第19話:姿を見せた悪意
優しくなった視線に、焔は喜びと戸惑いを感じていた。
「そんなにしてくれなくても、いいぞ。俺は単なる間借り人なんだし」
目線で「いいの?」と問い掛けてくる焔に良弘は破顔した。目の前にある頭を撫でてやると、焔は何が気に入らないのか、口を尖らせながら、撫でてくる良弘を睨み上げた。
「焔はいい子ですね」
「・・・俺、年上なんだけど」
まるで子ども扱いの良弘の態度に、焔は小さく文句を述べた。
良弘はその言葉に目を丸くするともう一度まじまじと彼女の容姿を観察する。やはり自分よりも3歳は若いように見える。
「年上、ですか?」
疑わしそうな目線で聞いてくる彼に、焔はだんだんと足を踏み鳴らしてみせる。
「そう、良弘と真帆は俺を含めて3つ子だったんだ。その中で一番最初に生まれたのが俺。つまり俺が一番年上だ」
三つ子に年齢の差はないと思うのだが、彼女はそれが重要らしい。胸をはりながら、「俺が一番上」と「俺がお姉ちゃんなんだっ」と繰り返している。
そういえば、母に自分たちは3つ子でその内の一人が死んでいることは教えられていた。出産と同時になくなったらしいが、その子供の出生届は出してあると言っていた。
「ともかく、これ以上、年下扱いはしないようにっ」
びしぃっと指を良弘の鼻先に突きつけてくる焔の姿に、彼は笑いをかみ殺すので必死になった。
「では、お姉さんとでも呼びましょうか?」
「/////・・・・おう、それでいいぞ」
からかうように問われた言葉に焔は顔を真っ赤にさせながら、つんっ顔をそむける。どうやら照れている顔を見られるのは苦手らしい。その可愛い態度に良弘はとうとう笑ってしまった。
−−−−−−しかし、楽しい時間はそれまでだった。
空間を瓦解させるような衝撃と共に良弘の背後の空間が歪み始めた。
あの悪夢と同じどす黒く、悪意に満ちたものが歪んだ空間からこちらに吹き込み、新たな澱みを生み出す。
良弘はそれに気づき身を翻そうとしたが、すでに遅く、無数の黒い手が絡みつくように体を捕らえる。
「良弘っ!?」
あまりに突然な出来事に焔も対処が遅れた。
手を伸ばそうとしても間に合いそうもない光景に、彼女は急いで大きな炎の玉を作り上げると良弘の体を捕らえようとしている『何か』に向けて投げつけた。
だが、それらは炎に身を焼かれながらも怯まず、後から後から増殖し続け、歪みの中に良弘を引きずり込もうとしている。
焔は盛大に舌打ちをすると、今度は手をはがすために一気に良弘の傍に跳躍をした。
なんとか良弘の腕を掴み引っ張ってみるが、彼女の腕力では到底止められそうにない。絡みつく手を焼き払いながら良弘に纏わりつくそれを排除しようしても、逆に自らの腕をとられそうになる。
「逃げなさいっ!焔っ!!二人して捕まりたいのですかっ!?」
良弘の言葉にも焔は頭を振り、必死に炎を作っては焼きつづける。
手の数は、どんどん増えていく。黒いもののほかに赤黒いものや、白いものまで点在する。
焔は一番しっかりと良弘を掴んでいた白い手をはがそうとそれに触れた。その瞬間、他の『手』からは感じられなかった異様な衝撃が全身を襲った。
それでも彼女は必死になりその指一本一本をはがそうと努力する。
「手を離しなさいっ、焔っ!巻き込まれますっ」
彼女に良弘を見捨てることなどできなかった。
しかし、良弘も彼女を巻き込ませるわけにはいかなかった。
彼は意を決すると自分の腕を必死に掴みながら助けようとしている焔の体を突き飛ばす。反動で自分の体が歪みの中に更に嵌ってしまったが、満足した笑みで良弘は転がる彼女を見つめた。
何が起こったのか判らないまま、ただ呆然とこちらを見ている焔の姿。唇が「どうして」と動くのがはっきりと見える。
とどめようとする枷がはずれたため、良弘の体は急速に歪みの中に吸い込まれ始めた。
それと同時に遠のいていく意識。彼は最後の気力を振り絞ると、傷ついた表情をしている焔に笑いかける。
『大丈夫、心配しないでください』
声のでなくなった口を動かして、焔に最後のメッセージを伝える。
だが、そのメッセージすらすでに、歪みに沈み込んで・・・
「良弘っ良弘ぉっ!!」
泣き叫ぶ焔の声が闇に支配された空間に響き渡る。
遠くから聞こえる泣き声に、彼女を傷つけてしまったと思いながら、良弘は最後の意識を手放した。
良弘、誘拐されるの巻でした。
いや、普通、浚われるのはヒロインの役目なのに主人公の男が浚われるのは少し情けないか・・・
この後、暫く良弘は出てきません。本当に主人公から主人公が遠のいてゆく感じがしてなりません。