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第7歌 その愛し方

草原の真ん中に立つイチジクの木は、知恵者や恥を知る者のみの所有ではなく、

むしろ子供達にこそ明け渡されるべき力強さであろう。この秘密の木は、

どんな音に共振して、命を抱え込む偉大な母性の実を明らかにするのだろうか。それを知る者は、

数多の再生の奇蹟のひとつを、自分のこととして語ることができる。

そしてなお天使達の生き生きとした姿が、この世界のどこにおいても、決して滅びないことを悟る。


枯れ落ちたあの花、くすんだ色で地面に横たわる花の残骸、それがただの死ではないという事実に、

どうか世界中の人々が、魂の奥で揺さぶられつつ広がる共感や快の波で満たされますように。

これこそが、破壊の真意であると彼女は囁きます。あの白い手を持った、優しすぎる破壊の女神、

私達の国では今、「黄泉」と呼ばれる場所で、その一身にあらゆる穢れを引き受け、それでもなお、

自らの子供達が無惨に死んでいくこと、殺されていくこと、

あるいは悲しみと呼ばれるものに傷つけられた魂を持って墜落していくこと、それらに涙を流されています。

それも延々と……。ああ、少しだけでも、何よりも大きな懐を持つこの女神の愛に触れられたならば、

私達は「喜び」を持って涙するほかありません。なぜなら、女神のなかに「悲しみ」はないからです。

それほどにまで彼女は白い。そして全ての命が、彼女の愛に包まれている。

萼から離れた花びらは、ほんの少しだけ女神の白い指に触れて、自らが残した次の命に満足するでしょう。

あるいは、刈り取られて私の内にまでくる米粒も、同じく彼女の指に撫でられ、使命に歓喜するでしょう。

そのように、彼女は命を回します。それも力強く、まるで、あのイチジクの目覚めの前触れのように。

――全てが、思い出のようにきらきらと輝くことを願っている。

人と人が異なる衝動でぶつかり合う時、刃を交える行為を野蛮と罵り、互いに退くことなどできはしないのだ。

だからそうやって傷付く者達が、痛苦や悲嘆、絶望の坂道をあてどなく登り行く時、

彼らの何かを壊す肩代わりを、女神は担って下さる。そうすることで、光をなくした者達も、

原罪ゆえに死するべきとは思わなくなるだろう。むしろその故に、私達は今を生きなければならないと、

強く地面を踏みしめることだろう。そしてあのどこまでも白い手が差し伸ばされる幸福を、

あらゆる感覚の最高の深みで受け止めよ――お前の抱いた、破壊のかまどの炎を絶やすな。


そうして人間は、巨大な熱を手に入れる。これは私達の地球を回すために必要なものだ。

どこにでもあり、当たり前のように流れている。だがここにあるものの本当の温かさを、

まずは、道端で今にも咲こうとしているひとつの蕾に見てみるとよい。こんなにも小さな膨らみが、

もう少しで開花する、その全ての未来が宿っているのだ。大きく広がり、拡散していくもの、

それらの凝縮された色、香り、形、風の音、蜜の味――蕾という一瞬に、それらの根拠を求めよ。

流れ続けるものがわずかな時間だけ立ち止まり、ここにひとつの花を現す妙技を感じたならば、

もう私達は、自らの心臓がどうして動いているのかと問う必要もなくなるだろう。

ここにも、ひとつの神がいる。黄泉の母と現世の父を繋ぐひとつの火こそ、

人々が今越えなければならない、古き血の結束だ。だが彼は、私のひとつの個性とも言える。

この国に生まれたということ、この言語を喋るということ、それらで何かを創るということ――

数多い可能性を私にもたらした火は、一体どのように克服されるべきであろうか。

おそらくそれには、ひたすら動くということだ。ひとつひとつのどんな行為も、決して無駄になりはすまい。

空間のために、私達は手を伸ばす。すると開かれた世界に泳ぐ四肢を知る時、

固い地面から宇宙の果てに至るまで、そこに自分という一人の人間が組み込まれているという、

大いなる予感を震わすだろう。そしてあらためて、手足を生活に沿って動かせば、

言葉それ自身が流れ続ける半固形のように、私を私足らしめる。

もはや、私の肉体を運んだいかなる系図も、この個性を語るには不十分だ。そのためには、

机があれば良い。上には水が置かれ、風を揺らす蝋燭の火があれば、その一区画が私を証明する。

