6話 現実 食べる理由と、走る理由
体の痛みに耐えながら、家の中を歩く。
まるで昨日、夢の中でのどぶさらいの疲労が、筋肉の奥に残っているようだった。
腹が減って仕方がなかった。
朝の光の差し込む台所で、味噌汁の湯気が立ちのぼる。焼き魚の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
箸を動かしながら、僕は無心で食べ続けた。
不思議だ。昨日から、食べ物の味がはっきり感じられる。
噛むたびに、体の奥まで力が染み渡るようだ。今までの食事は、ただ脂肪に持っていかれていたような気がしたが、昨日も今日も違う。
なんか、生きるために食べている気がした。
「にいちゃん、食べ過ぎじゃない?」
コップに入って牛乳を三杯あおるように飲む。
体の細胞に水分とタンパク質が行き渡るようだ。
凄く美味い。
妹のハルカが、僕を心配するような目で見ていたが、体は栄養を欲しているようで、食欲が抑え切れなかった。
「寝ぼけてるでしょ?」
妹は小首をかしげた。
その笑顔に、昨日の宿屋の受付の女の子の顔が一瞬重なる。
僕は慌ててコップを置いた。
学校で僕はいつも通り授業を受ける。僕は誰の目にも映り込まない。たとえ、わかる問題があっても決して手を上げない。目立つことをすれば、バカにされる。だから、ひっそりと嵐を過ぎるのを待つように授業に参加するのだ。
ただ、無駄にぼーっと過ごすのは嫌だった。
先生の話に耳を向け、回答方法を考えながら、眠気にも耐えながら理解しようとした。
ふと、少しだけ眠気が落ち着き、先生の話の内容がわかりやすくなった瞬間があった。あれはなんだったんだろうと思いながら休み時間を過ごした。
そして、体育の授業、僕の苦手な持久走だった。
笛の音とともに、一斉に駆け出すクラスメイトたち。
一気にみんなに抜かされて、慌ててペースを上げてしまう。ペースを上げるとすぐ肺が焼けるように痛み、足が鉛のように重く、動かすのが辛くなる。
それにそもそも体中が筋肉痛みたいな痛みで辛いのだ。
けれど、その辛さの中に懐かしい感覚があった。
あの、どぶさらいをした時と同じだ。
大変なのに、なぜか楽しいという感覚があった。
誰かが応援してくれているわけではない。
ただ自分のために、成し遂げようとする感覚。
それのせいなのか、いつも嫌な体育の授業が、そもそも苦手な持久走なのに、顔を上げて続けられた。
ゴール地点について、無様に地べたに転がり息を吸い込む。いくら吸っても酸素が取り込まれないような苦しさ。
今にも意識が飛びそうなほど苦しいのに、不思議と心は軽かった。
やり切ったという実感が、胸の奥に灯っていた。
「本当に豚みたいだな」
「たかが体育で必死とか、だっせぇな」
同級生の冷ややかな声が耳を打つ。
それでも、不思議と腹は立たなかった。
見上げた青い空を見つめる。
広がる空は、どこまでも青く澄んでいる。
あの夢の中のように。
感想など頂けると今後の参考になりますので助かります。




