳。

 貴族間、もしくは逆に小さな村などでは十代での結婚もさほど珍しくないと聞く。だというのに自分は三十歳。適齢期的にはそろそろヤバいのである。

 だからこそ彼女は日々焦りを抱いていた。



「どうしたものでしょうか……」



 はあ、と深い溜息をつく。と、

 ――コンコン。

 不意にドアがノックされた。

 ソフィアは身なりと表情を改めて「どうぞ」と入室を許可する。



「失礼します」



 そう告げて入室してきたのは四十代後半の騎士だった。

 黒い騎士服の上にソフィアと同じ白いサーコートを纏う人物。

 五十に近いとは思えないほど鍛え抜かれた長身と、随分と無愛想な顔つきが印象的な彼の名は、ライアン=サウスエンド。

 ソフィアの右腕であり、皇国騎士団の副団長を務める人物だった。



「ご報告に上がりました。団長……どうかされましたか?」



 入室するなり、とても落ち込んでいるように見えるソフィアにライアンが尋ねる。



「どこか体調でも?」


「いえ、体の方は大丈夫です。問題なのは精神的なことです」



 ぐったりした様子でソフィアが告げる。

 ライアンは眉根を寄せた。



「精神的な疲労ですか? では医務室に行かれては?」


「いえ。それは無駄でしょう。私が不安を抱いているのは私の未来についてです。医師には解決できません」


「……未来ですか? 一体何を……」


「ああ、果たして私には伴侶が出来るでしょうか……。まだ見ぬ私の旦那さまは一体どこにいるのでしょうか……」


「……………」



 ソフィアの独白を前にして、ライアンは急に無言になった。

 その無愛想な顔には「そんなもの分かるはずないだろう」と書かれている。

 しかし、落ち込んでいるソフィアは部下の心情には一切気付かない。

 それどころか不意にライアンを見つめて――。



「あっ、そうだ! サウスエンド副団長。このまま私が行き遅れになるようでしたら、いっそあなたが私を貰ってくれませんか? 私は結構年上さんが好みですし、二十歳ぐらい上でも全然大丈夫です」



 名案だとばかりに、ポンと手を打つソフィア。

 一瞬、団長室に静寂が降りる。

 そして――。


 ――ぶわあっと。


 ライアンは、いきなり大量の汗をかいていた。

 無愛想な表情は変わらないが、玉のような汗がびっしりと噴き出ている。



「ご、ご命令とあらば……」



 そしてライアンは絞り出すような声で答えた。



「ま、前向きに。前向きに検討いたしましょう」


「………いえ」



 ソフィアの頬が引きつった。



「《七星》の第二座であり、戦場において《鬼喰夜叉》とまで呼ばれるあなたが、私を貰うことにはそこまで悲壮な表情を見せるのですか……」



 確かに自分は女としては頼りない。

 料理も全く出来ないし、宮殿内の私室や、この団長室の奥にある仮眠室は足の踏み場もないぐらいゴミに埋もれた暗黒空間だ。

 最も身近にいる部下として、過労で寝落ちした彼女を仮眠室に移動させることも多かったライアンはその事実を知っている。幾ら見た目が若くて美人でも、そんな女を嫁にしろというのはもはや罰ゲームだ。



「すみません。私のようなズボラな女を貰えというのは無茶でしたね」



 完全に死んだ目で自嘲の笑みを見せるソフィア。



「い、いえ。ズ――整理整頓が得意ではない女性には慣れているのですが……」



 ソフィアがズボラであることは否定せず、ライアンはゴホンと喉を鳴らした。



「団長は魅力的な女性です。ですが、私には愛する妻がいました。彼女への想いを割り切るのは少々難しいのです」


「……そうですか。相変わらずの愛妻家なのですね。あなたは」



 ソフィアは微笑む。

 その場凌ぎの口実のようにも聞こえるが、無愛想で知られるライアンが、亡き奥方を八年経った今でも愛しているのは紛う事なき事実でもあった。



「どうかもう少しお時間を。しかし団長。私のような壮年の男でなくても伴侶候補ならば他の《七星》から選ばれては?」



 苦肉の策で他の《七星》を身代わりに差し出す副団長。

 すると、ソフィアは微かに口元を歪めて、



「それは無理でしょう。まずアルフ君は歳が離れすぎています。年上は結構上でも好みですが年下はちょっと。それに私とあのお爺さまとの折り合いは最悪です。上手くいくはずもありません。そしてアッシュ・・・・君の方はもう完全に別格の戦場ですよ。オトハちゃんやミランシャちゃんクラスがひしめくような超激戦区なんです。見ているだけなら面白いですけど自分では入りたくありません。後はブライ君ですが……」


 そこで頬に手を当てて嘆息する。



「彼はナシでしょう」


「確かにナシですな」



 二人して即断する。



「という訳で私の肩書きにも物怖じず、人格、実力、好み、包容力、年収的にもベストなのはあなただけなのですよ。サウスエンド副団長」


「う、ぐ」



 再び標的にされて呻くライアン。

 ソフィアは両手を重ねてニコニコと笑った。



「幾らでも待ちますので前向きに検討してくださいね。ライアンさん」


「ぐ、うゥ……」



 ますますもってライアンは呻く。



「そして寿退職する私の代わりに団長になってこの書類の山を片してください」


「……それが一番の本音ですか。団長」



 ライアンは深々と嘆息した。



「仮に私が団長になっても、いま目の前にある書類を押印するのはあなたですよ」


「……むう」



 ソフィアはぷくうと頬を膨らませた。

 何だかんだいってライアンの前でしか見せない甘えの仕草なのだが、ライアンは自分にも他人にも団長にも厳しい男だった。



「そのような顔をしてもダメです。団長の押印が遅れるほど仕事は停滞します」


「それは分かっていますが……」



 ソフィアは溜息を零した。そして執務机の上の書類の山に目をやる。その積み上げた高さは彼女の頭よりも上だ。



「流石に心が折れてしまいそうです」



 そうぼやきつつも、彼女は条件反射的に書類の一枚の手を取った。



「……あら?」



 そこでパチパチと目を瞬いた。

 それは認可書ではなく、事案書の一つだった。

 ただ、少し珍しい内容だったのでソフィアはその文面を読み上げた。



「『エリーズ国、公爵家招待について』」


「……ほう。それはアルフレッド=ハウルの事案書ですな」



 ライアンが興味深げに呟く。

 確か、ハウル公爵家が主体となってエリーズ国の四大公爵家の内、二家のご令嬢を招待するといった内容だ。

 先日行った騎士学校同士の交流会と違い、公的な催しではない。

 あくまでハウル家との親睦ということになっていたはず。しかし、外交的なこともあるので一応事案書として団長室まで上がったのだろう。



「なるほど。アルフ君がわざわざ招待した子達ですか……」



 ソフィアは目を細めて書類を掲げた。



「少し興味がありますね。一体どんな子達なのでしょうか?」

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