神の優しい多言語世界が、再び全て溶け合うなかに、最も偉大な小さき己を知れ。


それとは逆に、宇宙の広さを感じることも、今の私達ならできる。あまりにも広すぎて、

どんなに誇張した自分ですらも溶けてなくなってしまうほど――だがまさにそのことの内に、

今でもかすかに流れている宇宙創造の力強い意志を感じられるのではないか。

全てのものは、そのものの手足となって働いてきた。それこそが喜びだと語る声は、

おそらくどの時代でも消えることはない。全ては――叡智という創造物となって地上に結晶化した。

植物の葉の形や付き方から、動物の形態、人間存在の完成された肉体美、それから、

私達が指を使って作り上げた様々な彫塑、ピラミッド、システィーナ礼拝堂、数々のゴシック建築、

季節の激しさに耐えられる多くの家々、煉瓦、瓦、加えてプラスチック、電気、人工細胞……

これらが出現できるために配置された原子のひとつひとつに、叡智の神の理想が込められている。

その設計図が、私達を生かしているのだ。呼吸のリズムは、神の意志だ。

彼は今なお生み出し続けている。私達の神話が語るように、破壊の女神の愛に応えて、

地上を生命の着地点として整備している。同時に、その裏で幾万もの糸を繰って「調整」もしている。

だから時に、どんな神々や悪魔でさえも、彼の助言を受けに来るほど。

天使達の最初の離反者も、それが強制であれ自らの意志であれ、

ともかくその結果として今受けている立ち位置に納得しているのは、業の神の懐深さゆえ。

天にも地にも、人間を憎む者などいない。人を憎むのは人だけだ。

そこから滲み出た重たい情念ならば、空気を毒にすることもできる。

だがそれを可能にしたのも創造の神だ。鏡のように世界は回る。だから、生きることと死ぬことの間に、

毒により生き続けるという、人間の内なる力を信じて立ち続けよ。


もしもそれができないと言うなら、悩むのも良い、苦しむのも良い、だが文句だけは言ってはならない。

その最も自己中心的な発言こそが、天使達を傷付けるのではないか。

私達を悪意の誘惑に駆り立てる者もまた天使であるかもしれない。しかしあらゆるものは二面性を持ち、

両者が合わさるわずかな一点においてのみ真実が語られる。人の内にいるのも天使なら、

すぐ側に立つにも天使――だから、悪魔は側で囁き、内で意識を操る。嫉妬や虚栄心が最も好まれる。

これらをただ現実の立ち位置からのみ語ることができるのならば、人は誰しもが、

運命の手が握る無数の鍵のなかから、自らの扉に合うものを選び取ることができるだろう。

それは解放であり守護でもある。この地上を牢獄だと言う者に対して、

天使達は自らに足枷をし、彼の代わりに最も狭い監獄へと進んで入っていく。それが悪魔の誕生だ。

だが地上を澄んだ空気の山頂のように、同時に過酷な修行の場のように例える者には、

その生が叡智の神――太陽の男親――の複雑な迷路に耐えうるように、

昼には意識の最も深い場所から、夜には意識の最も高い場所から、

私達の言葉では到底書き尽くせないような、言葉のなかの言葉を贈ってくれる。

ロシアの素朴な田舎では、今でも語られているのだろうか。私達の生活のなか――

台所や、畑、道端、畦道、どんなところでもすぐ隣、まるで隣人のように神が立っているのだと。

私達の国では、形だけが巨大なお化けのように残り、ほとんど妖怪を信じる者もおらず、

八百万の神々は息絶えようとしている。ケルトの神々のように、地下へ移り住むようなこともなく、

路上にも人の心にも住処を無くして、荒れた神社が最も心地良さそうだ。

信じるのが無理だと言うなら、せめて運命の手の影を感じようと努めてくれ。


だが私達に対する測定可能な距離として最も近付いてきたのは、ただ自由の神において他にない。

彼のみは、黄泉からの声だけではなく、叡智の影に隠れるでもなく、目に見えぬエネルギーとしてでもなく、

信じる者に閃光のように現れるだけでもなく、その手を実際に握り、声を聞き、頬に触れた。

人間の歴史のなかで、最高の革命がもたらされたのだ。だから、

私達は言葉の通じない国の人達と一緒に真っ赤なワインを浴びて、ともかく今日を踊り明かす。

その教えは、欲望と権力によって踏みにじられたのかもしれない。

どんどん鋭利になっていく思考の刃に切り刻まれたのかもしれない。

