佐由美VSエロマンガ
「エロマンガってすごいよね!」
ペットボトルのお茶を飲みながら、真面目な顔で馬鹿なことを語り出すのは、篠原 佐由美。
生島 大和は、そんな彼女をうろんな目で見つめていた。彼の想像を容易にブチ超えてくる佐由美には、大分慣れたつもりだが、その内容まではさすがに予想出来ない。
自分のアパートに引っ張り込んだ彼女が、突然エロマンガを讃え始めるなんて、誰に予想が出来るというのか。
「女2人に男1人の三角関係になったとしたら、普通のマンガなら奪い合うのに、エロマンガなら3Pだよ! 3P!」
感動と興奮の新境地の目をキラキラと輝かせ、彼女は熱弁をふるい始める。
3Pとか、女がでかい声で連呼すんな。
ツッコミたいが、そんなことをすると、余計にムキになって主張をし続けるので、生ぬるい視線で放置することにしている。
佐由美は、美人ではない。
ちょっとぽっちゃりしているし、化粧をきばらなければ目もパッチリしない奥二重だ。まとめて言うなら、パッとしない地味な普通顔。
大学生になったら一度やってみたかったと、肩くらいの髪を栗色にしていたが、もう満足したのか頭のてっぺんあたりから黒くなり始めている。今では、『見て見て、プリンだよ!』とネタにしてくる始末だ。
似合わないんだよねと言い、やっぱり大学デビューのために試しに買ったおしゃれキャミソールなんかは、最近ではクローゼットのこやしになっているという。
Tシャツにジーンズ、ざくざく歩けるスニーカー。
大和の知っている佐由美は、いつもそんな格好だった。
そんな女の中身は。
「エロマンガってさ、究極の平和を表してるって思わない?」
こんなふざけたことを、キラッキラの目で、自分の彼氏に語ってしまう奴だった。
「思わねーよ」
顔を顰めたまま、彼はざっくりと一太刀で真っ二つにする。
さすがにそろそろ止めないと、佐由美の並外れた非常識力に押しつぶされそうだったのだ。
「えー。奪い合うより、みんなで幸せになった方が楽しくない?」
「一体、どこでエロマンガの知識を手に入れてきた」
なおも食い下がろうとする彼女の意識をよそに向けようと、大和はぐいとその鼻面を3Pではなく、エロマンガそのものに引きずった。
「サイトのバナー広告だけど?」
それは、不純のかけらもない声で、首を少し傾けて発せられた。
ああ、あれか。
ちょっとスマホでサイト検索をしても、ちょこちょこ広告が出てくる。大型掲示板なんかに行くと、その広告は一気にふしだらなものとなる。
時間を止めてだとか、○○工場だとか、見ている人間が女であろうが18歳以下であろうがおかまいなしに、バカらしいエロマンガの広告が表示される。場合によっては、アニメーションまでするから性質の悪いことこの上なしだった。
「クリックしてないだろうな?」
あんなものに釣られるのは、発情期まっさかりの思春期か、見境なくサカっている奴だと大和は思っている。
少なくとも彼ならば、もっとアシのつきにくい、金のかからない、ついでに変なクッキーやウィルスを撒き散らされないところを上手に選ぶ。
生島大和という男は、フォルダやブックマークはメモカで管理し、PC本体に痕跡を残さないための履歴洗浄も欠かさないムッツリ紳士なのだ。
「うん、そんなことはしてないよ。でも、バナー広告見ているだけで、男の人のエロ願望が分かるってすごいよね」
素直で楽しそうな佐由美の言葉に、大和はがっくりと肩を落とす。
「エロいのの、何がそんなに楽しいんだよ」
いっそ、佐由美がもう少しエロくなって、自分を誘惑してみろってんだ──半ばヤケっぱちで、大和はそんなことを考えてしまった。
