第65話:剥き出しの悪意
真帆は少し俯くと唇を噛んだ。
「手を、離して。もう無茶はしないから・・・」
浩一郎は僅かの逡巡の後、掴んでいた手を開放した。
しっかりと握られていた腕は少しの痺れがあったが、彼女はそれを自分の戒めとした。
真帆は恐怖に打ち震えている香帆を引き寄せると、他の人間に害を加えられないように自分と浩一郎の間に立たせた。
焔と柏原の攻防は思ったよりも長引いている。焔の動きは常人のそれを遥かに超えているのに、柏原はそれを涼しい顔で受け流している。
攻撃をしないのは、この戦いを楽しみ、この時間を引き延すためだろう。
実際、柏原はこの状況を楽しんでいた。
目の前には自分に更なる権力と富を与える子供たちがいる。
未来を性格に予知する巫女・・・苦手とはするものの、莫大な財産を有し政財界・経済界ほか多彩な分野において人脈を持つ松前家の嫡男・・・・そして何よりもその美しい容姿で人を魅了し、神にも匹敵する炎を持つ紅の少女。 彼らはそれぞれに素晴らしい能力を持っている。
それなのに3人が3人とも、自分の手の内にある『魂珠』という存在のせいで自分の能力を発揮できずに居る。 滑稽過ぎる彼らの現状に知らず知らず笑いが込み上げて来る。
ずっと自分と対戦しながらもにやにやと嘲るように笑いつづける柏原に焔は一旦、攻撃の手を止めた。
何かがおかしい。
自分は炎と良弘の肉体が有する驚異的な身体能力を使って攻撃をし続けているのに、どうして普通の人間である柏原に指一本触れる事ができないのか。
・・・・・・どうして、自分の炎で彼の体が燃えないのか・・・・。
背筋に走る冷たいものが、自分の頭の中の警鐘が、彼の底知れぬ危険性を焔に伝えてきている。
「お前は・・・本当に、何者だ・・・・?」
訝しむように問いただす焔に柏原はにたぁっと笑う。
「魂喰いという能力を知っています、かな?」
問い返してきた柏原の言葉に焔の顔から血の気が引いた。
ありえてはいけない答えだ。
彼女は震える唇を何とか宥める。喉がからからに渇いて上ずる声で焔は自分が唯一知っている『桧原家』の人間の名前を挙げた。
「魂喰いは荒井の親父だけじゃなかったのか」
焔の口から出た言葉に、柏原は初めてその表情を深いそうに歪めて見せた。
「別に荒井様だけが桧原の中で唯一の魂喰いというわけではないですよ。あまり知られないようにしてきましたが、私も同じ能力を持っているんです」
生まれたときにはあまり強くない炎を、他の人間の魂を喰らい補充する者・・・・桧原の中でも異端であり、恐れられる存在。
もちろん、その能力をもって自分の一族の魂を・・・・いずれは親の魂ですら食べるといわれている者を自己主義の桧原の者が生かしておくはずも無く、大多数の『魂喰い』は能力が発現すると同時に家族の手によって殺されることが多いと聞いている。
現在長老職についている荒井が生き残ったのは、魂喰いにしては珍しく最初から術者の能力が強かったため、能力を補充するための捕食を行わなくてよかったせいだと言われている。
「私が能力に開花したのは前当主が失踪する直前でしてね・・・その後の混乱と一人でも多くの術能力を持つ者を残すべきという当時の長老会の決断で私は生き残ったんですよ・・・同じ魂喰いである荒井様は反対なさったようですけどねぇ・・・」
焔の戸惑いを読み取り、柏原は自分が何故生きているのか説明してやる。
刻み込まれたような口元だけの笑み、しかしその瞳は一向に笑ってはいない。
「現在、荒井様よりも私の方が能力的に上・・・私は彼よりもずっと多くの魂を喰ってきましたから。今の私ならば、貴方たちの前当主と匹敵するぐらいの炎をつかえますよ」
揶揄する言葉に焔と真帆の方が小さく揺らいだ。香帆はあまりの衝撃に瘧にかかったように震え、噛みあわない歯をがちがちと鳴らしている。
その手は傍に立っている浩一郎の服の端を握ったままだ。
「前当主の能力はその当時で歴代随一と言われていました。私は彼の妹と同じ年でしたから近づくのも容易かったですよ」
焔たちの父親と同じ程度の能力を得るためにどれだけの人間を目の前の男は歯牙にかけてきたのだろう。どれだけの魂が彼のもとで犠牲になったのだろうか。
それは人間の良心を超越し、何もかもを破棄したものにしかできない所業ではないだろうか。
「父さんの魂も・・・食べたの・・・?」
真帆は震える身体を、必死に押さえながら目の前に居る柏原に問い掛けた。
焔、絶体絶命!!?の巻。
本来魂だけの焔の方が良弘よりも捕まえやすかったような気がするのは私だけでしょうか。
とくに良弘の中に居る間はずっと寝こけているわけですし。
それにしても3話連続してサブタイトルが柏原に対するタイトルです。反撃しろよ、子供たち・・・・!!と作者は影ながらエールを送ってみたりしています。