プロローグ
――白き光が宙空を奔る。
すべてを貫通する強烈な刺突だ。
しかし、大矛によるその一撃は虚しく空を切った。
この程度の速度では、炎を纏う魔竜にはまるで通じないからだ。
処刑刀を右手に携えた魔竜は、大矛の刺突をかわすと同時に間合いを詰めた。
そして大地さえ割る威力を以て処刑刀を振り下ろす!
大矛の主――白い鎧機兵は矛の柄で斬撃を受け止めるが、根本的な膂力が違う。白い鎧機兵は柄が両断される前に自分から後方に跳んだ。
続けて体勢を立て直して大矛を構えようとするが、炎の魔竜はそんな余裕を与えてくれるような相手ではなかった。
尋常ではない速度で姿をかき消したと思えば、次の瞬間には白い鎧機兵の真後ろに移動していた。単純な膂力による加速ではない。数ある《黄道法》の闘技の中でも最高難度と言われる《天架》を使用したのだ。この外見上は知能のない獰猛な獣のような敵が、『戦士』としても一流である証明だった。
だが、白き鎧機兵は背後を取られても動じない。
自身の体を貫くように大矛の石突きを魔竜の腹部に叩きつけようとする――が、
――ギイィィン!
石突きはあっさりと魔竜の爪に囚われてしまった。
白い鎧機兵は即座に大矛を手放した。こうなってしまった以上、大矛を取り戻すことは不可能だと判断した行動だ。
そして《雷歩》を使って前方へと加速する。
兎にも角にも今は間合いを取り直すことが最優先だった。
白い鎧機兵は再度《雷歩》を使用して地を蹴りつけ、速度を上げた。跳躍し両足が地面から離れる。そうして白い鎧機兵は宙空で反転し、炎の魔竜と対峙する。
――が、そこで息を呑んだ。
充分間合いを取ったはずだったのに、目の前に魔竜の姿があったのだ。
炎の魔竜も同様に《雷歩》で加速し、一切間合いを変えずに追従していた。その手に握る処刑刀はすでに振りかぶっている。
――もはや回避は不可能!
白い鎧機兵は覚悟を決め、両足で着地。地を削って後方へ下がる中、両腕を頭部の上で交差させて魔竜の一撃を凌ごうとした。
しかし、
――ゴオオオオオオオッ!
風を切る――いや、大気を粉砕する轟音が響く。そして一瞬の躊躇もなく処刑刀は振り下ろされる!
白い鎧機兵は両腕で魔竜の一撃を受け止めた。だがその威力は凄まじく、装甲は数秒さえ刃を遅延させることも出来なかった。無残に切断され、左右にはじけ飛ぶ両腕。次いで処刑刀は頭部に食い込み、そのまま首、胴体へと続き――……。
――ズウゥゥゥゥン……。
大地まで叩き割る黒い刃。
白い鎧機兵は機体を両断され、左右に倒れ込んだ。
炎の魔竜はそんな騎士を一瞥だけすると興味が失せたように背を向ける。そしてズズン、ズズンと炎を残す足跡だけを刻みつけ、魔竜はいずこかへ消えていった。
後に残されたのは、白い鎧機兵の残骸。
《ラズエル》と名付けられた機体の無残な姿だけだった――。
「………さま」
ピクリ、と眉を動かす。
「もうじき会食に向かうお時間ででございます。お目覚めください」
「……起きている。そう耳元で騒ぐな、ルッソ」
そう言って、執務席にて肘を突き、瞑想していた青年――サザン伯爵家当主・ハワード=サザンは目を開いた。
「お目覚めになりましたか。旦那さま」
と、サザン家の執事長であるベン=ルッソが言う。老齢な彼の手には外出用のコートを大事そうに抱えられていた。
その姿を一瞥し、ハワードは苦笑を浮かべた。
「別に最初から眠ってなどいない。会食まで時間があったからな。いつものイメージトレーニングをしていただけだ」
言って、ハワードは立ち上がって歩き出した。
ルッソは手に抱えていたコートを、ハワードの肩に掛ける。
「イメージトレーニングですか。その成果は?」
ルッソがそう尋ねると、ハワードは肩を竦めて答えた。
「惨敗だよ。またしても傷一つ付けれなかった」
「……そうでありますか」
と、ルッソが眉をひそめて呟く。
「旦那さま」
それから主人に進言する。
