第5話:束縛の暗紅
「実は、妹に恋人ができたんです」
まじめに切り出した良弘に浩一郎はきょとんと目を見開いた。ぽかんと口まで開いてなんとも間抜けな表情である。
「えー・・・あー・・・お前、妹いたの?」
「あれ、話していませんでした?」
切り返してきた浩一郎の質問はさらに抜けたものだったが、良弘の返答もなかなかとぼけていた。
「全然、聞いてなかった」
浩一郎は顔いっぱいに『不満だ』と示して、良弘を胡乱な目で見つめる。
自称・親友を名乗っているくせに家族構成を余り把握してないところが気にくわないのだろう。
とりあえず、相談を聞くのは中止して、良弘の家族構成を知る方を浩一郎は優先した。
「その妹はいくつで、顔はお前に似てる?」
顔立ちだけを基準に行けば、良弘の容姿は浩一郎の好みに一番近い。もし女性でこの顔がいれば思わず口説きたくなるぐらいだ。
だが含みのある性格とかは友人としてはいいのだが、恋人にするならもっと火花みたいに鮮烈で、それでいてどこか壊れやすくて、純粋な女の子がいい。
「恋人ができたのは、私の双子の妹・真帆です。卒業と同時に彼と共に、家を出て、遠くへ行くと行っています。
ちなみに彼女は母似、私は父似ですので顔が似ていると言われた事は一度もありません。二人で歩いていてもまず双子だと気付く人はいないんじゃないでしょうか。
後、もう一人香帆という妹がいます。小学生で、こちらの方が私に少し似ています」
「なあんだ・・・」
良弘に似ていないと知り、少し興味が失せたのか浩一郎は深めに椅子に座り直した。
「わりぃ、話題を戻そうか。まず、良弘は・・・シスコンじゃないよな?」
浩一郎の急な問いに良弘は訝しげに眉を顰めた。
「そんな風にみえますか?」
「見えない・・・じゃあ、良弘はその妹の、真帆ちゃんだっけ?その子が駆け落ちするのに賛成?反対?」
両手を顔の前でくみ、口元を隠すようにしながら、浩一郎は問いかけてくる。視線はじぃっと良弘の瞳を見て、彼の心の動きを察知しようとしているようだ。
良弘は若干の居心地の悪さを感じながらも、視線を返して小さく頷く。
「まだ相手に会った事もないので全面的に、とは行きませんが承諾はしています。
彼女はもう18才です。恋人ができるのは当然ですし、向こうの親族の方が受け入れてくださるのなら、東京から離れるのを期についていくのは得策だと思います」
そう断言する割に、良弘の顔色は優れない。浩一郎は良弘の表情から別の悩みを読みとる。
「他に、反対している奴がいる?」
この質問は的を射たのか良弘の視線が、少しだけ宙をさまよう。
「大半の親族は・・・真帆が家をでることを黙って許すような人間ではありません」
「なんだ、それ・・・お前の家ってそんなに名家じゃないだろ」
言いにくそうにうち明けた良弘に浩一郎は盛大に呆れた顔をした。
浩一郎は銀行家の息子である。一族の商売柄、政財界・経済界など多種多様な方向の人脈を持っていた。
だがそんな中で『檜原』などという名前はあまり上がったことはない。
「普通の家・・・とは言い難いですね。ある意味、特殊な家なんですよ」
言葉を濁した良弘の態度にこれ以上の詮索を嫌っていると感じ取った浩一郎はすぐに本題へと戻る。
「それでも、親戚なんて関係ないだろ。良弘みたいな立派な跡取り息子がいるわけだし、それ以上に何を望むんだ?
もしかして、政略結婚とかが決まってるのか?」
浩一郎の言葉に良弘は悲しそうに笑う。
「立派な跡取り息子など居ませんよ。第一、現在の当主は妹の真帆です」
これには浩一郎も心底驚いた。
華やかな顔立ち、優雅な立ち居振る舞いは勿論、頭脳も明晰、武道においても誰にもひけは取らないこの男が妹などより下の筈がない。
「じゃあ、何か特殊な選定条件で当主を選んでるのか・・・それだと良弘でも当主になれないってこともあるよな」
わずかの言葉で先へ先へと理解する浩一郎に、良弘は目を丸くした。
「まかせろ俺は名探偵だからな、言葉尻だけで状況を理解するんだよ」
真実を言い当てられて驚いている良弘に、浩一郎はにやりっと笑う。
その悪戯っぽい仕草に答えるように良弘もにっこりと笑うと自信満々の浩一郎に助言を促す。
「それでは、迷探偵殿?早速、解決方法等を教えて欲しいのですか」
「それは今考え中。良弘は暫く自習でもしてなさい」
やはりというべきか、答えは出ていない浩一郎に良弘は「はいはい」と返すと、視線を窓の外へと向けた。
丁度一番後ろのベランダ側にある良弘の席からは、外の景色がよく見える。
ガラスに映る半透明な自分の姿には町並みが広がり、その後ろに連なる多くの山の稜線はどこかぼんやり霞んでいた。
いつもと同じ、窓の外の風景─────いつもと?
何も変わっていない?しかし、自分の視線は窓に映る異変を見つけている。
何か判らないが視線は窓に引き寄せられ、自分の意志とは関係なく固定される。
(何が・・・?何故・・・?)
彼の心を読みとったように頭が、異変が何であるかを教える。
頭の奥で警鐘が鳴っている。
視線が『紅く』染まる。
(違う・・・これは!)
紅く紅く染まった瞳。挑戦的な眼差し、少し歪んだ口元・・・これは自分の表情ではない。
『ヨ・シ・ヒ・ロ』
耳元で───耳の中で、頭の中で響く声。
世界から切り離されてしまうような違和感が身体を包む。
『俺を、解放しろ。お前が閉じこめたんだ、出来ないとは言わせない』
その言葉は繰り返し、繰り返し自分を責める。
誰の耳にも届かない声が、直接、頭に響いてくる。
「良弘?」
目の前の良弘の異変に気付いた浩一郎が、自分を呼んでいる。だがその声もだんだんと掠れて、遠くなる。最後にはノイズに飲まれて聞こえなくなる。
良弘は全てから逃げ出すように、椅子から立ち上がろうとした。
しかし、窓の中の『彼』はそれを許さない。窓が輝き、紅い触手が良弘の腕を掴んだ。
『ツ・カ・マ・エ・タ』
明確な意志をもった声は良弘の意識を捕らえ、暗い暗い闇の中に引きずりこんでいった。
やっと物語が動き始めました。
この後、暫く、浩一郎がメインで話が進みます。