第一章 少女は悩む③
場所は変わり、エリーズ国騎士学校。
校舎の一階、一回生の教室にて。
「……一体、どうされたのでしょうか?」
教室の席に着く一人の少女が艶めかしい溜息をついた。
年の頃は十五歳。凛々しく美しい顔立ちとスレンダーなスタイルを持ち、身に纏うのは騎士学校の制服。毛先にきつめのカールがかかっている蜂蜜色の長い髪を頭頂部にて結いでいるのが印象的な少女だ。
彼女の名前は、リーゼ=レイハート。四大公爵家の一つ、レイハート家の令嬢であり、エリーズ国騎士学校の一回生だ。
「……本当に」
リーゼは視線を二つ離れた空席に向けた。
「本当にコウタさまはどうされたのしょうか?」
と、心配げな声で呟く。
現在の時刻は一時限目が終わったばかりの頃。十分間の休憩時間だ。
しかし、彼女の一日の活力とも言える少年の姿は未だない。
「珍しいよな」
と、その時、不意に声がかけられた。
リーゼが視線を声の方に向けると、そこには一人の生徒が立っていた。
短く刈った濃い緑色の髪と、大人顔負けの体格を持つ少年だ。
ジェイク=オルバン。
リーゼのクラスメートの一人である。
ジェイクはボリボリと頭を右手でかいて言う。
「コウタの奴が無断欠席なんてよ」
「ええ、そうですわね」
リーゼはジェイクの感想に首肯し、今度は一番後ろの席に目にやった。
明らかに特注サイズと分かる頑強そうな椅子と机がそこにあった。メルティア専用に用意された席だ。今日は彼女も登校していない。
「メルティアも来ていませんし。二人に何かあったのでしょうか?」
と、再び不安そうに呟く。
リーゼにとってコウタは想い人。メルティアは恋敵でもあるが友人だ。
何の前触れもなく、二人揃って無断欠席ともなれば心配にもなってくる。
だが、ジェイクの意見は少し違っていた。
「まあ、二人にって言うよりもメル嬢の方に何かあったんじゃねえか?」
と、独白のように告げる。
それからニヤリと笑い、
「例えば寝ぼけたメル嬢に抱きつかれて動けなくなったとさ」
ジェイク=オルバン。
時々千里眼並みに鋭くなる少年だった。
「……………」
しかし、その指摘に対し、リーゼは半眼でジェイクを睨み付けるだけだった。
無言の圧力を見せる令嬢にジェイクは失言だったかと顔を強張らせる。
「……そうですわね」
が、リーゼは否定の言葉を告げる訳でもなく、小さく嘆息した。
「その可能性が高そうですわ。コウタさまは本当にメルティアに甘いですから」
渋々ながらも認める。コウタのメルティアに対する甘さは羨ましくなるほどだ。
「コウタさまはお優しくて聡明ですけど、メルティアに何かあれば他のすべてが頭から吹き飛んでしまう事がありますから。きっと今日の打ち合わせも忘れていますわ」
「……? 打ち合わせって?」
と、一瞬眉根を寄せるジェイクだったが、不意にポンと手を叩き、
「ああ、例のあれか。そういや、お嬢とコウタでやるんだったな」
「ええ。そうですわ。その打ち合わせを今日の放課後にお約束していたのですが……」
リーゼは力なく嘆息する。
そして少しばかり不満げに呟くのだった。
「コウタさまもメルティアばかりではなく、もう少しぐらいわたくしにも構ってくれてもよいですのに」
◆
「……スランプ?」
メルティアの言葉を、コウタが反芻する。
「それって、発明とか開発とか思いつかないってこと?」
「……はい」
メルティアはこくんと頷いた。
「二日ぐらい前から全然アイディアが思い浮かばないのです」
と、か細い声で申告するメルティア。
コウタは視線を周囲に向けた。十数機のゴーレム達によって整理中の図面の山。これらはスランプを脱するためにメルティアが書き続けたということか。
それにしても、希代の天才とも言えるメルティアがスランプに陥るとは……。
「う~ん。スランプかぁ」
コウタはあごに手をやって渋面を浮かべた。
これはかなり困ってしまった。内容的にあまり力になれそうにない。
そんな幼馴染の心情を察したか、メルティアが金色に輝く双眸を潤ませて今にも泣き出しそうな顔をする。