それでも忘れ去られることはない。なぜならこの神の語った言葉そのものから、

人間は存在しているのだから。それゆえにこの時代の私達は、内と外との矛盾に苦しむ。

そのどちらも人間の生み出したものだということが、少しだけ慰めになるだろうか。

だが操られた私達は過去から今もなお、自由を求めるふりをしながら、自由を根絶やしにしようとする。

「人間には自由の可能性があるのだろうか」と問うことにどれだけ意味があるだろう。

この問いをニヒルに受け止める者は、「古くさい」「時代遅れ」「無意味」と答える。

しかし自由の神が落とした可能性はいつだってどこかで光っているのだ。それはこう答えるだろう。

「人間が自由でいられるための地上を、私達は作っていかなければならない」

それこそが彼の望みだ。かつて地上を整えたのは太陽の父であり母であった。

太陽もまた、自分の国を治めようとしたが、その役目は違うのだと最初から理解されていた。

そして大きな、あまりにも大きくて背負い切れない特別な課題が人間に残される。太陽は言う。

「この国の全てをあなたに譲ります。この国は、あなたのために創られ、存在しているのですから」

なんと重々しい言葉だろうか。いやしかし、だからこそ私達は悪魔にも助けを求め、

ここまでやってこられたのではないか。それを否定する必要がどこにある。

天使がいて、悪魔がいて、人間がいて、神々がいる。私達は誰一人裏切ることなく、

究極の遷移の彼方から申し付けられた途方もない使命を歩いてきたのだ。共同作業!

二十四時間、ただの一秒も止まることなく続けられる「当たり前」の仕事、人間で言えば、

呼吸から始まり、手足の属する場所への個性の投げかけへと続く作業、

私達が寝ている時には違うものが働き、彼らの眠る時には私達が支える、それが、地球を生んだ宇宙だ。


もう一度立ち返ろう。自由のために、私達が人間という意味で目覚めた最初の時へ。

そこにいたのは父でも母でもなく、火でも天使でも太陽でもなかった。悪魔だった。

だからこそ、彼はこう呼ばれている。「原初」と。

たとえ、それがもとで人が人を欲望のために殺すような世界になったのだとしても、

だからと言って誰を恨んで良いという? 人を殺せと命じる者か? 兵器を作った科学者か?

私達を人間にした悪魔か? 世界を創った神々か?

だが例えば、その抑えられない感情を歌にするならば、手にした楽器が痛みを引き受けてくれるだろう。

ここにひとつの詩がある。これがどこかで高々と読まれたならば、届く限りの空気が泣き叫んでくれる。

私達にはそれしかできない。だがそういう生き方を選択することは、間違っていないはずだ。

そこにある可能性が、「原初」とそこから始まった人間を肯定してくれるだろうから。

「もはや破滅だ」と諦める者もいる。だが「破滅」であるのは幸運だ。いやむしろ、

これもが父と母の計りしれない優しさだったのかもしれない。

「破滅」を抜け出すための力も、「破滅」だということ。

それは科学という存在そのものが既に証明している。

これは「破滅」から生まれ、「破滅」なしでは存続することができない。だから、

私達の希望はこう語ることができる。「地上に生まれた固い果実は、その固さゆえに柔らかさを求める」と。

今の私達に、深い叡智などない。黄泉の母ほどの愛情もない。地上を自由に駆け回るための羽もない。

私達に与えられたものは、最初からこの「破滅」だけだったのだから。

だからこそ、私はこれを受け入れたい。そうして初めて、次の何かを得ることができる。


だが今はまだ、古い歌が心地よいこの耳よ――

お前がこれからも存在していくということの全てを懸けて、

新しく始めたことを相続させていくために、もう一度、歌を作り直せ。

もはや、とやかく言う者などいない。お前が、繋がれないものなどどこにもいないと感じた時に、

全ての天使がお前という重力の中心に落下していく。

そこから、私は生きる。生きる限り何度でも歌い上げよう。

歌は少しずつ形を変えて、いつか必ず、私の思い描いた最高の人間となる。

――咲き誇る人が、豊かな手を伸ばしてくる。

全ての天使、悪魔、神々が、遥か人間を憧れとする、私達の願いと意志を込めた、そんな未来の地球から。

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