第43話:保健室の攻防
言い知れぬもやもや感を胸に抱きながら、焔は一直線に高校へと向かった。
ぐんぐんと近づいてくる学校、保健室・・・彼は占められた窓ガラスをするりと抜けてベッドに横たわった良弘の身体を見た。
静かな寝息、生きているだけの肉体。傍らに座っている浩一郎のお陰で邪霊は寄ってきていない。
当の浩一郎は焔が帰ってきたのにも築かないぐらいに読書に没頭していた。本の題名は『経営理念の構築と弊害』、どこかの経済団体の理事の著書らしい。普段はかけていない眼鏡が、彼の顔を知的に彩っている。
焔は改めて、浩一郎の秀麗な顔に見入った。
とても端整な顔立ちをしている。良弘がモデル系の顔立ちだとすると彼は二枚目俳優といった所だろうか。日本人としては色素の薄い茶色の髪と瞳が、程よく日に焼けた肌にマッチしている。
「あの、そんなにじろじろ見られると恥ずかしいんだけど・・・」
焔の視線に気付いた浩一郎が、本を閉じながら彼女の姿を的確に捉えた。
本当に勿体無いと思う。
生意気なんだけどどこか抜けていて常に一所懸命な純粋な少女。顔立ちも性格も、その小さな体つきさえも浩一郎の好みだった。彼女が普通に生を受けていたら、良弘の猛反対に逢おうとも彼女を自分のものにしたのに、と本気で思う。
「お帰り、焔」
浩一郎が笑顔で迎えると、彼女はぷいっと顔をそむけながら良弘の体の中に入っていった。その顔が少し赤らんでいるのが、また可愛かった。
焔の魂を得た良弘の身体は赤いオーラを発しながら小さくなってゆく。髪の色と体の変化を見るのは浩一郎も二度目だったが、なんとも奇妙な光景だった。
「守備はどうだった?」
ベッドに寝転がったまま起きようとしない焔の額に手を置き、浩一郎がその前髪を優しく撫でつける。
その仕草と優しい表情に焔の心臓はバクバク早鐘を鳴らしていた。
「敵が、罠をしかけてきた」
できるだけ平静を装いながら、真帆と後藤田のやりとり、真帆と自分の会話を浩一郎に話す。余り驚いていない所を見ると、焔が出て行った時点でそこまで考えついていたのだろう。
頭がいい男だと思う。 だからこそ、良弘を浚った人物が彼まで狙ってくるのも時間の問題だ。
それに後藤田の言葉の中にあった真帆が浩一郎と度々会っているという噂。それもまずい。
焔はゆっくりと瞼を下ろした。今から告げる言葉を耳にした彼の顔を見ないように・・・
「これから先は真帆と二人で行動する。浩一郎はこれ以上か関わらないでくれ」
浩一郎は驚愕に目を見開き、焔の口から綴られた言葉を頭の中で復唱した。
(これ以上、関わらないで・・・って?)
信じられなかった、信じたくなかった。
「何故だ、なんでそんなことを・・・」
問い返してくる声が、焔の心を締め付けた。自分の肩をベッドに縫い付ける浩一郎の体温が焔を動けなくさせる。
−−−−−−−−−だけど、引くことなど出来なかった。
「これは、桧原家だけの問題だ。今までお前が関わっていたほうが間違いなんだ」
最初から自分たちは彼を巻き込んではいけなかったのだ。
あの真帆の会見の機会を作ってもらった頃から、焔は彼を巻き込んだ自分の浅慮を後悔していた。
彼の優秀さと持っている経済力が知れた頃から桧原の目が彼にずっと向いている。先ほどの会見だって、浩一郎に会うのをやめるといった途端に回りの人間が慌てたほどに。つまりあの家は浩一郎を真帆の婿にしようと画策しているのだ。
それに何よりも焔自身がどこか彼に頼ってしまうことが厭だった。自分は自分の力で家族を守らなければいけないのに、何をやっているのかと自分に戒める。
「桧原の特殊能力の前では普通の人間は単なる足手まといだ。あの良弘ですら、能力が封印されていたせいで抵抗も出来ずに捕まったんだぞ」
焔は怒ったように目を開け、自分を押さえつけている浩一郎を睨みつけた。
彼には珍しい切迫した表情、そこから注がれるまっすぐな視線を彼女は真っ向から受け止めた。
浩一郎、とうとう焔を襲う?の巻・・・保健室のベッドでいったい何をやっているんでしょうね、この二人は。絶対に誰かがみたら「ごめんなさいっ!」と言って去っていきますよ。
ちなみに浩一郎は読書の時のみ眼鏡をかけます。別に老眼鏡ではありません、微量の乱視のせいだと思われます。良弘の伊達眼鏡とは違います。