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第五章 迷い込みし者①

「……ひっく、おかあさん……」


「な、泣くなよ。きっと、もうじき森も抜けるからさ」



 その幼い兄弟は、森の中をさ迷っていた。

 兄は八歳。弟は六歳だ。

 彼らは普段はサザンで暮らしているのだが、今日は別の街で働く父に会うために王都パドロへと向かっていた。


 そうして母と共に訪れたコテージ。

 まるでキャンプ場のような光景に浮かれた少年達は、たまたま繁みの蔭に見かけたウサギに誘われ、森の中へと入り込んでしまった。

 入ってしばらくは繁みも少なく、木々もさほど鬱蒼としたものではなかった。

 木々の間からはコテージの様子も見える。戻るのは簡単だ。

 そのため、彼らほとんど警戒することもなく森の奥へと進んでいった。

 ただ、逃げたウサギだけに意識を向けて、夢中にその跡を追った。


 そして気付いた時にはもう遅かった。


 周囲には鬱蒼とした木々。

 すでにコテージの姿は見えず、どの方向が出口なのかも分からない。

 しかも、すでに日も沈んでしまった。

 澄んだ月明かりのおかげで真っ暗闇にはならずに済んだが、それでも幼い兄弟に恐怖を与えるのには充分な状況だ。

 時折、森の奥から狼の遠吠えが聞こえてくる。

 兄は小さな木の枝を拾い、弟の手を取って、いつかは森が抜けると信じて繁みをかき分けて前へと進むが、すでに目尻には涙が溜まっていた。



「に、にいちゃあん……」


「だ、大丈夫だ! もうじき、もうじきだから……」



 泣きじゃくる弟を庇いながら、兄は進んでいく。

 と、その時だった。

 不意に木々の間に輝きが見えたのだ。



「……えっ」



 兄は唖然とする。

 木々の向こうには大きな湖が見えた。こんな光景はコテージの近くにはなかった。どうやら誤った方向に進んでしまっていたようだ。



「そ、そんなあ……」



 一瞬、失望の表情を浮かべた兄だが、すぐに考えを改める。

 見たところ、この湖は開けた場所だ。

 このまま闇雲に森の中をさ迷うよりは、状況は改善したのかもしれない。



「よ、よし……」



 兄は弟に告げる。



「とりあえずここで待とう。きっと母さんが助けに来てくれる」


「ホ、ホント?」



 弟は顔をくしゃくしゃにしてそう尋ねてくる。

 兄は全く自信などなかったが、とにかく頷いた。



「だ、大丈夫さ。さあ、行こう」



 そして、兄弟達は森を抜けて湖のある広場に出た。

 ようやく森の閉塞感から解放された少年達。

 思わず二人は、安堵の息をこぼした。



「……ふう。じゃあ、ここで待とうか」


「うん、分かった。にいちゃん」



 こくんと頷く弟。

 それから、兄は自分の喉を押さえて周囲を見渡した。



「この水って飲めるのかな? 流石に喉がカラカラ――」



 と、言いかけた時、



「……え?」



 その光景を前にして。

 少年は唖然とした声を上げた。



       ◆



「まさか、研修前にこんなイベントがあるとは思いませんでしたわ」



 と、愚痴をこぼしつつ。

 リーゼは真剣な面持ちで周囲を見渡した。

 周りは木々の繁みばかり。目的の人影はどこにもない。

 リーゼは肩を落とし、深い溜息をついた。



「無事だといいのですが……」



 現在、この森の中には二人一組の捜索隊が散開していた。

 全員が鎧機兵を喚び出せるメンバーばかりだ。

 鎧機兵は召喚器――例えばリーゼの腰に差した短剣――があれば、指定の待機場所からいつでも召喚できる。眼前の地面に転移陣が刻まれ転送されるのだ。

 この狭い森の中を鎧機兵で動き回るのは少々困難だが、もし獣や魔獣などと遭遇した時は簡易のシェルター代わりになる。そのため、鎧機兵を所有している者だけが、子供達の探索に加わっているのである。



