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前編「一目惚れ」

来月の学祭用に書いた作品の試作品です。

「あの、大丈夫ですか?」

 振り向くとそこには、白衣に身を包んだ女性が立っていた。 

 肩まで伸ばした黒い髪。美しい顔。スラリとした体形。そして何より、相手を心配する彼女の真っ黒な二つの瞳に、僕は吸い込まれそうになった。

 そう、僕は狂ったのだ。


 あれは、蛍光灯の交換をしている時だった。

 会社の研究エリアにある、巨大な中央通路。高さ十メートルもある通路は白一色で、寒々しくもある種の清潔感を演出している。その白い通路をより清潔に見せる蛍光灯が一本切れているという報を受け、僕は現場に赴いたのだった。

 現場についた僕はまず切れている蛍光灯を確認した。なるほど、確かに一本切れており、通路に影を落としている。

次に脳内のマニュアルに従い、予め持ってきた自動脚立を百八十度に開き、支点を固定する。この脚立は自動で伸び縮みできる優れものだが、それでも限界はあり、そのままでは高さ十メートルある天井には届かない。大変危険だが、梯子として利用するしかないのだ。

僕は即席の梯子を壁に立てかけると、新品の蛍光灯を片手に、一歩、一歩と梯子を上って行った。その間、天井に着いた後どのようにして蛍光灯を取り付けるかを脳内でシミュレートする。

 問題ない。プログラム通りに作業するだけだ。

 こうして天井にたどり着いた僕は、すぐに蛍光灯の交換に取りかかろうとした。しかし、いざ蛍光灯を取り換えようと梯子から手を放した瞬間、シミュレートしていなかったことが起きたのだった。


 僕は宙にいた。


突然の事態に脳内の処理が遅れ、僕はパニックに陥る。

いったいなぜ足場が消えたのか、と。そして、それが梯子から足を滑らしたためだと気付いた時、もう一つのことに気付いた。

 現在自分の身体を支配しているのは、重力だけであることに。

ガシャン、

耳障りな音を立てて自分の身体が床に打ち付けられた。接地面の力積による衝撃は全身に響き渡り、体内のギアを震わせる。

頭を上げようとした刹那、今度は取り付けようとしていた新品の蛍光灯が耳元でパリン、と割れた。

 点灯していない蛍光灯を見上げて、僕は考えた。

 おかしい。なぜこんな事態が発生したのか?

いつもやっている事だから緊張感が緩んでいたからなのか? まさかッ! 蛍光灯の交換なんてものは予めプログラムされている動きだから、失敗なんてするはずが――足を踏み外すなんてことがあるわけがないのだ。つまり、僕に落ち度は無い。

「となると、」

 僕は視線を脚立へずらした。

やはり脚立に原因があったとしか考えられない。だが、あの脚立はそんなに古いものでは無い。それに仮に異常があったとしても、時前に検査係が発見して、何の問題もない新品と取り換えているはずなのだ。

 いや、待て。

「検査係……」

 僕は身体を起こして、脚立に注目した。よくよく見ると天井まで届いているはずだったのが、一メートルくらい下がっている。伸縮機能に異常があったのだということが、すぐに理解できた。

「あとで少し訊いておいたほうがいいな」

 立ち上がろうと足に力を入れたその時、背後に人の気配を感じた。

「あの、大丈夫ですか?」

 初めて聞く優しい声に、僕はとっさに振り向く。

目を見張った。

 白衣を着た、おしとやかな女性がそこにいた。

「すごい音がしたので来てみたのですが……」

 女性は心配そうに割れた蛍光灯を、次に僕を見た。二つの、真っ黒な瞳で。

 大丈夫だ。身体は幾分か頑丈だから、これくらい何てことない。大丈夫。

 そう言おうとした僕であったが、実際に口から出てきたのは想像もしていなかったものだった。

「えっと、その……」

 自分でも何を言っているのかわからないくらい、小さくて情けない声。

なぜだ? なぜプログラム通りに話せない?