コウタは慌ててメルティアの両肩を掴んだ。
「だ、大丈夫だよ。そんなに心配しないでメル。打開案を今考えるから」
そう告げてから、今度は自分のあごに手をやって思案する。
鎧機兵乗りと言っても自分は操縦する側の人間。開発者でも技術屋でもない。
具体的にはどうアドバイスすればいいかなどさっぱり分からないが、スランプとはどんな種目であっても陥るものだ。コウタ自身にも経験が全くない訳でもない。
「……そうだね」
コウタは自分の場合と照らし合わせて考えてみた。
「スランプって思い詰めると陥りやすいよね。そういう時って一人で頑張り続けても空回りになるよ。ボクはそういった時はジェイクやリーゼに相談するけど……」
「なら、私もオルバンさんやリーゼに相談を?」
と、尋ねるメルティアに、コウタは微妙な表情を見せた。
コウタの場合は同じ操手の立場だからこそ相談もできるが、技術面でメルティアが二人に相談しても、ジェイクにしろリーゼにしろ困り果てるだけだろう。
「それは流石に無理があるよね。だけど、技術面の話に詳しい誰かとは相談すべきだと思うよ。スランプは最終的には自分でどうにかしないといけなんだろうけど、乗り越える切っ掛けって一人じゃ中々手に入れられないこともあるから……」
そこでコウタは嘆息した。
メルティアが再び目尻に涙を溜めて、こちらを見つめていたからだ。
――自分には相談できるような人間はいない。
言葉にせずとも目がそう語っている。
「こ、こうたぁ……」
メルティアがおろおろと手を伸ばしてきた。
「もしかして、私はもうずっとこのままなのでしょうか? 私から技術力を取り除くと一体何が残るのですか?」
「だ、大丈夫だから! メル!」
――超絶的な可愛さが残るよ。
反射的にそう答えそうになるのをグッと堪えて、コウタはおろおろとするメルティアの両肩に手を置いた。
「きっと何か手はあるはずだから。専門的すぎる知識だとボクやリーゼでも難しいけど、うちの学校には技術系の生徒もいるから話を聞いて――」
そこでコウタは自分の台詞にハッとした。
「あっ、そっか!」
続けてポンと手を打った。
「いないのなら探せばいいんだ!」
「さ、探すのですか?」
メルティアが唖然として呟く。
コウタは「うん! そうだよ!」と力強く頷いた。
技術系の人間で知識が深く、ほぼ同世代の人物。
あと出来ることならば女性の方がいい。同性である方がメルティアの心理的ハードルがグッと下がるからだ。
そんな人物を学校から見つけ出せばいいのだ。
「け、けど、私は人が苦手で……」
と、不安そうに告げるメルティアにコウタはにこっと笑い、
「心配しないで。何も魔窟館にまで招かなくてもいいんだ。学校の生徒なら学校で会えばいいし、その時はボクも絶対一緒にいるから」
コウタが傍に居るだけでメルティアの心的負担はかなり軽減する。
その状態ならば普通の会話も可能だろう。
「うん。今日は放課後にリーゼと約束があるから相談してみるよ」
と、コウタは続けた。
メルティアは未だ不安そうな面持ちで自分の指同士を絡めていた。
コウタはふっと目を細めて、
「大丈夫だよ。メル」
ポン、と再びメルティアの肩に手を置いた。
「ボクは絶対に君を傷つけない。君を傷つける相手を近付けさせるつもりもない」
――人選は慎重に行う。
そのためには、まずはリーゼとジェイクにも協力をお願いしよう。
誰にもメルティアの心を傷つけさせやしない。
そしてコウタは「うん」と頷き、
「必ず見つけるよ。君に相応しいアドバイザーを」
と、意気揚々と語る。
こうしてコウタのメルティアのアドバイザー捜索イベントが始まったのである。
ただ、結論から言えばコウタが望むようなアドバイザーは見つからなかった。
その代わりに見つかったのは、メルティアにとって、そして何よりもコウタにとっていずれ様々な意味で特別になる人物だったのだが――……。
「うん。ボク頑張るから」
そう言って、にこやかに笑うコウタ。
それはまだ知る由もない未来の話だった。




