33話 現実 楽しい夏祭り
ベッドから飛び上がるように起き上がって首を触る。
首に異常はない。でも、首を絞められた時の血管の脈打つ感じが、皮膚の上に残っていた。
部屋を見渡すと漫画本やゲーム機、机には解剖学の本が開かれたまま放置されていた。
現実に、帰って来れたんだ。
魔物の襲撃は、なんとかなったんだ。
ーーー
首に回された力が、急に消えた。
背後で、何かが壊れる音が続いた。
霞む視界の向こうに、見覚えのある二人の姿があった。
冒険者ギルドの受付にいたアンナさんと、治療院のアカリさん。
その2人は、
「女の子に、ギルドの方を助けに来てと言われた」
遠くでそう言っていたような気がする。
本当に聞いたのか、そう思っただけなのかは、わからない。
もし本当に聞いたのなら、アンナさんたちに伝えてくれたその女の子は、ハルカだったんじゃないかと思う。
あの籠城状態の街で、女の子が走って助けを呼ぶなんておかしい。
ーーー
洗面台で顔を洗う。
ふと顔を見ると夢の中の美少女の僕に重なる。
見間違えかと思い目をこする。
あぁ、そうか。
夢の中の自分の顔が妹に似ていると思ったのは、元々、僕の顔の輪郭がこうだったからだ。
生活を改めて、走った。
夢の中では、クエスト報酬という都合のいい後押しもあった。
その全部が、今の僕を作った。
でも、変わりたいと思ったのも、努力して毎日走り、雨の日も走ったのも事実だ。
それに、ひとしおの感動を覚えた。
「兄ちゃん、いつから鏡に写った自分を3分くらい見つめるナルシストになったの?」
「えっ、いや、なんていうかー痩せたなーって」
妹のハルカは眠たそうな顔で洗面台の横に立っていた。
「ゆめ、大丈夫だったでしょ?」
洗面台で何ともなかったかのようにハルカが顔を洗い始める。
「ああ、うん。ハルカが助けを呼んでくれたのか?」
「へ? 私夢見てないんだよね。覚えてないだけかも?」
そうだ。ほとんどの人は夢は覚えていないのが普通だ。覚えていても、5分もすれば意識しない限り忘れる。
結局、僕の窮地を知らせた女の子が誰で、何だったのかは、今もわからないままだ。
それでも、危険な中で助けを呼んでくれた誰かがいて、僕が助けられたという事実だけは、確かに残っている。
でも、きっと、それはハルカしかいないと思う。
僕はそう思って、眠そうに洗顔するハルカの背中に感謝した。
朝のランニングは控えめにし、木刀で軽い素振りをする。そして、汗臭さを消すためにシャワーを浴びた。
今日は橘さんたちと行く夏祭りの日だ。
流石に汗臭い臭いを漂わせて行くわけにはいかない。
ハルカが選んでくれた服に着替える。すると、うんうん、とうなずく母さん。
「うん、この服ならバッチリね」
「でしょ? 私頑張ったと思わない? お祭りのお小遣い弾んでね」
「それとそれは別。だいたい、マコトがかっこいい格好でこはるちゃんたちと並んで歩いてほしいでしょう?」
「まあそうだね」
「眼福じゃない」
「そうだね」
「格好いいマコトと可愛いこはるちゃんを近くで見れるのよね?」
「もう、それは役得じゃない!」
「はいはい、お祭りのお小遣いは少しだけ多めにしておくわ」
「やったー! お母さん大好き!」
そんな2人の様子を見ながら、テレビの天気予報に目を向ける。日中は晴れのち曇り、夜から雨、ところによっては強くなる見込みと出ていた雨になっていた。
小学生の2人がいるから長居はしないので、運がいいと思った。
橘さんの家は、一度来たことがあった。橘さんの弟の颯太君と一緒に飼い犬のジローを探した時に知った。僕のランニングコースからほんの少し外れた場所だったので簡単に来ることができた。
玄関先に植えられた小さな木が風に揺れていた。
ジローの犬小屋、庭の奥なのかな?