「しかし、結局探索に加われるのは、たった十組だけとは……。もっとバラけた方が良いと思うのですが……」



 ふうっと嘆息し、そう呟くリーゼに、



『仕方がないです。一人では危険すぎます』



 と、リーゼのパートナーであるメルティアが返答する。

 巨大な甲冑姿の彼女は、繁みをモノともせずに突き進んでいた。

 そんなある意味頼もしい姿に、リーゼは苦笑した。



「そうですわね。とにかく今は急ぎましょう。こんな小さな森の中で大型魔獣と出くわすことはないと思いますが、子供だけでは普通の狼でも危険ですわ」


『はい。そうですね』



 と、返答するメルティアだったが、不意にリーゼの方を振り向いた。



『……ところでリーゼ。一つ聞きたいのですが……』


「? 何ですの?」



 繁みをかき分けながら、リーゼが尋ねる。

 すると、メルティアは少し躊躇いがちに言葉を続けた。



『……その、先程、やけにコウタとペアに成りたがっていましたが、も、もしかしてリーゼはコウタのことが、す、好きなのですか?』


「…………え」



 あまりに場違いな問いに、リーゼは一瞬キョトンとした。

 が、すぐに、カアアァと頬を赤くして、



「な、何を突然!? ふ、不謹慎ですわよメルティア!? こんな非常時に!?」


『その点は抜かりありません。今、私は全機能がフル稼働中です。集音センサーに未だ子供の声はありませんので、残念ですが半径百セージル内に彼らはいません』


「……え? 集音センサーって、まるで鎧機兵みたいなことを仰いますわね。要するにあなたの耳には子供の息づかいが聞こえるってことですの?」



 と、小首を傾げるリーゼ。メルティアが獣人族のハーフだと知っているリーゼは、これも獣人族の能力なのだと勝手に解釈した。



『まあ、似たようなものです。いずれにせよ子供の捜索は万全です。後はこのまま歩き続けて範囲を広げるだけです。ですのでリーゼ』



 一拍置いてメルティアは告げる。



『……明確な回答を望みます』



 リーゼは先行するメルティアの大きな背中を見据え、小さく嘆息した。



「……まったくあなたは」



 苦笑を浮かべるしかない。



「こんな森の中で恋愛話がしたいのですの?」


『仕方がありません。あなたと二人になれる機会はあまりなさそうですから』



 と、真直ぐ前を見据えて進みながら、甲冑騎士は言う。

 これにもリーゼは苦笑をこぼした。



「いえ、そんなことはないでしょう」



 そう呟き、頬に手を当てて、



「寝る時やお風呂など、女同士ならいくらでも機会はありますわ」


『……リーゼ。すみません。あなたのことは嫌いではありませんが……』



 メルティアはそこで足を止めて振り返った。



『私はまだ……そこまで勇気は持てません。最初からコテージやサザンでは個室を借りるつもりでした。人前でこの鎧を脱ぎたくないのです』



 そう告げられ、リーゼは一瞬沈黙した。



「……メルティア」



 そして、神妙な声で彼女の名を呟く。

 メルティアの鎧は太陽光を防ぐものではなく対人恐怖症を緩和する為のものだ。

 そのことは、リーゼとジェイクの二人だけは、コウタから聞いていた。

 鎧越しなら普通に対応できても、その先に進むには更に勇気が必要なのだろう。



「……分かりましたわ」



 リーゼはふっと口元を綻ばせた。



「子供達を見落とさない程度でお話しましょうか」


『その辺はばっちりです。さあ、洗いざらい吐いて下さい』


「……いきなり強気ですわね」



 再び前進し始めたメルティアの後に続き、リーゼは語り出した。



「まあ、クラスだと本人以外には気付かれているようですので今更隠しませんが、わたくしは彼のことが好きです。初めて鎧機兵で模擬戦を行い、敗北した日からずっとお慕い申し上げています。まだ告白までの勇気はありませんが」



 と、女同士の気安さからか堂々と告げるリーゼに、メルティアは甲冑の中で冷たい汗を流した。やはり嫌な予感は的中したか。



『……負けたから好きになったのですか? どこの蛮族ですか。あなたは』


「あら。強い殿方に惹かれるのはそんなに不自然なことでもないでしょう。ちなみに、わたくしの敬愛するある女性剣士は『私を抱いていいのは私よりも強い男だけだ』と公言なされていますわ」


『……その人も蛮族なのですか?』



 と、呆れたように呟くメルティアに、リーゼはムッとした表情を見せる。



「失礼なことを仰らないで下さいまし。彼女はあの誉れ高き《七星》のお一人。騎士ではありませんが、誇り高き女傑ですのよ」


『……《七星》ですか?』



 メルティアは眉根を寄せた。



『あのグレイシア皇国における最強の?』


「ええ、そうですわ。わたくしはいつか彼女とお会いしたいと思っていますの」



 言って、自分のやや控えめな胸に手を置くリーゼ。

 が、そこで小首を傾げて。



「あら? 少し話が脱線しましたわね」



 恋愛話のつもりが、随分と内容が変化している。



「メルティア。それよりあなたも彼のことを――」



 と、リーゼが話を戻そうとした時だった。



『――ッ! リーゼ! 子供の声を捉えました!』



 メルティアが緊迫した声を上げた。

 すぐさまリーゼの表情が少女から騎士のものへ移行する。

 そして周囲へと目を凝らし、メルティアに問う。



「どこですの!」


『前方、九十セージルほど先です。ですが……これはまずいです!』


「ッ! 何がありましたの!」



 リーゼの鋭い声に、メルティアは即座に答える。



『どうやら子供達は獣か魔獣と対峙しているようです。すぐ近くから獣の唸り声も聞こえてきます。かなり危険です』



 その報告に、リーゼは目を見開いた。

 それは確かにまずい。九十セージルも離れていては救出が間に合わない。



『リーゼ!』



 すると、メルティアが提案する。



『私の背中に掴まって下さい! この森を一気に抜けます』


「一気に抜ける? ッ! なるほど! そういうことですか!」



 リーゼは瞬時に閃いた。

 要するに、装甲にモノを言わせて、強引に繁みを突破する気か。

 そう判断したリーゼはメルティアに駆け寄ると、その首にしがみついた。

 出っ張ったバックパックが少し邪魔だが、どうにか身体を固定する。



「掴まりましたわ! さあ、走って下さいまし!」


『了解しました! ホバリングスラスターで高速移動します!』


「はい――えっ? ホ、ホバ? あなた何を言って――」


『では、発進します』



 と、宣言するメルティア。

 そして一瞬後、リーゼは目を丸くした。

 いきなりメルティアの甲冑が地面から少し浮いたからだ。



「えええっ!? 何ですのこれ!?」


『リーゼ。しっかり掴まっていて下さい』


「えっ、メ、メル……えええええええええええ――ッ!?」



 前傾姿勢のまま全く足を動かさない急加速。

 人体の構造を無視した移動方法に、ただただ絶叫を上げるリーゼだった。

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