第10話:少女との出会い
「んん・・・・?」
浩一郎の思考を遮るように良弘が身じろいだ。
目覚めるのかと思ったのだが、彼は更に深い眠りに落ちたらしい。先程よりは寝息が静かになっている。
まだ目覚める気配すらない良弘に浩一郎はもう一度読書に戻ろうかと考えた。
しかし、まだ他に考えるべきことを思い出し、椅子をベッドの脇に移動させて思考を自らの中に沈ませる。
自分が見た昼間の出来事────自分以外の誰も見ていないその光景を思い出す。
急に怯えだした良弘・・・それに気付いて視線の先を探したが、まだその時点では何も起きていなかった。
いったいどうしたのかと思う自分を余所に、良弘は椅子を立ち上がり逃げようとした。
だがその瞬間に窓の色が変わった。透明なはずのガラスが赤褐色に染まり、黒い悪意を纏った紅い光が良弘の身体をつつんだ。
・・・・・・そして聞こえた、あの声────
『ヨシヒロ、ツカマエタ』
あれはいったい何だったのか。
(あれが良弘を悩ませる、この家の力の一端なのだろうか)
そうなると、自分の持っている財力・情報力だけでは対応するのが難しい。あんな特殊な力に対応する術など自分は持っていない。
浩一郎の不安をかき立てる要素が良弘の回りを覆い尽くすように渦巻いている。
・・・・・・キィ───・・・
小さな音を立てて、鉄製の扉が開いた。
顔を出したのは艶やかな黒髪と印象的な大きな赤茶色の瞳を持つ少女だった。
彼女は部屋の中で見つけた人影に怯え、扉の所からずっと浩一郎の様子を観察していた。
「君は、誰?」
安心させるための笑みに乗せて浩一郎が声を掛けると、彼女はビクンッと大きく体を震わせた。
何か、不思議な者でも見るようにこちらをずっと見ている。
そんな幼い少女の様子に、彼は椅子から立ち上がるとある一定の距離を置いて彼女の前にしゃがみこんだ。『危害は加えないよ』と、目で語ると彼女は恐る恐る扉の内側へと入ってきた。
「・・・お兄ちゃんが、倒れたって聞いて・・・」
全身を見せた少女の手には氷水の入った洗面器と、白いタオルがしっかりと握られている。
その指先が赤くなっているのは彼女自身でこれを準備したからなのだろう。
「おいで、そんな冷たい者を持っていたら、手が霜焼けになるよ」
浩一郎は洗面器を受け取るために彼女の前に手を出した。
少女は少し迷った後、おずおずと氷水の這った洗面器を浩一郎の手の上に乗せた。
彼はそれをしっかり受け取ると、それを持って良弘の近くに戻る。濡れたタオルを堅く絞り、良弘の額の上に乗せてあげた。
その当たり前の情景に、少女はやっと安心したのか部屋の扉を堅く閉めて浩一郎の側に近づいた。
浩一郎はやっと自分から近づいてくれた少女の手を取ると、自分の手で包み込む。
「温かい・・・」
何が起こったのか判らない少女は、それでも嬉しそうにか細い声で呟く。
久しぶりに得た普通の温もりは、少女がこの数年で凍てついた心を少しだけ溶かしてくれた。
彼女はもう一度、「温かい、ね」と呟くと久しぶりに心からの笑顔を作った。
この時になってやっと浩一郎は彼女の顔をきちんと見る事が出来た。
どことなく良弘に似ている顔立ちだ。震える赤みの強い瞳と雪のように白い肌、それに映える漆黒の髪───年齢は、10才ぐらいだろうか。それなのにどこか年相応の無邪気さが少なく、良弘と同じように何かに諦めた雰囲気を醸し出している。
「もしかして、良弘の妹?」
浩一郎の問いに、彼女は今度は戸惑いもせずに答える。
「うん、香帆っていうの」
手を温めてくれる彼に対しての警戒がとけたのか、先程よりも怯えていないようだ。
「あなたは、だあれ?」
今度は香帆が質問をしてくる。
浩一郎はにっこりと笑うと、小さな少女の前で跪いて挨拶をした。
「はじめまして。俺は良弘のクラスメイトで松前浩一郎といいます。よろしくね、香帆ちゃん」
最後にお姫様にするように手の甲にキスをすると、彼女は嬉しそうに目を細めた。
浩一郎、フェミニスト大発揮の巻・・・少女をたらし込んでいます。
だんだん、一人目の主人公・良弘の影が薄くなってきました。