インターホンを押すと、颯太君の元気のいい声と走って来る音、橘さんのお母さんの走らないように注意する声が響いて、思わずハルカと顔を見合わして笑う。
玄関の扉を開けると颯太君の笑顔と、その後ろからキモ可愛さに定評のあるボクサー犬のジローが隙間を縫って僕に飛び掛かる。ハルカは犬に襲われたと思って顔が固まるが、ジローは僕の体に短く息をかけながら、今日は遊んでくれるんでしょ、と言いそうな顔をしていた。
そして、ハルカは、ああ、これがこのジローという犬の普通なんだなぁ、と理解して挨拶をする。すると、遅れて橘さんがやってきた。
橘さんは白い生地に朝顔が描かれた浴衣を着ていた。
「こんにちは。すぐ準備して来るから待っていて」
すぐに家の中に戻ろうとして振りかえる橘さんをハルカが呼び止めた。
「こはるさん、ちょっといい?」
橘さんを捕まえたハルカが、橘さんの帯の位置を直し始めた。
「途中で崩れないようにね」
「ありがとう。すぐ物取ってくるね。ほら、颯太もちゃんとよそ行きの服に着替える! 置いていくよ!」
はーい、と颯太君が離れていく。ジローを止めてくれる人は誰もいない。そう思い、軽い絶望を感じていたら、橘さんのお母さんがやってきた。
「マコトくんとハルカちゃん、今日は二人をよろしくね」
そう言いながら、ジローを引っ張っていく。さすが、橘さんのお母さん。ジローの切ない顔が哀愁漂っていた。
橘さんとハルカは、すでに並んで何か話している。
僕と颯太君は、その少し後ろを歩いていた。
夏祭りの音は、まだ遠い。
会場へ向かう途中、道は少し細くなった。
片側は住宅の裏手、反対側はむき出しの斜面だ。
地元の子供達がよく通る近道だ。
サンダルで歩く橘さんの歩くペースに合わせて歩く。同じように浴衣を着るハルカの方は革のブーツを履いていた。ハルカ曰く、こちらはこちらでイカすらしい。
「ここ、ちょっと暗いね」
橘さんがそう言う。目が慣れるまで、日があるのに少し薄暗く感じた。僕は無意識に斜面を見上げていた。
コンクリートで固められているはずなのに、ところどころ土が露出している。
草の根が、無理やり張り付いているみたいだった。
夏祭りの会場は、思っていた以上に人で溢れていた。
提灯の赤と白が風に揺れ、焼きそばと綿菓子の甘い匂いが混ざり合って、なんだかそわそわする。
「うわ、すご……」
颯太が目を丸くする。
それを見て、ハルカが得意げに言った。
「でしょ。遅くなるともっと人だかりになるよ。だから、お祭りは早めに来るのが正解なんだって」
「ハルカちゃん、詳しいね」
「まあね。近所の夏祭りは制覇してるから」
こはるがくすっと笑う。
白地に朝顔の浴衣は人混みの中でも目を引いて、少し距離を取って歩いているはずなのに、自然と視線がそっちに向いてしまう。
屋台が並ぶ通りに入ると、射的を颯太は見つめて指を指す。
「アニキ、射的だよ! あれやりたい!」
「はいはい、落ち着け。順番な」
ハルカが颯太の首根っこを軽く掴む。
「走るな、走るな。迷子になったら、焼きそばをみんなに奢ってね」
「えっ、それは困る!」
颯太の青ざめた顔を見たこはるが笑いながら言った。
「颯太、射的をしたら、一緒にくじ引きや金魚すくいも行こう?」
「ほんと!? やった!」
ハルカの飴と鞭うまいなあと思うが、見ていてとても微笑ましい。
その様子を見ているだけで、なんだか温かくなる。
周囲を見回す。提灯を下げた屋台に、会場の舞台では、プロのお笑い芸人が漫談をして祭り会場を賑やかにしていた。
……昔は、こういう場所は人と目が合うと馬鹿にされているような、そんな感じがして疲れるだけだった。
でも今は違った。
射的で、颯太が外して落ち込む度に、ハルカが横から、照星と照門を合わせるとか肘をたたむとかアドバイスをしていたが、結局最後は全部外す。
「ハルカのアネキ、なんで?」
うちの兄妹をなんかヤクザかなんかだと思っているのかな、颯太君。
「射的はね、結局は、理論じゃなくて運だから」
「ええー、そんなー!」
しばらくして、ハルカが突然言う。
「ねえ、兄ちゃん」
「なに?」
「ちょっと颯太連れていくね。あっち、ヨーヨー釣りあるから」
「え、今? もっとみんなで……」
有無を言わせない調子で、ハルカは僕の声に返事をしないうちに颯太の手を引いて人混みに消えていく。
気づけば、こはると二人きりになっていた。
「……行っちゃったね」
「うん」
一瞬の沈黙。
遠くで太鼓の音が鳴っている。
「東屋君」
名前を呼ばれて、心臓の鼓動が速まっていく。
「前より、ずっと雰囲気変わったよね」
「そ、そう?」