「イメージトレーニングはよろしいかと思いますが流石に敵の力量を高く見積もり過ぎているのでは? 旦那さまがこうも惨敗する事など私には考えられません」
するとハワードは「ふはははッ!」と高らかに笑った。
「高く見積もっているだと? 馬鹿なことを! 『彼』はまだ私にその力の全容を見せてもいないのだぞ!」
コートの裾を自分で直しつつ、ハワードは言葉を続ける。
「むしろ、『彼』に対する評価はまだ低いと考えるべきだろうな。やはり《ラズエル》では相手もならない。早く新型機が欲しいところだ」
ハワードが人脈を使って新型機の購入を依頼してそろそろ四ヶ月。連絡によるとすでに最終調整段階に入っているそうだ。その新型機さえ手に入れば、もはや日課となったイメージトレーニングもより現実性のあるものへと変わるだろう。
「次なる連絡が待ち遠しいぞ。が、その前に――」
ハワードはあごに手をやった。
次いで整った眉根にしわを寄せる。
「私としては先に『彼』との繋がりが欲しいところだな。素性は調査し尽くしたが、それだけでは不充分だ。何かしらの縁が欲しいのだが……」
ハワードにとって『彼』は宿敵と見込んだ少年。
――ただの敵などではない。運命の敵なのだ。
故に出来ることならば『彼』の方にも自分を意識して欲しかった。
とは言え、『彼』はハワードと世代が違う。加え、『彼』はまだ学生であり、対する自分は一つの街の領主だ。縁を持つには立場が違いすぎていた。
「うむ、どうしたものか……」
と、ハワードが悩んでいたら、
「ああ、それならば僭越ながら私めに提案がございます」
ルッソが恭しくそう告げた。
「ほう」ハワードは執事に目を向けた。「案とはなんだ? ルッソ」
「……はっ。それは、まさに本日の会食であります」
そう切り出してルッソはハワードに説明した。
すると、みるみる内にハワードは興味で瞳を輝かせた。
「なるほど。それは中々よい提案だな。盲点だった。今日の会食では例の話は何か理由をつけて断るつもりだったが気が変わったぞ」
「はっ。それがよろしいかと。その上、彼女の信頼を得れば、かの『少年』の情報もさらに入手できましょう」
「おおっ、確かにな。妙案だぞルッソ」
と、ご満悦な主人に、ルッソも好々爺の笑みで頬を綻ばせる。
「お褒めにあずかり光栄です。ですがハワード坊ちゃま」
と、そこでルッソは意図的にハワードが幼少時だった頃の呼び名を使う。
次いで少し表情を厳しくした。
「信頼を勝ち得たいといっても、これまでと同じような方法はお控えください。特に彼女に対しては」
と、進言する。ハワードはまじまじとルッソを見やり、不意に苦笑を零した。
かつてのハワードは目的のためなら最も手っ取り早い手段を好んでいた。相手が女の場合なら口説き落として自分のモノにするのが彼の常套手段だった。
だが、それは――。
「やれやれ酷い評価だな。ルッソよ。私はただ刺激が欲しかっただけだぞ。そこまで節操なしの女狂いではない」
と、ハワードは冗談交じりの声で返した。
しかし、ルッソは少しだけ不安を宿した顔で告げた。
「存じております。ですが、彼女は幼くして相当な美貌の持ち主であると部下から報告を受けております。旦那さまの琴線に触れるやも知れません」
「ほう? そうなのか」
節操なしではないが、女嫌いでもないハワードが興味深そうに呟く。
「写真か肖像画はないのか?」
「残念ながら」
ルッソは即答する。それから渋面を浮かべて。
「ハワード坊ちゃま。言った傍から興味をお抱きになられたのでは?」
その台詞に対し、ハワードは苦笑いを浮かべた。
「その言い方は少しばかり卑怯だぞ。ルッソ。美貌の持ち主と聞いて興味を抱かない男はいないだろう」
「ふふっ、そうでありますな。申し訳ありません」
ルッソは少しふざけすぎたかと謝罪した。
が、それでも念押しだけは忘れない。
「ですが、くれぐれも丁重にお願いします。ハワード坊ちゃま」
そしてルッソは言う。
「なにせ、相手は一国の王女なのですから」




