後紀1考察
自分が考えた大陸史をツラツラと述べた文章です。
小説とも違って、概説の様なものです。
暇でもなければ苦痛だと思うので、読まないことをお勧めします。
もし、読んで面白いと少しでも感じる方がいれば驚きです。
メルンボス・イーゲルによって、大陸に秩序が取り戻され、メルンボスは皇帝としてイーゲル朝を創始する。メルンボスはこれによって大陸に平和をもたらしたものとして、大帝の称号を受け、また偉大なる人物として歓呼される「ラグ」を初めて名乗ることを許される。このイーゲル朝の創始をもって、大陸史始まることになる。
イーゲル朝は嫡子相伝で3代目まで続いていくが、3代目の王位をめぐってポントス、グローリア兄弟の権力争いがおこった頃から政情は不安定となり、内部抗争によってグローリアの娘婿にあたるマゾル・ラスによって初めてイーゲル家の血をひかぬものが王位に就くことになる。その後、マゾル以降、ラス家の血をひくものが王位につくことになった。しかし、ラス家の台頭をよく思わないイーゲル家はマゾルの孫、エルネスの代にラス家とイーゲル家の内紛を起こすことになる。この戦いは後に智帝と呼ばれることになるエルネスの勝利と終わる。しかし、イーゲル家の名声が未だ衰えずいることに危惧したエルネスはイーゲル家の子息を養子と迎え、いずれは両家を婚姻関係にすることで対立の芽をつもうと画策する。この考えはイーゲル家に受け入れられるには時間を要したが、勝者としての立場からなんとか抑え込み養子縁組を完了することに成功する。これによって、エルネスの孫の代にコーネリウス・イーゲルとエルネスの孫娘が婚姻関係を結ぶことによって、5代ぶりに王位がイーゲル家に返還されることになる。これにより、イーゲル家・ラス家の婚姻関係のもと、平和な時代が訪れるかと思われたが、コーネリウスの息子である11代目皇帝が甥のエグバート・ロールに殺されたことによって時代は大きく変化する。
エグバート・ロールを輩出するロール家の出現は時代をさかのぼり、マゾル・ラスの時代になる。軍人上がりで、イーゲル家の権力争いの中でその軍才をグローリアに認められ、グローリアの娘婿となったマゾルは、その息子が5代目皇帝となったことでますます権力を我が物にしようとしていた。しかし、ラス家の台頭を憎むイーゲル家によって5代目皇帝が暗殺されたことによって、マゾルの権威は確固たるものではなくなった。マゾルはただちに6代目皇帝を名乗るが、イーゲル家の血をまったくひかないマゾルが王位につく事は、反乱を頻発させることが必至と思われた。そこで、マゾルはイーゲル朝の権力者と手を組むことで反乱の声を抑えつけようとした。その時に、マゾルが手を組んだのがロール家であった。マゾルとロール家は内縁での婚姻関係(その後、前妻であるグローリアの娘とは別れている)を結ぶと、息子が産まれ、ロール家は王家の親戚として力をますます伸ばしていくことになった。そんな中で、ロール家の権力は無視できないものとなり、コーネリウス・イーゲルの時に統一されたイーゲル・ラス両家はロール家と婚姻関係を結ぶことで権力の安定化を図ろうとした。このイーゲル家とロール家の婚姻で生まれたのがエグバートであった。しかし、王家の親戚で終わるつもりがなかったエグバートの祖父、エドガー・ロールはイーゲル家弱体化の策を水面下で行い、コーネリウス・イーゲル死去を機に、エグバートを決起させ、11代目皇帝を敗死させることで、イーゲル朝に引導を渡した。
勝利したエグバート・ロールはロール朝を創始した。ラス家の登位の際によるゴタゴタを起こすまいと配慮したエグバートはこのロール朝の創始をイーゲル家との決別ではなく、イーゲル朝の延長であるとアピールすることで反乱の芽を抑え込むことに成功した。これによりエグバートはメルンボス・イーゲルがイーゲル朝創始の際に掲げた「大陸の守護者たる王」の後継者であると国民に認められ大帝の歓呼を受けるに至った。しかし、その子供たちは父の意志を受け継ぐ事はなく、姉エグリア・ロールと弟エドラゲル・ロールの間で内部抗争が起こることになった。この内部抗争は王位相続権を認められなかったことと、2代目皇帝として父の寵愛を一身に受ける弟、エドラゲルを妬んだエグリアが一方的に起こした戦争であり、エドラゲルは温厚で戦争を好まない青年であったが、執念に燃えるエグリアが大陸の別王家であるガール王国と婚姻関係を結び、その後ろ盾をもって攻勢をかけたことで、エドラゲルは権力争いに敗れ殺されてしまう。父、エグバートはこの姉弟争いを阻止するために奔走したが、争いを止めることが出来ず、エドラゲルが戦死したに及んで、政治に対する意欲を失い、失意のうちに亡くなってしまう。父、弟と邪魔者を排除することが出来たエグリアは晴れて3代目皇帝に即位し、史上初の女性皇帝が誕生することになった。しかし、国民は力で障害をねじ伏せて即位したエグリアを恐れ、豪帝とあだ名するようになった。