「うん。痩せたのもそうだけど、昔みたいに明るいというか、自信があるというか、ちゃんと頑張った人の顔してる」
その言葉が、胸に沁みてくる。家族以外に、努力を認めてくれた。それが、とても嬉しかった。
「前、弟を助けてくれた時も思ったんだけどさ」
橘さんは少し照れたように続ける。
「見た目より、そういうところが……かっこいいなって……昔からそういうところ、あったよね?」
「え? 昔?」
「ほら、覚えてない? 幼稚園の時、転園したばかりだったから友達いなくて、一人でいたら、声をかけてくれたじゃない。他の子と遊ぶようになるまでずっと声をかけてくれた」
返事ができなかった。
ああ、あの子だったんだ。
そう、記憶が蘇る。
「あー、なんか、私変なこと言っている気がする! とりあえず、昔みたいな東屋君に戻ってくれて、私は嬉しいな」
今の自分から変わりたい、そう思って、頑張って良かった。嬉しくて、どう言葉にすればいいかわからなかった。
その時だった。
ーーーッドン!
低く腹に響く音。
空を見上げると、最初の花火が夜空に咲いていた。
「……始まったね」
「きれいだね」
しばらく、二人で黙って見上げる。
二発、三発。
やがて、ハルカと颯太が戻ってきた。
「アニキ、刀のキーホルダー、くじで当たったからあげるよ」
そう言って手のひらサイズの、小学生の男の子が大好きな刀のキーホルダーを渡された。ありがとう、と言ってもらった。そりゃあ、僕もこういうの好きなんだ。
「ねえねえ、花火もっと見たいけどさ」
ハルカが時計を見る。ああ、そうだ、周りを見ればもう真っ暗だ。ところどころ消し忘れの提灯が目立ってしまうほどだ。
「そうだね、そろそろ帰ろう。雨、降るはずだし」
「えー」
「一体どれだけ颯太君は私のお小遣いを出店で溶かしたのかな? 私の言うこと聞けるよね?」
「……はーい」
「えっ、ハルカちゃんごめん。颯太、自分のお小遣いで遊びなさいって、お母さんからも言われたでしょう」
「あー、いいのいいの。後で兄ちゃんから回収するから」
なんで、と思って顔を引きつらせるが、そこで、ハルカがわざと僕と橘さんを二人にしたことに気がついた。それと浴衣を着ていこうと誘ったのもハルカだった。
橘さんみたいな可愛いクラスメイトと2人で夏祭りを回ったなんて、よくよく考えたら、簡単にできることではないし、他のクラスメイトから見られたら羨ましがられるだろう。
それに、橘さんのことを少しだけ深く知れた。
花火の光に浮かぶ横顔……それを独り占めにした。
こりゃ、確かにハルカにお金を渡さないといけないレベルなあ。
僕らは名残惜しそうに振り返りながら、会場を後にする。
背後では、まだ花火が上がり続けていた。
急な轟音が遠くから走ってくる。乾いたアスファルトに叩きつける水音。一瞬にしてアスファルトの色が黒く濃くなる。
滝のそばを歩いているような音が響き渡る。
颯太君の手を握り僕は小走りをする。前をハルカが走り、僕と颯太君の少し後ろを橘さんがついてくる。
「ブーツにして良かったぁー!」
雨水を滴らせながらハルカが叫ぶ。
橘さんの足はサンダルだ。ちょっと辛いだろう。
「私も今度からブーツにする!」
雨で大変なのに、橘さんはそう笑って叫ぶ。
ハルカがむき出しの斜面が道路の片側にある道を走っていく。その斜面から水が溢れていて小さな川になっているみたいだ。くるぶしもない深さだけど、靴を踏み入れたら不快感がある。しかし、もう下着までずぶ濡れなので今更どうでも良くなる。
「ほら、早くこっちまで来なさいよ! 颯太は泳いで来なさい!」
「えー、やだよ!」
颯太くんはそう言って、僕の手を外して走り出す。
「おい! もうー……、転ばないように気をつけてよ!」
僕はそう言って振り返ると片方の足をゆっくりと動かす。橘さんがいた。
「鼻緒が取れちゃった……はは」
小さな川となっている道で片足を引きずって歩く。
僕は、橘さんの肩に近づいて並ぶ。
「嫌じゃなかったら、橘さんの足を僕の足に乗せて二人三脚みたいに歩けば楽じゃない?」
「嫌じゃないけど、流石に人の足に乗るなんて悪いよ」
「そのまま歩いて帰るのは大変でしょ?」
足を差し出すと、橘さんは観念して鼻緒の取れたサンダルを脱いで、僕の足の甲に足を乗せた。
僕の肩をギュッと橘さんが片手で抱きしめた。
ほのかに甘く香る橘さんの匂いにくらりとしそうになる。
ぎこちなく歩きながら道路にできた小さな川の半分を通り過ぎる。
あれ、そういえば……なんか変な感じがする。
雨が大量に降った時に崖や斜面の下の土から水が噴き出ていたら、これって良くないんじゃなかったか?