 想定外の事態に、僕は目を横にそらした。困惑した僕は電子脳をフル稼働させて、懸命に「解」を探そうとする。だが、どういうわけか回路が熱くなるばかりで原因は何もわからなかった。

 なぜなぜなぜなぜなぜなぜ……。

処理できない問題に頭が押し潰れそうになる。やがて視界の隅がちらつき始め、火が燻っているような雑音が聞こえ始めた。このままではいけないとわかっているのに、考えることを止めることができない。こんな経験初めてだ。

どうすればいいか具体案が浮かばない僕は、何を期待したか、ふと彼女へ視線を戻してみる。と、ここで初めて彼女が申し訳なさそうに顔をうつむかせていたことに気付いたのだった。

 しまった、僕としたことが。本来後回しにすべきことに頭を使いすぎた。

きまりが悪くなった僕は考えるのをいったん止めると、余分な電気を発声器(スピーカー)の方へ送り出す。

「問題は……」

電子脳の冷却が追い付いてきたのか、次第に視界がはっきりとしてきた。聴力も次第に元通りになってきた。

「問題は!」と音量を上げると同時に、彼女が顔を上げた。

 彼女と目が合った途端、

「……ない」

 突如、発声器(スピーカー)が動作不良を起こした。何とか絞り出せたのは、結局先ほどと大して変わらない、かすれ声だった。

 どうしてこうなった!

 またしても起きた「想像もしていなかったこと」すなわち「プログラム上ありえない現象」に僕は驚きと同時に、いらつきを覚えた。だが、先の失態を繰り返さないためにも、そのことは深く考えずにすぐに彼女へ意識を向ける。

 そして、その彼女はというと、ただ一言

「そう」

と、つぶやいただけだった。

 当たり前だ。心配かけたくせに、こちらは相手に対しまともな返事ひとつしていない。失礼な奴だと、八割程度相手は思っていることだろう。

 謝ろう。こういう時は謝った方が無難だ。

 僕はもう一度、彼女に声をかけようとした。すると、

「よかった」

 彼女はにっこりと微笑んだ。

 不意打ちだった。急激に電子脳が加熱されていく。

 僕は謝罪することを忘れ、その微笑みに見とれた。この世にこれほど純粋できれいな笑顔が存在するなんて、知らなかったのだ。

 彼女が立ち去った後も、しばらくの間僕はそこで立ち尽くしていた。

 これが彼女との出会いだった。




 社内の清掃、機材の運びだし、夜中の巡回、施錠等々……。

毎日毎日その繰り返し。今日と変わらない明日を過ごしていくことを造られた段階で僕達ロボは宿命づけられている。容姿は人間とほとんど変わらないが、扱いはほとんど物同然。自分はAからZの二十六いる量産ロボの一人で、会社の歯車に過ぎないとばかり思っていた。

あの女性(ひと)に出会うまでは。

 彼女は研究エリアの医務課に所属するカウンセラーらしい。あの日、書類の後片付けで残っていた彼女は、通路の方から聞こえてきた大きな音に驚き、駆けつけてくれたのだ。人間ではない、ただの作業ロボでしかない自分のために……。

 それ以来、僕は彼女を見かけるたびにあの出来事を思い出し、回路を熱くしている。自分の身を案じてくれた黒い瞳が、安堵した時の微笑みが、脳裏に焼き付いていて離れない。本来なら仕事に関係ないデータはその日のうちに消去されるはずなのだ。それなのに、このように一人の女性を意識してしまうなんて、どうかしている。まるで人間じゃないか。

だが、自分は人間ではない。ただの作業ロボだ。ロボならこんなことで悩まない。悩む必要が無い。そもそも悩むこと自体、おかしい!

 そして僕は自分が他の二十四人の兄弟と違っているということに気付いた。

僕は、狂っている。

仕事に関係の無いことで悩んだりする不完全な作業ロボが他にいるだろうか? プログラムに書かれていない、不必要なことをする作業ロボが他にいるだろうか?

 そんなロボ、いるわけが――


一人いた。


「よお、(サイ)」 

 機械室のボイラー傍で作業をしていた僕は、僕の(コード)を呼んだ「僕と全く同じ声」に手を止めた。あの日以来、この声の主にも僕は特別な感情を抱いている。ただし、彼女に対してのものと違い、こちらはもっとどす黒い、憤りに近い感情だが。

「何の用だ、(タオ)

 沸き起こる不快感を隠さずに、僕は顔を上げる。

 そこには、狂っていることを自覚しているもう一人の兄弟――検査係の(タオ)がにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべていた。




 (タオ)は配管むき出しの壁に寄り掛かると、煙草をくわえる。最近、彼はよく煙草を吸う真似をするようになってきた。もちろんそんな非生産的な行為はプログラムされていない。そして当然のことながら、ロボである彼がニコチンを摂取できるわけなどない。彼は人間の真似事をするのが好きなのだろう。

