第93話:魂を開放させる者
「なぜ、これを焔に?」
慎重に両手でその瓶を抱きながら良弘は荒井へと訝しげに問い掛けた。
荒井その質問に視線を下に落とした。
「何のことはない、元々、あの子に渡そうと思っていたものじゃ。
ずっと持ってはいたが、儂ももう老い先短くなり申した。この『魂珠』を守り通すことも難しくなってきておる・・・かと言って儂はこの魂を天に返す術もわからぬ。魂喰いとは魂を縛る術しか持たぬ者じゃからな」
本来、魂喰いに出来るのは人の身体から無理矢理魂を抜き出し、屠りやすい形『魂珠』に形成することだけだ。
そして『自分達』その魂を3つの方法でしか処理できない。
一つは元の身体の口の中に放り込み嚥下させること・・・そうすれば魂を取られたものは復活する。
もう一つは自らが喰らうこと・・・そうすることにより魂喰いはその魂珠の主が持っていた能力を全てとは言わないが多々手に入れることができる。しかしその反作用で、魂珠の持ち主の能力が勝り内側から狂っていく者もいるという。
最後の一つは破壊することだ。これは中にある魂をも砕く方法で、壊された魂はもはや個として存在することもできなくなる。・・・焔の恐れる究極の死の姿だ。
この形になり、還る肉体も灰となってしまった彼らには一番目の技は使用えない。
しかし彼には当主と娘の魂を喰らうことも、壊すこともできなかった。
「ゆえに、焔さまに託そうと思ったのです。あの方は儂らと違い魂を縛る術も開放する術も持っていらっしゃるゆえにな」
その双方が使えるからこそ焔は精神体の形で良弘の中や現実世界で存在することができた。
「それって・・・焔が魂喰いってこと・・・?」
呟いたのは黙って良弘と荒井の遣り取りを聞いていた浩一郎だった。
彼は自分が辿り付いた答えに衝撃を受けているようだったが、荒井はその問いに静かに首を振ってみせる。その仕草を見て後ろで真帆と香帆がほうっと息を吐くのがわかった。
「『魂喰』とは喰うか壊す能力しかない者の称号。そういう観点から言えば開放し天に返せる時点で焔はこれに該当しません」
老人は答えながら小さく笑って見せた。
早いうちにこの『魂珠』を焔に渡し開放してやるのが、本来取るべき道だった。
しかしこんな形になっていても荒井は娘夫婦の魂をこの世界に止めておきたかった。せめて彼らの子供たちが・・・せめて良弘と真帆が大人になるまでは・・・と。
良弘は両親の魂を今一度胸に抱くと真帆から受け取った鞄の中に慎重に仕舞い込んだ。
「では、行きましょうか。もうそろそろ発車時刻が迫っているでしょうから」
良弘は大きなボストンバックを肩に掛け、改めて自分たちの旅立ちに一役買ってくれた真帆の友人と祖父に向き直った。
彼らは最高の笑顔を作ると、小さく手を振りながら送り出してくれる。
「元気でね、連絡待ってるから」
「全員、幸せ・・・のぅ」
「お祖父様もお元気で」
「ありがとう、植村さん」
「幸せにします」
「それじゃ、行ってきます」
二人の別れの言葉に、おのおのが好き勝手に別れの返事を返す。
「香帆ちゃんも元気でね」
植村は最後に僅かの間で親しくなった香帆に極上の笑みで別れを告げた。
そんな植村に向かって香帆は目いっぱい手を伸ばす。『何かな』としゃがみこんだ植村の顔を香帆の小さな手が捕まえると、その頬に小さくお別れのキスをした。
「植村のお兄ちゃん、ばいばい」
自分の行動に恥らいながら、香帆は急いで兄の後ろに隠れた。勿論、その頬が少し染まっていたのを植村は見逃さなかった。
「それでは、お元気で」
最後にもう一度、良弘が括るように別れの言葉を述べ、総勢5名となった一団はそのまま改札のほうへと歩いていってしまった。
後に残された植村は荒井の目など気にせず、少女の可愛らしい行動に長い間笑いつづけた。
香帆、おませさんになるの巻。折角、美少女からもらった頬へのキスに大笑いする植村は情緒が少しばかり足りないようです。
荒井が『魂を縛る』といっていたのは、焔が良弘の中にあるとき『魂珠』の形に近い状態で存在していることを指しています。開放は、卵を割るように外側の封印の部分だけを壊して中身を出すことができるという意味です。