滝のような雨音に、地鳴りのような音が混ざり始めた。コロコロと小石が斜面から落ちてきた。
テレビやYouTubeとかで見たことがある。
「た、橘さん、走ろう! 足の裏痛いかもしれないけど、走ろう!」
「え? どうしたの? よく聞こえない?」
斜面の木々が少しずつ動き始めていた。
「土砂崩れになる! 走るよ!」
橘さんの返事を待たずに、抱きしめてられていた肩からするりと抜け、手を引っ張る。
橘さんは土砂の崩壊に驚きながら、足を早めた。
急げ、間に合え!
颯太君もハルカも既に斜面よりも奥にいた。
「もっと離れて! 逃げて!」
ハルカに僕の声が届いたのか、颯太君の手を掴み、さらに遠くへ走る。僕らを颯太君が振り向いて何かを叫ぶが全く聞こえなかった。
せめて、橘さんだけは助かってほしい
その気持ちが何かに伝わったのか、僕の目の前にウィンドウが表示された。
絆の連結v3による権限により異世界のあなたとのリンクを開始
そのウィンドウはあの夢の中で何度も見たものだ。
よくわからない名前のスキルが表示されて、何やら夢の中の世界と繋がったということは……
そこで僕はあの世界の人たちは魔法を放ったり、技の名前を叫んで刃を飛ばしたりしていた。
刀術Lv2……僕はこれで何か使えるはずだ。
マッスルさんの技の掛け声を思い出す。
それならいけるようなそんな気がした。
斜面が近づく。
そこを少しでも形がえぐれて時間が稼げるように、走る方向と斜面の交点に向かって、颯太君から貰った刀のキーホルダーを振る。
「スラァアアーッシュ!」
絆の連結Lv3の権能ではその技は使えません
魔法は回復魔法しか知らない。
これしか生き残る道はないんだ。
頼む!
お願いだ! 橘さんだけは救ってくれ!
腹の底から吐き出した声が、喉を震わせる。
「スラァアアアアーッシュ!」
刀のキーホルダーの先端から、巨大な白い斬撃の刃が生まれ、目の前に迫った土砂をえぐりながら押し戻した。
でも、足りない。
声にならないまま、重たくなる腕を振り抜いた。
道が開ける。僕は最後の力を込めて橘さんを投げる。
そして、怪我をしないようにと祈り、持続式の回復魔法を唱えた。
絆の連結Lv3の権能ではそれらはできません
エラーの発生
対処
使えてしまった分のペナルティの発生
ドンと、体にあり得ないほど重量がのしかかり、吐き気が込み上げ、立てないほどのめまいがする。
ああ、そうか……MP切れの症状か。
投げられた橘さんは、回転のタイミングが良かったのか、ちょっとバランスを崩しながらも綺麗に着地した。
そして、信じられないものを見たような顔をしながら、僕の方を振り向いた。
その顔が少しずつ、歪む。悲しみに、歪む。
それなのに僕はすごく、安らかな顔をしていたと思う。ギリギリの安全圏まで飛ばせた。橘さんは大丈夫だ。
体に土砂が直撃する。
強い衝撃を受け、全てが真っ暗になる。
そして、徐々に僕の体温が消えていった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
感想、ブックマーク、評価など大変ありがとうございます。
1月29日21時に更新予定です。