 彼はライターを取り出すと、煙草に火を点けた。

「あの脚立、やっぱり細工してあったみたいだな」

 白々しい。何をいまさら……。

 そう言ってやりたい気持ちを抑えて、僕はなるべく平静に振る舞う。

「聞いたよ。伸縮機能内の固定具がいじられていたんだろ。それで体重をかけた際にロックが外れた」

「それで、突如脚立が縮んだことでバランスを失ったお前は足を滑らせ、そのまま転落した、ってわけだ」

「おかしいよな。どうしてあんなことが起きるんだろうな。あの脚立は君が点検した、はずなのに」

 最後のあたりを強調して言ってみるが、(タオ)の表情に変化はない。それどころか彼は煙草の煙をフーッと僕に吹きつけてきた。薄汚い煙を払う僕へ、(タオ)は笑いながら言う。

「なら、俺が点検をした後に細工されたのかもな。何、あんなもの、ちょっとした器具を使えば誰にだって壊せるさ」

 くそっ、本当にイライラする奴だ。

僕は彼を睨みつけた。

「なんだよ、その目は。まるで犯人はお前だと言わんばかりだな」

「違うのか?」詰め寄る僕に(タオ)は肩をすくめる。

「もちろん違うさ。俺はあくまで作業ロボ。〝道具や機械を精密に検査する〟というプログラムに従っている以上、それに反する行為はできない」

「証拠は?」

「何?」

「その証拠はあるのか、と聞いている」

「そんなの、俺の頭を開いてみればすぐに――」

「どうせ、仲間を傷つけるようなプログラムは自分には無い、とでも言いたいのだろう?」

だけど、と僕は続ける。

「僕は知っているぞ。君が他の兄弟と違って、プログラムに従ってはいるのではなく、プログラムに書いてあることを〝自分の意志〟で行っていることを。その気になればプログラムに無いことを平気でやれるってことを、な」

「なるほど。だが、(サイ)よ。大事なことを二つ忘れているぞ」

「二つ?」

「そう。一つは、ロボがプログラムを超えて活動できるという、極めて滑稽な妄言に誰も耳を貸さないということ。つまり誰も俺が自動脚立を細工したとは思わない。兄弟や職員はもちろん、俺達を設計した技術者もだ。そして、もう一つは――」

 ここで(タオ)は一旦言葉を切り、項垂れた。

 どうかしたのかと思って僕が姿勢を低くしたその時、彼は煙草を僕の額に押し付けた。

「残念ながら、それが可能であることを知っているのは俺とお前だけ、ということだ」

 額に煙草がぐりぐりと押し付けられ、黒い灰がぱらぱらとこぼれる。額付近の回路から〝熱い〟という信号が送られてくるが、今はそれどころではなかった。

「やはり、君なんだな。君がやったんだな?」

全身が熱くなっていくのを感じながら、僕は呟くようにして言う。だが、彼にはそれが聞こえていなかったのか、もしくは聞き流したのか、煙草を僕の額の上でぐるぐると回していた。

「人間なら熱い熱いと泣き喚くだろうが、ロボだと面白みがないな」

 (タオ)は煙草を僕の額から離すと、ポイと後ろに投げ捨てた。

 本来プログラムには記載されていないはずの〝残虐性〟――それが彼が「自分は狂っている」と自覚している所以だ。彼はどういうわけかそれを自力で身に着け、そのことに喜びを感じていた。そんな奴が「仲間を傷つけるようなことはしない」と言ったところで、誰がそんな戯言を信じようか? やはり、こいつが自動脚立に細工したんだ。僕が落ちるところを見たいがために……。

 ところで、と(タオ)が目を光らせた。

「さっきから俺がやったといいがかりをつけてくるが、そう言うお前はどうなんだ?」

「? どういう意味だ、それは」

「お前自身が細工したという意味さ」

 僕は怒りを通り越して、呆れた。この期に及んで「自分はやっていない」と言うだけでなく、まさか「被害者の僕自身が細工した」なんて馬鹿げたことを言ってくるとは思わなかった。

「馬鹿な。それで僕に何の得が――」

「あの女の気を引ける」

 間髪入れずに彼は答えた。

「あの女?」

「そう、医務課に所属しているカウンセラーの女だ。知っているだろう?」

 急速に全身が冷えていくのを感じた。冷却機能だけが原因というわけではないだろう。

なぜ彼がそのことを知っているんだ?