強権で政治を執り行うエグリアの政治が長く続くとは思われなかった。また、同時に別王家と婚姻を結びその力で王位を簒奪したエグリアは父、エグバートが呼称された「大陸の守護者」であるとは認められず、反乱の芽は大陸のあちこちで生まれるようになっていった。そんな中、エグリアに対して復讐を誓う人物が宮中に存在した。その名前は、テオドス・アイロムルである。彼は先々代皇帝、エグバートに見出された武将で、エグバートに比類なき忠誠心を誓い、その息子、エドラゲルにも仕えていた。姉弟抗争の際はエグバート・ロールに付き、抗争を鎮めるべく奔走していた。しかし、抗争はエグリアの勝利に終わり、エドラゲルは戦死、エグバートも失意の内に死亡と、敬愛していた主君を二人も失うことになったテオドスはその原因であるエグリアを深く憎んでいた。エグリアが即位した当時のテオドス・アイロムルはロール朝軍隊の第一人者となっており、また品行方正で常に謙虚な彼の性格がますます国民の敬愛を集めていた。即位することに必死だったエグリアはテオドスに対する対処法は頭にはなく、即位によって初めてテオドスに対して動きだすことになった。しかし、エグリアがどのような条件を出してもテオドスを懐柔することは出来ず、そればかりかエグリアの懐柔策が、テオドスをますます復讐に燃えさせることになってしまった。懐柔出来ないと悟ったエグリアは慌ててテオドスから軍隊内での地位と権威を剥奪しようと画策した。これに反旗を挙げたテオドスはエグリアの娘である4代目皇帝を総大将とするエグリア軍と開戦し、テオドスを甘く見たエグリアは敗走し、4代目皇帝は捕えられ殺害されることになった。エグリアは再起を誓おうと帝都に舞い戻るが、エグリアの強権に愛想を尽かしていたロール朝内に彼女の居場所はもはやなく、彼女は夫のいるガール王国へと逃走することになった。勝利したテオドスは、帝都に帰還し、「大陸の守護者」の歓呼を受けアイローム朝を創始することになった。このことが画期的であったのは、それまでの即位がイーゲル家と血縁・親戚関係者であることが重要とされてきた中で、初めてイーゲル家と無関係の人間が即位した事であった。
アイローム朝を創始し、初代皇帝に即位したテオドス・アイロムルがまず取り組んだのは自家をイーゲル家の血縁関係を持たせる事であった。エグバート・ロールによってイーゲル朝が廃止されてから、かなりの年月を経てはいたが、未だ、大陸に平和をもたらしたラグ・イーゲル(メルンボス・イーゲル)を崇める国民は多く、それがイーゲル家の崇拝となってイーゲル家の血縁関係者であることが一種、王家のステータスとなっていた。そのため、国民から敬愛され、エグリア討伐に功績のあったテオドスならばと国民には許容された即位も、その後の息子たちの代ではどうなるか分からないという恐れがあった。そのために、テオドスは元ロール朝3代目皇帝エグリアと婚姻関係を結んだ際に誕生したガール王国のエロール・ガールの娘を息子、テオドシウスと婚姻関係を結ばせることで、ガール家との講和を結ぶ事が出来、かつ、アイロムル家をイーゲル家の血縁関係者とすることが出来ると考えた。テオドスはエロール・ガールと会談を行った。ガール王国21位代目国王であったエロールは母、エグリアの帝国政策、権力抗争に関与していないと述べ、また、自国であるガール王国を権力抗争で再起をかけるため危機に陥れようとする母の姿勢に憤りを感じていることを告げた。テオドスはガール王国と争うつもりがないことと、その確約のため両家の婚姻関係を提案した。エロールは婚姻関係によって、母の再起の思いが打ち砕かれるであろうと考え、この考えに合意した。これによって、アイロムル家、ガール家の婚姻が執り行われ、正式にアイロムル家はイーゲル家と血縁関係を持つことになった。この婚姻によって再起の道を閉ざされたエグリアは憤死したと伝えられている。その後、アイローム朝3代目皇帝テオドリックの際、勢力拡大を図ったテオドリックによってガール王国は攻め込まれ、ガール王国はアイローム朝勢力圏内に取り込まれることになった。