第一章 少女は悩む①
時節は『十二の月』の初旬。
大森林に囲まれて比較的に暖かいエリーズ国でも寒さを感じる冬の季節。
時刻は午前の七時半頃。とある館にて、その少年は呆然と立ち尽くしていた。
年齢は十五歳。
黒い髪と黒い瞳が印象的な彼は、白い布を腰に巻いた黒系統の騎士服――エリーズ国騎士学校の制服を着込んでいた。
コウタ=ヒラサカ。
炎を纏う悪竜の騎士――《ディノ=バロウス》を駆る少年だ。
若くして様々な修羅場を乗り越え、まだ騎士見習いの身でありながら、ある人物から《悪竜顕人》の二つ名まで贈られた第一級の実力の持ち主でもある。
そんな自分でも自覚のないまま歴戦の勇士となっていたコウタは、目の前の光景に言葉を失っていた。
「な、何だこれ……」
ようやく声が出る。
彼の目の前には開かれた扉があった。ほぼ毎日のように通っている館の四階・最奥にある部屋。この館の主人である少女の寝室の扉だ。
普段からお世辞にも整理されているとは言えない幼馴染の部屋。
そのため、多少散らかっていてもコウタは気にもしなかった。
だが、今日はいつもとあまりにも違いすぎたのだ。
コウタは強張った顔で室内を見渡した。
そこは一面が白い海。大きな紙に部屋中が埋め尽くされているのである。扉を開けた途端それは廊下にまで流れ込んできてコウタの足下も白い紙で埋もれていた。
コウタは近くの紙を一枚拾ってみた。そこにはびっしりと文字や図面が書き込まれている。しかし内容が高度すぎて理解できない。その上、文字が潰れている箇所もある。もう一枚手に取ってみると、それも図面のようであった。
「これってメルの字……?」
コウタはそう独白してから、再び室内に目を向けた。
部屋を見渡すと所々には鎧機兵の腕らしきモノや工具や机が見えている。が、それらはまるで岩礁のようにも見えて、いっそうこの部屋を海のように思わせた。
「一体、何があったんだ?」
図面をパサリと落として唖然として呟くコウタ。が、すぐに青ざめ始めた。
呆気に取られていたが、この異様な空間は『彼女』の寝室なのだ。
それはすなわち、この数え切れない図面の海の中には愛しいと思うぐらいに大切な幼馴染みが沈んでいるということだった。多分。どこかに。
「メ、メル!」
コウタは叫ぶ。
「どこにいるの! メル! メルっ!」
そして図面の海をかき分けて室内に入った。恐ろしいことにコウタの腰まで図面に埋もれてしまう状況だ。コウタはますます青ざめた。
すると、その時だった。
――バサ、バサァと。
突然、図面の海の一角が浮かび上がったのだ。
コウタが驚いてそちらを見やると、そこには一人の少女がいた。
メイド服を着た九歳ぐらいの女の子だ。薄い緑色のサラサラとした長い髪と同色の瞳。とても綺麗な顔立ちをしているのだが、今は少し無愛想な表情を浮かべており、頭の上には銀の冠のついたカチューシャと、図面を乗せている。
アイリ=ラストン。
この館――魔窟館に住み込みで働く専属メイドだ。
残念ながら探し人ではないが、彼女もまたコウタにとって大切な少女だった。
「アイリ! 良かった! 君も無事なんだね!」
ホッとした表情を見せるコウタにアイリは頭の上の図面を取ってこくりと頷く。
「……うん。大丈夫。けど、メルティアが探しても見つからないの」
「うっ、そっか。やっぱりメルはこの部屋にいるんだね……」
「……うん。それは間違いないよ」
アイリは表情を変えずに頷いた。
コウタは嘆息して、とりあえずアイリの元へと向かった。
「アイリ。ちょっとごめんね」
そう告げると、コウタは立っていても肩まで埋もれてしまっているアイリの腰を両手で掴んで抱き上げた。九歳にもなるとそこそこ重いのだがコウタは平然と少女を扱う。少しの不安定さもなくアイリの大腿部の下を片手で支えて体勢を整えた。
「今はこのままボクに掴まってって。君の身長で動き回ると紙で顔とか切っちゃうかもしれないから」
「……うん。分かった」
こくんと頷くアイリ。
数ヶ月前まではこういった抱っこをするとかなり嫌がっていたアイリだったが、とある事件以降はすっかり受け入れたようで、今もわずかな照れ臭さは残りつつも、コウタの肩を両手で掴んで自分でも姿勢を調整している。
コウタはアイリを救出した後、もう一度室内を見渡した。
どこまでも広くて白い海だ。普段の寝室とはまるで違う光景だった。
この中から幼馴染を見つけ出すのは、相当な根気がいるだろう。
しかし、彼女の状況がどうなっているか分からない以上、急ぐ必要があった。
コウタはすうっと息を吸い込み、
「――メルっ! どこにいるの!」
