第94話:焔への伝言
良弘は大勢の人が行き交う中央改札につくと、一旦足を止めた。
逸れないようにつないでいた手をとりあえず離すと、殿を務めていた浩一郎に向き直る。
浩一郎は急に立ち止まった良弘に「どうかしたのか?」と不思議そうに問い掛けた。
「見送りは此処まで出結構です。浩一郎には本当に迷惑を掛けたみたいですね。感謝してます」
良弘は立て続けにそう述べ、深々と頭を下げた。真帆も香帆もそれに習い同様に頭を下げる。
・・・・・・もしかして、これは別れの挨拶というものだろうか。呆然としている浩一郎を見ながら、勝は桧原兄弟の後ろで腹を抱えながら笑っていた。
呆けている浩一郎を放っておき適当に挨拶を切上げた良弘は、妹たちを伴って切符売り場へと移動を開始した。
「ちょ・・・ちょっと待ったっ!!」
浩一郎は大慌てで立ち去ろうとする良弘の腕を捕まえた。
今度は良弘のほうが「どうしたんですか?」と聞く番だった。
浩一郎はそんな彼を捕まえたまま上には負っていたジャケットの中から複数の切符を取り出した。
「勝たちの行き先はともかく、良弘の行くのは京都だろ?」
浩一郎の言葉どおり、真帆達は勝の父方の親戚のいる広島に行き、準備が整い次第留学先であるオーストリアへと行くことになっていた。
そして良弘事態は先ほどの書類を見て、国立K大のある京都へ赴こうと思っていた。
「そうですね」
「俺も、これから京都に行く予定なんだけど」
先ほどから浩一郎が差し出しているチケットは確かに東京発京都行きの切符だった。ご丁寧にグリーン指定券まで用意している。
そういえば車を降りる時、運転手の香原から何かを受け取るのが見えたがこれだったのか。
「・・・それって俺たちとお前たちの席が離れるってこと?」
切符を確認した勝が呆れたように浩一郎に指摘する。
真帆たちの目的地が広島であるならば、当然同じ電車に乗ることになる。両親が居ない勝は勿論、一般の指定で座席を取っていた。
これから長期の別れになるだろう兄弟たちをそんな理由でばらばらに座らせるのはかわいそうだ。
「勝、切符貸せ・・・取り替えてくる」
時間は後30分ほどある。みどりの窓口はそれほど込んでいないから時間はかからないだろう。勝から切符を受け取った浩一郎は急いで窓口へと走っていった。
「良弘さん、でしたっけ・・・改めてお願いがあるんですが」
浩一郎が十分離れたのを見取ってから勝は傍に居る良弘に話し掛けた。
「なんでしょう」
良弘も彼が浩一郎を除外して自分に話したいことがあるからあんなわがままを言ったと察知していたので驚いた様子も無く、彼に先を促す。
「先ほど話にあがっていた焔という女性に伝言をお願いしたいのです」
「・・・・・・・・・」
良弘は静かに目を細め、自分よりも低い位置にある妹の恋人の顔を見た。彼の目も自分と同じ様に少し眇められている。
「浩一郎が『生』への執着を無くさないようにずっと傍に居てくださいと、伝えていただけませんか」
生まれたときから一緒に居るからこそ、彼が生きることに執着しなくなった理由も、父である良太郎と従兄弟である勝にしか心を見せなくなった理由を知っている。
だが勝は中等部から高等部にあがる時に、縋り付いていた浩一郎の手を自分の音楽家への未来のために手放してしまった。元から両親に甘えることすらできなかった浩一郎が、その事にどれほど傷ついたかは想像に難くない。
だがあの時、手放してしまった手はしっかりと彼らの手を捕まえていた。
勝に代わり『親友』の位置にたった良弘と、生まれて始めての『初恋』を実感させた焔。
勝にはその権利はないかもしれないが、彼が新しく得たその二つの絆が、未来永劫、彼の傍に居るように願ってしまう。
「私が、彼女にそれを伝えると?」
自分の中に居る彼女には今の会話は聞かせていない。
彼女に伝えるのは彼の真意を確かめてからだ。
「伝えますよ、あなたなら」
勝はその質問に自身たっぷりに答えた。
浩一郎、使いっぱしりになるの巻。勝は差額を払う気はさらさらありません。(切符代すら払わない良弘よりはマシですが)
勝の母親は松前家の令嬢でしたが家の決めた婚約者を放棄し、しがない音楽家と駆け落ちしたので財産を相続していません。ゆえに勝の現財産は両親の生命保険と、スポンサーからの出資のみです。