このテオドリックは1人娘しか授かることが出来なかった。そのため、娘の夫を探す必要が生まれその際に白羽の矢が立てられたのが、アクロス・マクロスであった。彼は皇帝から選ばれた人物として「選帝侯(以下、選侯)」と呼ばれ、以降、皇帝に愛された、また重用された諸侯に「選侯」という称号が与えられるはしりとなった。ちなみに、アクロス・マクロスは未だ定かではないがラグ・イーゲルの隠し子の子孫であると噂されており、そのような血統的背景もアクロスがテオドリックの娘婿として、また4代目皇帝として選ばれる要因の一つになったのではないかと考えられる。名君が続いたアイローム朝であったが、5代目皇帝テオドクロスの時、娘婿にコルディア・クロムウェルを迎えたところから王朝内に変化が生まれ始める。王家の親戚となったコルディアは権力を我が物にし始め、6代目皇帝に後継者が産まれないという名目で息子、コルダロスを6代目皇帝の養子にすることを決めてしまう。これにより、コルダロスは次代の皇帝となり平和的に禅譲は行われた。それと同時に、アイローム朝は廃止され、クロムウェル朝が創始されることになった。この政権交代は表面上、平和的に行われていたとされているが、コルディア・クロムウェルがアイローム朝6代目皇帝に対して水面下で行った策謀は苛烈を極めたと言われており、そのためにこの政権交代が国民にすんなりと受け入れられることはなかった。
コルダロス・クロムウェルによって創始されたクロムウェル朝であったが、その登位に納得できないものも多く、王朝を通じて反乱に悩まされることになった。その中でも特に著名なのがアイローム朝の諸侯の一人であったガルバ・ゴールである。彼はこの不当な政権交代に、そしてアイローム朝下の諸侯に対する弱体化を図るクロムウェル朝に、異を唱え、挙兵を決意した。しかし、クロムウェル朝の将軍、コルブロ・クロムウェルによって敗れ、殺害されてしまう。ゴール家は領地を取り上げられ、ガルバの息子は辺境へと逃げ再起を誓うことになった。再び、勢力を集めたガルバの息子は挙兵し、クロムウェル朝に対して攻め込んだ。しかし、コルブロの息子、コルブリアムス・クロムウェルの前にガルバの息子は戦死した。親子2代で反乱を起こし、2度敗れたゴール家はクロムウェル朝下の大犯罪人とされ、その一族郎党はほとんどが捕えられ処刑されていった。その中で、なんとか逃げ延びて生きながらえたのが、ガルバ・ゴールの孫娘で、後にクロムウェル朝を倒し、マクロス朝を開くことになるモルトケ・マクロスの母であった。彼女は大陸から逃げ延び、身を隠しながら、再起の時を虎視眈々と狙い続けた。アイローム朝時代から、大陸で一目おかれている大諸侯であるマクロス家に嫁ぐことを成功させ、諸侯夫人として兵力を結集し、雌伏の時期を過ごした。クロムウェル朝3代目皇帝で政策王と名高かったコルダムが崩御し、その子が4代目皇帝として即位する政権移行の不安定な時期を見計らって決起する。その反乱に対するのは、反乱鎮圧に功績を挙げ、クロムウェル朝一の武門の名家とされたコルブロ・クロムウェルの一族、コルブロの孫であった。3度目の正直と親子3代の屈辱を晴らすことに執念を燃やす反乱軍と親子3代で築き上げてきた武門の名家としての期待を一身に背負ったクロムウェル軍が開戦した。しかし、3度目の執念が実り、反乱軍は勝利を収める結果となった。これにより、各地のクロムウェル朝の反乱の火種は燃え上がり、世情は混沌に包まれていくことになっていた。その中で、母によって見出された活路を十分に活用し、さらに次代へと繋げていったのが、モルトケ・マクロスであった。モルトケ・マクロスは大犯罪人ゴール家の娘と大諸侯マクロス家の男の間に生まれた青年であった。マクロスは母によって、幼い頃からクロムウェル朝打倒の意志を叩き込まれ、また英才教育を施された。優秀な少年であったモルトケだが、権謀術数に関する才能は誰も比肩することが出来ないほどであり、彼の権謀術数の才能がその後のクロムウェル朝打倒、そしてマクロス朝創始の際に大きく役立つことになっていく。母が反乱軍を決起し、クロムウェル朝に勝利した頃には反乱軍の首謀者の一人として活躍していたモルトケは、この勝利を機にクロムウェル朝に「選侯」の称号をモルトケ・マクロスに授けることを条件に、講和を申し込む。