もう一度大きな声で叫んでみた。
すると反応があった。図面の海が波打ったのだ。ただしあちこちで。
「えっ? メ、メル……?」
コウタが目を丸くする。と、アイリが教えてくれた。
「……今、この部屋にはゴーレム達もいるの」
「あっ、そういうこと」
一瞬、幼馴染が量産型にでもなったのかと思ったが、ネタは簡単だった。
幼馴染が開発した自律型鎧機兵――『ゴーレム』。
紫色の鎧を着た騎士を象った玩具か、あるいはぬいぐるみのようにも見える外見の彼らはアイリよりもさらに背が低い。完全に図面の海に埋もれながらも彼らは主人である少女を探しているのだろう。
「……ヌウ。メルサマイナイ」
「……サガセ! マダチカクニ、イルハズダ!」
「……メルサマノ、キガ、キエタ……?」
と、白い海の中からそんな声が聞こえてくる。
まあ、最後の台詞は少し聞き捨てならなかったが。
「けど、呼んでも反応がないってことは、今メルは寝ているのかな?」
コウタがそう独白すると腕の中のアイリが「……多分そうだと思う」と頷いた。
「……昨日からメルティアは寝てなかったと思うよ。ずっとこの部屋に籠もっていて中からはカリカリカリって音がしてたから……」
コウタは眉根を寄せた。
「ずっとこの図面を書いてたってこと? これだけの量を?」
「……うん」
と、少し自信なさげにアイリは言う。
だが、それも仕方がないことだろう。アイリはこんな状況を見たことがない。コウタでさえ初めて見るぐらいだ。
「………メル」
コウタは真剣な眼差しで部屋全体を見据えた。
――いつまでも困惑している場合ではない。
今こうしている間にも幼馴染の状況は悪化しているかも知れないのだ。
コウタにとって幼馴染の安全の確保は最優先事項だった。今日はもう騎士学校を休んででも彼女を探し出すしかない。
コウタはアイリを片手だけで抱き直した。
続けて空いた右手で図面をかき分けて、
「メルっ! 返事をしてよ!」
と、叫びながら、探索に加わった。
そうして十五分後。
それは、本人にまだ自覚はなくとも愛の深さが成せる技なのか。大航海の末、この館の主人である少女を見つけ出したのはやはりというか、コウタであった。
ただし。
「メ、メル……?」
図面の海をかき分けて、ようやくサルベージした幼馴染。
彼女は天蓋付きベッドの右隅ですやすやと眠っていた。
年齢はコウタと同じく十五歳。
美しい顔立ちに長いまつ毛。うなじ辺りまである紫銀の髪にはネコ耳が生えている。大きな胸を上下させて仰向けに眠る彼女の名はメルティア=アシュレイ。
四大公爵家の一つ、アシュレイ家の次期当主である少女だ。
コウタにとっては毎日顔を会わせている慣れ親しんだ幼馴染なのだが、この時のコウタはよく知る彼女を前にしてかなり動揺していた。
何故なら彼女は今、寝間着姿だったからだ。
それも透き通るほど生地が薄いタイプの服である。今も布越しにうっすらと彼女の白い肌が映っている。こうやって見ると、メルティアはやはり抜群のプロポーションの持ち主だった。豊かな双丘やしなやかな脚線美は勿論のこと、特に腰のラインやへその窪みなどゾクリとくる美しさである。
コウタは微かに喉を鳴らした。
長い付き合いではあるが、彼女の寝間着姿は初めて見た。
(う、うわ、うわあ……)
幼馴染のあまりにも艶めかしい姿に、思わずコウタは赤くなった。
だが、視線だけは彼女から離せない。何というか恥ずかしさや背徳感以上に眠るメルティアがとても綺麗で、どうしようもなく惹き付けられたからだ。
すると、未だ抱っこされたままのアイリがぶすっとした表情で、
「……コウタのむっつりスケベ。おへそが好きなの?」
そんな身も蓋もないツッコみを入れる。コウタの顔色が赤から青に変わった。
「ち、違うよ! アイリ!」
「……何が違うの?」
そう尋ねるアイリは、何故かかなり不機嫌だった。
次いで自分の腹部に一瞬だけ目をやる。そこにあるはメイド服だ。へそは当然隠されているし、少し大きめの服なので身体のラインもまるで分からない。
「…………」
アイリはただ沈黙した。
が、すぐにジト目でコウタを見据えて、少年の頬をぎゅうっとつねった。
「……スケベには罰を」
「ア、アイリ!? い、痛いよ!?」
痛み以上に居心地の悪さから涙目になるコウタ。
そして慌てた様子で眠る幼馴染に視線を向けて――。
「えっとメル! 起きてよメル! 助けて!」
と、助けを求めるがメルティアはすうすうと眠ったままだ。
「メルゥ――!?」
さらに引っ張られるコウタの頬。
そうして眠り姫の傍らで、少年の情けない声だけが響くのであった。




