エピローグ
木々の天蓋に覆われた街道。
天気も良い昼下がり。二人の女性がのんびりと木漏れ日の中を歩いていた。
サクヤとジェシカの二人である。
皇都ディノスまで後三十分といった距離だ。
鳥達が鳴く。鼻歌でも歌いたくなるような陽気な日差しだ。
しかし、サクヤの頬は微妙に引きつっていた。
その理由は従者兼友人にある。
「ず、随分とご機嫌なのね。ジェシカ」
今までずっと沈黙していたが、流石に耐えきれなくなったサクヤが話しかける。
ジェシカはずっと無言のままサクヤの後に付いてきていた。
ただし、その両腕には折りたたんだ白い布を大事そうに抱えている。
「……そう見えますか?」
「う、うん。ところでその手の布って何なのかな?」
足を止めて尋ねるサクヤ。するとわずかにジェシカの瞳が輝いた。
「コウタさんの制服の一部です。成り行きですがお預かりしました」
「へえ、そうなんだ」
「……はい。これにはコウタさんの優しさが詰まっています。ああ、コウタさん」
そう呟いて、白い布をぎゅうと抱きしめるジェシカ。
一方、義弟の私物を抱きしめて幸せそうにくんかくんかする従者に、ちょっとばかり引いてしまう盟主さま。
「そ、その、あのね、ジェシカ」
「? 何でしょうか? 姫さま」
言って、ジェシカは顔を上げる。
サクヤは顔を引きつらせたまま尋ねてみる。
「えっと、自分の気持ちには整理がついた?」
「はい。充分に。本当に思い知りました」
ジェシカは遠い目をして語る。
「愛が分からないと嘯いていた私は、結局のところ、愛を知らなかっただけでした。この熱い想いを知らなかっただけなのです」
「そ、そう……」
うわあ、予想通りの結果だぁ……。
内心でそう思いつつ、サクヤは「うん、そっか」と微笑んだ。
「ところで姫さま」
すると、ジェシカは不意に真剣な面持ちをサクヤに向けた。
サクヤは小首を傾げる。
「何かしら? ジェシカ?」
「実は私は処女なのです」
「……うん。なんでそこでいきなりカミングアウトなの?」
「私は十代前半から『女』を暗殺の道具にしてきました」
「え? 私の質問ガン無視? 私って一応盟主さんだよね?」
「標的の男を誘い、ベッドに連れ込み、頸動脈を切断する。それが私の最も得意な暗殺でした。時には肌を触らせ、唇ぐらいならくれてやりました。ただ、今思うとかなりスレスレの綱渡りであったと思います」
「う、うん。それは危ないね。もう止めた方がいいよ」
「はい。一歩間違えれば返り討ちにあってすべてを奪われてもおかしくない手段でした。ですが、私はこれまでずっと無事だった。だからこそ思うのです」
ジェシカは再び白い布をぎゅうと抱きしめる。
そしてカッと目を見開いた。
「きっと、私は彼に食べられるために無事だったのだと! 私は《悪竜の御子》さまに美味しく堪能して頂く贄だったのです!」
「美味しく食べられるの!? それってコウちゃんにだよね!? いや、男女の関係なら当然そうなるんだけど、う、うん。ちょっと待ってくれるかな……?」
流石に顔を強張らせるサクヤをよそに、ジェシカは言葉を続ける。
「――姫さまっ! そこでご相談が!」
「は、はい! 何でしょうか! ジェシカさんっ!」
ジェシカの想定外の熱さと勢いに反射的にサクヤが尋ね返すと、ジェシカはぐるぐると回り始めた瞳で告げる。
「そ、そのっ! コウタさんに私の処女を捧げるとしてもっ! 私はその時までに何か準備をしておいた方が良いのでしょうかっ! 私の方が結構年上ですので例えばその手の知識を蓄えておいて……い、いえ、むしろ今のままの私の方が良いのでしょうか? 自分色に染めるという言葉もありますし、下手な知識や技術は得ずに、コウタさんの望まれるままにお召し上がり頂かれた方が――……」
最後の方はもうほとんど独白だ。
初めて見る従者のテンパった様子に、サクヤはただ遠い目をした。
「教えてください! 私はどうすれば良いのでしょうか! 姫さまっ!」
ジェシカの瞳のぐるぐるはさらに加速している。
サクヤは深い溜息をついた。
「うん。落ち着いて」
ポンとジェシカの両肩に手を置く。
「実質けしかけた私が言うのもなんだけど、見事なまでにポンコツ化してるわよ、ジェシカ。とにかく一度落ち着いて。それから後で面談をしましょうか」