この元ゴール家を核とした反乱軍の勝利によって、各地の反乱軍が活発化することで各地に兵を送らなければいけないだけでなく、目の前のやっかいな反乱軍とも相手しなければいけないことを嫌がったクロムウェル朝5代目皇帝は、その意図を深く考えず講和を結ぶことになった。この講和の条件となった「選侯」という称号は、彼より7代前にさかのぼるアクロス・マクロスがアイローム朝で皇帝に就任する前に授かったとりあえずの称号であった。このとりあえずの称号という意味で実際の権力がなにもないと考えたクロムウェル朝は授与を決断したが、この「選侯」には皇帝により選出されたからには就任期間中は皇帝権力不可侵であること、もし皇帝権力によって不当に侵害された場合は王朝下の諸侯を招集することが出来るという権限を持っていた。これは「選侯」を帝位の後継者の一時的な処遇として扱ったためであり、一度決定した後継者を王の意志で変更することがないようにという配慮の下の権限であった。ただし、アイローム朝下でのことであり、クロムウェル家では「選侯」という称号は重要視されていなかった。しかし、未だアイローム朝の影響を引きずる諸侯は多く、大諸侯の中にもそのようなアイローム朝への回帰を望む諸侯も少なくなく存在したため、このモルトケ・マクロスに「選侯」の称号が授けられたという知らせは各地で衝撃を走らせることになった。選侯に就任したモルトケは、クロムウェル朝を少なからずよく思っていない諸侯の訪問を開始する。クロムウェル家もモルトケに対して早く排除しようとする動きが行われ、俄かに権謀術数の戦いが始まることになっていく。帝国外の諸国を挑発させ、帝国の関心を国外に向かわせ、その間に着々とクロムウェル家の弱体化に奔走するなどモルトケは八面六臂に活躍し、不満をもつ諸侯との繋がりを強固にして勢力を集めていった。外征が終わり帝国が疲弊した瞬間をねらって、クロムウェル家に対する挑発の策謀を行ったモルトケは、クロムウェル家によって国家の敵と定められてしまう。これ対して、モルトケは「選侯」の権限を行使し、反クロムウェル朝の諸侯を配下に反抗する。この戦いは熾烈を極めるが、戦前から策謀を張り巡らせたマクロス軍は徐々に勝利を収めていき、クロムウェル朝最後の6代目皇帝コルバックス・クロムウェルを処刑するに至って、この内乱は終結することになった。
モルトケ・マクロスはこの内乱後、マクロス朝を創始し、皇帝に即位した。マクロス家の血をひく彼の即位によって、まだイーゲル家の血を継ぐ者による帝位の相続と謳われることになる。しかし、マクロス朝はこのモルトケの神算鬼謀とカリスマ性によって築き上げられた王朝であり、また反乱軍を基盤として政権化していったという過程で、それまでの4王朝にあった血統(王家)崇拝主義から実力至上主義を掲げたこともあり、王家であるからという忠誠心は希薄となり、これが「実力さえあれば王権をしのいでも構わない」「実力のない王に仕えるより、実力のある者が王になる方が帝国のためである」という考えを生みをマクロス朝の危機を迎える一因となった。モルトケのカリスマ性と彼に心酔した諸侯の影響力もあり、4代目皇帝のモルトリアの代までは比較的平穏な時代を迎えることが出来たが、その息子の5代目皇帝の代にはマクロス家内の権力争いも相まって、群雄割拠の時代となり、一諸侯のマンディー・ラグールによってモルトケ家最後の嫡子が殺害されたことで、正式なマクロス朝は幕を閉じることになった。モルトケ・マクロスの出現によって、大陸には新たな考え方である実力至上主義という考え方が生まれ、これはモルトケ主義、後のトキルカ主義として、血統崇拝主義を掲げるイーゲル主義と学問の双璧を為すようになっていった。このマクロス朝の廃止によって、メルンボス・イーゲルの血をひくとされた王家は絶え、これをきっかけとして新たな崇拝主義の対象となる血統をめぐる戦いへと続いていくことになった。
マクロス朝の王位は継続され6代目皇帝としてマンディー・ラグールは就任するがすぐに息子の元嫁の婚約者であったヴェティリウス・パミリウスによってラグール家によるマクロス朝は廃止されることになった。マクロス朝を廃止したヴェティリウスは選侯を名乗った後に、パミリウス朝を創始した。この頃には選侯の称号は後継者という意味合いよりも、大諸侯に対する異名というような形へと変化を遂げることとなっていった。
以上の様な事が大陸史後紀1での起こったことです。
これはまだまだ序章にすぎません。
自分の手元には後紀13にまで至る妄想の歴史が存在しているので。
それを吐き出すまでは、お付き合い願えたら光栄です。