番外編2−1:木陰での出会い
若葉生い茂る5月、良弘は一人木陰で読書をしていた。
いや、読書をしていると言っては語弊があるだろうか。彼は本を片手に深く眠り込んでいた。
−−−−−−パサッ・・・・
身体が大地に倒れても覚めないぐらいの熟睡。本は栞を挟まないまま、読みかけの頁を閉じた。
それから少し遅れ、一人の少年が木陰に足を踏み入れた。
片手には数冊の本を持っている所から彼も良弘と同じく読書をしに来たことは明らかだった。
彼の名前は松前浩一郎、学校の中でも屈指の有名人である。
その人望は言うに及ばず、明るい笑顔やいつも新鮮な話題を振り撒く彼は常にクラスの中心であり、彼の周りには必ず数人の取り巻きがいた。
だがそんな彼も自分だけの時間を欲する時がある。そういうときは人目につかぬよう、こっそり人の輪を抜け出し、この木陰へと足を運んでいた。
「ありゃ?」
先客がいることに気付いた浩一郎は葉陰から覗く学生服に包まれた長い足に嫌悪感を露にした。
ここは校内でも自分が唯一落ち着ける場所だ。そうそう譲ってやる気は無い。
浩一郎はその人物を追い払うべく、迷う事無くずかずかと足を進めた。
しかし、寝そべっている人物の顔を見てすぐさまその行動を改めた。
不満そうだった顔つきが驚きの表情へと変化している。
「と、こいつ・・・・・・確か」
寝ていたのは同じクラスの桧原良弘、同じクラスと言ってもまだ一度も言葉を交したことなどない人物だ。
浩一郎と常に主席を争うほど優秀な頭脳を持ちながらも、氷のように詰めたい無表情と必要以外の言葉は喋らないと無口さ、どこか人を排除しようとする雰囲気のせいで浩一郎とは別の意味で有名になっていた。
実際、時折見かける彼の瞳はいつ見ても背筋が凍るほど冷たい。そのせいかクラスの中でも常に浮いた存在となり、先生ですら彼を倦厭していた。
だが逆に浩一郎は彼の動向の中に何か矛盾を感じ、少なからず良弘に興味を抱いていた。
彼の言葉は人を傷つけるように鋭利ではあるが、最後の最後で止めをさせないという甘さを持っている。
無表情の仮面も自分を守るためというより、『何か』を守るために装っている気がする。
自分も自分の孤独な本性の上に『社交的』な仮面を被っているから何となくわかるのだ。
(ここで、待っていれば少しぐらい話ができるかな)
浩一郎は静かに彼の傍へと近づいた。
自分の気配で起きてしまうかと懸念したが、余程深い眠りに入っているのか一向に目を覚ます気配は感じられない。
今度は寝顔を見るためにしゃがみこんでみる。
すっきりとした頬に指を這わせても良弘はむずかる仕草すらしない。
「おーお、よく寝てること」
どんなにちょっかいをかけようとも規則正しい寝息は崩れない。
彼の冷たい視線を彩るトレードマークの銀縁眼鏡は外れかけている。手を伸ばしてそれをどけてみると、思わず唸りそうになるぐらい綺麗に整った顔が現れた。
今まで眼鏡という防御壁によって隠されていたが、そこらの俳優やモデルも裸足で逃げ出してしまうぐらいに眉目秀麗である。
自分の従兄弟も人離れした綺麗さを誇っているが、それとは違った迫力のある美しさだ。
(そうだ・・・・・・)
調子が乗ってきた浩一郎は、今度は彼の前髪に手をつけた。
ディップで固められた髪を手櫛で下ろして整える。
やはりこちらの髪型のほうが彼に似合う。額を出している時よりも艶が増している。
これでスーツを着せて町を歩かせれば多くの女性が彼に魅了されるだろう。下手をしたら男だって落ちるかもしれない。
心行くまで良弘を観察して気分がよくなった浩一郎は、彼の傍に腰を下ろした。ふと自分の指先に触れる物に気が付いて持ち上げると、それは先程外した眼鏡だった。
(なんだ?これ・・・伊達眼鏡じゃないか)
目つきも悪かったから本当に目が悪いと勝手に思っていたがそれは間違いだったようだ。
もしかしたら彼は自分の容姿を隠すためにこんな時代遅れのフレームの眼鏡をかけ、野暮ったい髪型をしていたのだろうか。
確かにこれだけ綺麗な顔立ちをしていれば過去にいろいろないざこざに巻き込まれていても仕方が無い。従兄弟が出会った変質者たちの姿を思い出しながら、浩一郎は妙に納得した。
「お・・・」
今度は良弘の手元にある本に興味を移動させた彼は、制服が汚れるのも構わず、座った大勢のままそちらに移動した。
彼が寝る直前まで読んでいた本の表紙には『自然科学の需要』と綴られている。著者はW大の名誉教授だ。本の上のほうには所々に付箋までついている。
「ちょっと拝借しますよ」
寝ている良弘に一応、断りを入れてから、彼は紙のうえに視線を走らせた。
浩一郎、良弘に悪戯する?の巻。
良弘はこの時、155cmもありません。逆に浩一郎は165cmあります。
良弘は高校に入ってから急激に伸びたので、この時点では『可愛い』の方が似合う容姿をしています。