「め、面談? それは一体……」パチパチと目を瞬くジェシカ。
「ジェシカのことはよく知っているし、疑いの余地もないぐらい本気みたいだから何の問題もないと思うけど、一応これはお義姉ちゃんの務めだからね」
言って、サクヤは微笑んだ。
「ともかく、今は皇都に向かいましょう。きっと、そこでコウちゃんとも再会することになるから」
「は、はい。分かりました。姫さま」
本来は従順な従者であるジェシカは頷いた。
ただ、その両手には未だ大事そうに白い布を抱きしめていたが。
そうして二人は再び歩き出す。
(それにしても)
サクヤは心の中で嘆息した。
(予感はあったけど、コウちゃんてばジェシカまでこうもあっさり落とすなんて。本当にあなたにそっくりじゃない。トウヤ)
未だ再会できない婚約者に愚痴を零しつつ。
美女二人の旅は続くのであった――。
一方その頃。
ガララララッと車輪の音が響く。
レイハート家御用達の馬車が進む音だ。
コウタ達一行はすでに皇都ディノスの一角に辿り着いていた。
「おお、凄えな!」
ジェイクが目を輝かせて馬車の窓から景色を覗いた。
目の前に映るのは、三角状の黒い屋根が印象的な建物と大通りを分断する水路。
霊峰カリンカの麓にある皇都ディノスは、大河に隣接する水網都市だと聞いている。その広大な地に余すことなく水路が張り巡られているらしい。
しかし、『森の国』エリーズ国で育ったジェイクにしてみれば、いまいちイメージしにくい都市だったが、こうして目で見ると納得の光景だった。
「これが水網都市か。エリーズとは随分と違うな」
「うん、そうだね」
と、隣に立つコウタも頷く。それはメルティアやリーゼ達も同様だった。
「流石は近隣最大の大国ですわ。活気が違います。それに何よりも――」
リーゼが窓から遠方を除いた。
彼女の視線の先には巨大な城が存在していた。
天へと掲げた無数の槍を彷彿させる美しき巨城――ラスティアン宮殿
皇都ディノスの象徴たる城だ。
『皇都に訪れたのなら一度は見なければ損をする。謳い文句通りの荘厳さですね』
と、着装型鎧機兵の望遠機能まで駆使したメルティアが感嘆の声を漏らす。
「ふふ、そうね。安心して。後で案内してあげるから」
と、完全にお上りさん化している一行にミランシャが微笑む。
――ルーフ村の事件の後。
ずっと腑に落ちないような顔をしていたミランシャだったが、元来は明るい性格。すぐに元気を取り戻し、案内役を務めていた。
ちなみに、ルクスとバルカスは皇都到着時にお役目御免になっている。
『そんじゃあ、また後でな!』『滞在中にまたお会いしましょう。皆さん』
そう言って二人は去って行った。
これから二人してバルカスの家に向かうそうだ。
「さて。そろそろね」
馬車は軽快に進む。
幾つもの大通りを抜けて、馬車は大きな門の前で停車した。
鉄扉の横に守衛がいる門だ。
ミランシャは馬車のドアを開けて顔を出した。
途端、守衛は目を見開いて一礼した。
そして彼の手によって開かれる門。
馬車は庭園の中を進んだ。そうして十分も経った頃。
「うん、見えてきたみたいね」
ミランシャがそう呟く。
同時に馬車がゆっくりと速度を落とし、停車した。
「到着よ」
ミランシャにそう告げられ、コウタ達は馬車から降りた。
そして――圧倒される。
目の前にあるのは白を基調にした館。
レイハート邸、アシュレイ邸さえも凌ぐ規模の荘厳な館だった。
さらに門へと続く道には、メイドと執事達が規則正しく並んで出迎えている。
思ってもいなかったぐらいの歓迎ぶりに、コウタ達が息を呑んでいると、ゆっくりと館の扉が開かれた。
そうしてそこから現れるのは一人の少年。
黒い騎士服に白いサーコート。赤い髪を持つ少年はコウタ達を見て破顔する。
まあ、ミランシャの姿を見つけて一瞬だけ頬を引きつらせたが。
いずれにせよ、彼はコウタ達の元に歩き出した。
そして、赤毛の少年――アルフレッド=ハウルは、親しき来訪者達に歓迎の言葉を告げるのであった。
「ようこそ皇都ディノスへ! 歓迎するよ!」
第6部〈了〉
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