そういう場面での彼女は、何というかイキがいい。
ムードもへったくれもなく、「よし、やろう!」なんて、がばっと脱ぎ始められた時には、大和ははらわたがよじれるほど爆笑してしまった。
「やってみたかった、がんばる!」と、チャレンジャー精神旺盛で、いろいろと試行錯誤してくる。
こんな女に、大和はこれまで会ったこともない。
物怖じせず、パワフルで、空気を読むのを苦手とし、失敗したら「あちゃー、次はがんばる」と、さっくり前を向く。
何でも試してみて、自分で判断し、いるといらないに分類していく。プリンの髪も、こやしにしたキャミソールも、その結果なのだ。
こんなに清清しいほどの個性をぶっちぎりにさらけだし、他人も型にはめずにフリーダムに放置出来る女は、本当に大和は他には知らなかった。
だからこそ、『随分、毛色が違うな』と友人に言われても、気にすることなく篠原佐由美という女を釣り上げたのである。
いまのところ、退屈する気配も飽きる気配もないから、たいしたものだ。女には、余り不便をしたことのない大和からすると、珍しい現象である。
「エロいのが楽しいっていうか……こういうの見てると、すごく頭が柔軟になる気がするの。こりかたまってた脳みそが、ふにゃーっとなる? みたいに」
彼女は、首をこきこき鳴らすように動かした。
「いや、もう十分お前の頭は柔らかいから……それ以上緩くなると、流れ出すぞ」
手を伸ばして、プリン頭をがしがしと撫でると、佐由美はにへらっと嬉しそうに笑う。
「でもさ……私が3Pを理解出来れば、大和も楽しくなるんじゃないかなって思ったの」
にへらっと笑いながら出された言葉に、「あぁ?」と大和は撫でていた手を止める。
何かいま、不穏な発言を聞いた気がしたのだ。
「大和はモテるでしょ? いつも周りに女の子がいるし……彼女たちからしたら、私は邪魔なんだろうなと思うんだけど、私は大和が好きだから、どっか行ってくれと言われても、それは嫌だし」
何を。
大和は、背中にたらっとイヤな汗をかくのを感じた。
「だから、私は考えたの。いっそ3Pなんかが出来れば、全部解決するんじゃないかって」
何を言っているんだ、このバカ女は!!!
思わず大和は、手を置いていた佐由美の頭を、ガシっと掴んでしまった。
「いた、いたたた、大和痛い。デートDVはダメ絶対!」
「ふざけたことを言う緩い脳みそは、こうやんないと締まんねぇだろ? このバーカ!」
プリンのカラメル部分に向かって、彼は罵倒の言葉を吐き倒した。
「バカって言うなあ! 私だって、一生懸命考えるんだから。大和が好きだから、大和のエロ願望だって叶えたいと思うし、理解のある他の女の子も幸せになるかもしれないなら、一石二鳥だって」
「そんなんで、鳥は落ちねぇよ!」
ツッコむのにも疲れて来て、ようやく大和は彼女の頭を解放してやる。
痛かったのとクシャられたので、佐由美は自分の頭を両手でなでていた。
「駄目なのかあ……彼氏っていうものは難しいんだね」
また、真面目に馬鹿なことと向き合って、彼女は考え込んでいる。
こんなスチャラカ女だったからこそ、彼女を好みだと思う男は非常に限定されてきたらしい。
これまでに男に好きだと言われたのは、小学校の時に一回だけだという。
だから、彼女にとって大和は初めての男だ。
彼が、佐由美の処女を奪った時もアレだった。
「すごい! 目の前がチカチカしっぱなしだった。大和は上手なんだね。私はラッキーだよ」ってはしゃがれたのである。
面白れぇ女。
大和にとっては、慣れて惰性になっていたことでも、彼女は何かを必ず掘り返し、宝物みたいに持ち上げて見せるのだ。
