第81話:過去の寂莫
焦げた肉の臭いが辺りに充満していた。
森の中にぽっかりと開いた空間の中心で良弘は静かに自分の足元を見つめていた。
彼の周りを鬱蒼と囲んでいた木々は跡形も無く消え去り、残った木々は炎に嘗められた跡がくっきりついていた。
良弘の周りには生きているものなど何一つし存在しなかった。草も、昆虫も・・・そして彼を捉えようとしていたはずの、人間も。
自分の炎が屠った場所を彼はぐるりと見回してみた。
炎が存在した端のほうに誰のものとも判らない腕が一本落ちていた。どうやら逃げ出そうとして間に合わなかった人間の残骸らしい。
彼は面白くなさそうにそれを見ると一睨みをそれに加えた。それだけで腕の肉片は焼け尽くされた。彼の出す炎は骨すら残さぬほど高温に達し、僅かな煤を残して鎮火した。
『良弘・・・・・・』
焔は中心に佇んでいる弟の名前を呼んだ。
良弘は小さく肩を揺らしただけで、他の反応を示さない。凍りついた表情、悲しみと遣る瀬無さを含んだ青い瞳、すべての言葉を飲み込んだままの口元・・・現実の炎は消えているが、彼の包むオーラは激しく膨らみ続けている。
焔は良弘を一人にこの場を任せてしまったことを今更ながらに後悔した。
これが得体の知れない不安の正体だったのだ。
自分だけが感じた不安を信じて何故自分が残らなかったのだろう。
『良弘、目を覚ませ!』
焔の強い呼びかけに良弘はやっと視線を移動させた。
淀んだ彼の目に映るのは、良弘のためになら傷つくのを厭わない優しく穢れない天使。自分が発した罪を背負う青い炎にも一切染まらず、その紅き浄化の炎ですべてを天へと導く者。
「目は、覚めていますよ」
自分の応えがどこか遠くに感じられた。
「後から、浩一郎の元に迎えに行くつもりだったんですけど・・・戻ってきてしまったんですね」
彼女に今の自分の姿を見せるつもりは微塵も持ち合わせていなかった。
今度は自分の記憶など消さずとも前と同じように暮らす自信はあった。取り戻したすべての罪を彼女になすりつけずに、焔の望む綺麗な世界だけを見せてあげるつもりでいた。
『あんな炎を見せられたら、誰でも戻ってくる』
焔は自分の体が震えているのが解かった。
こんな良弘は見たことがない。何処か超越した世界へといってしまったみたいな・・・何か大切なモノを放棄ててしまったみたいな表情をしている。
それなのにどこか別れる前と同じ穏やかさも感じる。いったい何がどうなっているのかわからなかった。
だが、目の前の惨状を作ったのが良弘だということは理解できる。こんなことを二度とさせるつもりはなかったのに。
『何で・・・何で、俺を呼ばなかった。俺に任せなかった。俺ならよかったのに・・・もうお前にこんなことさせるつもりはなかったのに』
あの十五の秋、両親の遺体と桧原からの使者・・・沢山の思い出の詰まった家がそれらと共に燃え落ちるのを見つめながら焔は心に決めていた。
だから良弘の記憶を自分のものとすり替え、彼が受けた衝撃を全部自分へと移したのに・・・それが原因で良弘に閉じ込められることも何とも思わなかったのに。
「それで、また貴女だけ傷つくのですか?していないことまで自分のせいにして、私の罪までも内包するつもりですか?」
焔は何を言われたのか解からず、良弘の顔を見上げた。そこにあるのは恐ろしいほど静かな瞳だった。
「すべてを思い出しました・・・あなたが自分自身のものとしていた私が起こした罪を」
良弘はそう言葉を紡ぐと彼女の瞳をじっと見た。
事の起こりは十五歳の時だった。
もはやあふれ出る炎の能力を封印で押さえていることも限界に達していた良弘はよく熱を出しては学校を休んでいた。
その日も両親が見守る中、家で眠っていた。病に臥している良弘のことを心配しつつも真帆は学校へ、香帆は幼稚園へと出かけていった。
男たちが来たのは11時半を少し回った頃だった。どかどかと入ってくる足音に彼は目を覚ました。
親と彼らが何かを言い争い、両親は拘束されて。
−−−−そして悲劇は目の前で起こった。
口元を歪めて笑う男が入ってきた。それに対して、両親は激しい言葉をぶつけていた。男は二人の様子を見ると笑いながら拘束された両親の額へと手を当て、何かを取り出した。
それと同時に崩折れる二つの体。
男は眠っている良弘にも近づいたが、一瞥した後、玄関から出て行った。残った男たちはもはや動かなくなった両親の身体を忌々しそうに靴裏で踏みつけていた。
良弘の昔話の巻、その1。唯一本当の意味で『良弘』の過去を語れるのは良弘自身しかいないので、語ってもらいました。前に書いた時も、今回もこの部分は何度か書いてはけし、書いてはけし・・・を繰り返します。
で、結局何を掻いているかわからなくなるという落ちですが。