僕は動揺を隠しつつ訊いた。

「どうして彼女がそこに出てくる?」

「知っているぞ。お前があの女のことを気にしている、ってことくらいな。だからあんな小細工をして、彼女の気を引こうとしたんじゃないのか?」

 的外れもいいところだ。そもそも彼女のことはあの事故で初めて知ったんだ。それに、わざわざ気を引くためだけに細工なんかしない。それくらいは考えてもわかりそうなのに。

「何を言い出すのかと思えば……。馬鹿馬鹿しい。だいたいロボである僕が人間なんかに」

「嘘を言う必要はないぞ。実を言うとな、俺もあの女が気になってしょうがないんだ」

 我が耳を疑った。

「今、なんて……?」

「何度でも言ってやる。俺もあの女が気になってしょうがない」

 堂々としたその様子から彼が本気だということがわかる。

でも。でも、どうして……。

「どうして君まで……」

「それはだな――、おそらく、〝俺がお前だから″だ」

「君が、僕?」

「そう。俺とお前は同型だから、女の好みも一緒なんだろう。他の兄弟達もそうかもしれないが、まあ、連中の頭では〝不要なデータ〟としか認識されないから、俺達のように自覚はしていない。そもそもできない。これはな、プログラムから外れているような奴にしか起こらない現象なんだ。そして俺とお前は同型で、かつプログラムに縛られていない。ここまで言えばわかるだろう? 俺とお前は本質的に同じなんだ。お前が感じ取れるものは俺にも感じ取ることができて、逆に俺にも感じ取れるものはお前にも感じ取ることができる」

 (タオ)の説明に僕は思わず「なるほど」と頷きかけた。他の兄弟達には無いものを持っている僕らだが、その元は、ある設計図を基に同じ場所で造られた量産ロボだ。兄弟全員が僕らのように狂っても、各々の行きつく先は皆同じかもしれない。

 そう僕は納得した。次の言葉を聞くまでは。

「あの女にお前が惚れるのもわかる。整った顔にきれいな声、見事なスタイル。なかなかの上玉だ。


皮を剥ぎとって、剥製にしてしまいたいくらいのな」


なんだって?

 呆気にとられる僕を余所に、(タオ)は嬉しそうに続ける。

「そうだ。剥製にしたらこの機械室に飾ろう。ここは週に一度は兄弟皆が訪れるからな。きっとあいつらも喜ぶだろう。いくらプログラムから圧力をかけられているとはいえ、その根幹までは変えられない。表情には出せないかもしれないが、多少は……」

 優しげに言う彼であるが、僕には彼の言うことの半分も理解できなかった。皮を剥ぐ? 剥製? それであの人形のような兄弟達を喜ばせる? 

何を言っているんだ?

 何故、そんな恐ろしいことを楽しげに言えるんだ?

 これが僕なのか? 僕の本質なのか?

 いや、違う!

 気付けば、僕は手元にあったスパナで彼の横顔を殴りつけていた。

「ケダモノめ」

 吐き捨てる僕に(タオ)はくっくっ、と笑う。

「なら、お前もだ。お前だってあの女の皮に惹かれたんだろう?」

「一緒にするな! 僕は彼女の優しさに惹かれたんだ。外見だけに目を奪われている君なんかとは違う!」

 すると、それまでずっと笑みを絶やさなかった彼が目を丸くした。

「これは驚いた。まさかお前、目に見えないものに惹かれた、っていうのか?」

「ああ、そうだ。むしろ君にはわからないのか? 僕が感じ取れることは君にも感じ取れているんじゃないのか?」

 (タオ)は少し考えるような素振りを見せ、

「わからない」

と、はっきり答えた。

 その返事を聞いて、僕は安堵した。やはり僕は彼とは違うのだ。こんな残虐な奴が僕と本質的に同じなんて、そんな馬鹿な話あってたまるか。

 これ以上は話すだけ時間の無駄。そう判断した僕は機械室を出ることにした。

「なんだ、もう行くのか?」

「ああ、そろそろ研究室の補助に行かないといけない時間だ」

 本当はまだ時間があるのだが、これ以上T(タオ)の相手をしたくなかった。

 機械室を出ようとする僕の背中に、(タオ)が「(サイ)」と呼びかける。

「最後に一つ言わせてもらう。俺は人目につかない範囲でしかプログラムに逆らわない」

「だから、なんだよ」

「自動脚立は――」

「もういい!」

 僕は乱暴に機械室の扉を閉じた。


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