どこを切っても新鮮しか出てこない、もぎたて有機野菜みたいな女。
そんなアクのある女に、大和はすっかり惚れてしまったというのに、彼女ときたら、大和が3Pを望んでいると思っていたのだ。
「空想と現実を、分けるくらいの常識はあるぞ、俺は」
佐由美と比較すれば、自分が果てしなく常識人であることを思い知る。
「空想……そうか、願望というよりはあれは空想なんだ」
どんなエロ広告を思い出したのか、彼女は宙を見上げて遠い目をする。
その目が、はっと大和の方へと戻ってくる。
「じゃあじゃあ、大和はどんな願望があるの?」
キラッキラ。
何その、『分からないなら、本人に聞けばいいんだ』って顔は──手に取るように佐由美の心が見えて、大和は顔を顰めた。
「……つるぺたのロリロリ体型で、『お兄ちゃん』って呼ばれるプレイ」
腹が立ってきて、大和は適当すぎる発言をした。出来るだけ、佐由美から遠そうなものを選んだら、変なものになってしまったが。
「つるぺた……」
彼女は、自分の胸に両手を乗せた。むっちり体型で、胸もそれなりにある彼女には、望めないものだった。
「『お兄ちゃん』だけでもいい? それとも、ダイエットが成功するまで待ってくれる?」
すこぶる真面目に、大和の希望を叶えようしているのが、言葉からイヤと言うほど伝わってくる。
そのあまりの深刻な顔に、大和はすっかり怒りも抜け落ちて、ぷふっと笑ってしまった。
「か、からかったんだ!」
ようやくそれに気づいたのだろう。
佐由美が、顔を赤くして怒ったように膝でにじり寄ってくる。
「お前が、あんまり馬鹿なことばっか言うからだろ……俺の願望は、あー……もう『篠原佐由美』でいいよ。何をやっても、メチャクチャなお前を知ったら、もう他のもんは全部薄味にしか感じねぇんだから」
納豆と一緒。クセがあり過ぎるのに食べ慣れたら、それなしではもう生きていけない。
大和の魂を揺さぶる、究極の発酵食品──それが、篠原佐由美なのだ。
「うう……大和をもっと喜ばせたいんだけどなあ。私は、こんなに毎日楽しくて幸せだから」
佐由美は、至極残念そうだ。
そんな彼女を、馬鹿馬鹿しい奴だと思いながらも、可愛く思う。
いまの自分が楽しくて幸せであると、一体どれほどの人が言えるのだろうか。
少なくとも、大和が付き合ってきた女の中にはいなかった。
デートだプレゼントだと、瞬間的な幸福は感じているようだが、それはすぐに消えてしまって、『何かいいことないかな』と呟く。
けれど、佐由美はいまの自分を幸せにした原因のひとつが大和だと考え、彼に同じように幸福に思って欲しいと考えているのだ。
「お前のそういうところが、俺を喜ばすんだよ。あんまり深読みすんな」
すぐ側まで来ていた納豆女を、大和は抱き寄せる。
プリン頭に、顔を埋めて頬ずりした。
「む……何か、ムラムラする」
そんな彼の胸の中で、佐由美がぼそりと呟く。
色気もへったくれもない、正直すぎる一言に、大和はぶほっと吹き出し、そのまま腹の底から笑った。
「……するか?」
笑いを全て吐き出し終わる前に、苦しさの隙間から彼はそう聞いてみた。
「そうだね、しよう!」
佐由美は彼の胸から顔をひきはがし、晴れやかな笑顔で大和を見るのだ。
そして。
また。
彼女は、ガバっとTシャツを、放り捨てるのだった。
「2Pも捨てたもんじゃないね」
ベッドの中で、佐由美が笑いながら言った。
「2Pなんて言葉は、wikiにもねぇよ、バーカ」
苦々しくも楽しく──大和も笑った。
『終』
「2P」という言葉そのもののwikiはありますが、佐由美さんが使っている意味では掲載されていませんでした。